最近学生の方と話をする機会があり、タイトルに載せた質問を立て続けに聞かれたので、改めて考えてみた。JPOとして3年間、正規職員ではない立場で働いた期間を3つに分けて振り返ってみたい。

 

まずは1年目。とにかく任された仕事を丁寧かつ素早くこなすことを心掛けた。なんて悠長なことは言っておられず、当時は英語で意見を述べることも上手くできず、また書いたものは徹底的に直されたりと、散々なスタートだった。簡単に言うと、それまで築いてきた自分に対するそれなりの自分は「いったん全部ぶっ壊された」、というのが正直な感覚だ。自分よりもはるかに若いインターンの方が英語はもちろん流暢、フランス語もできる。そして、何より呑み込みが早く、自分の意見をしっかり述べる。これは敵わないと思いつつ、素直にそれを受け止め(とはいってもやはり悔しいし、辛かった)、ゼロから出発と開き直って日々を過ごしたの覚えている。もちろん、国連ならではの物事の伝え方も最初はまったく理解できず、言われたことをそのまま文字通りに受け取り、地雷を踏みまくった1年だった。そんな自分をあたたかく忍耐強く、気長に信じて仕事を振ってくれた上司、そして同僚には心から感謝しているし、彼らでなかったらこうしてうまくポストを繋いで生き残ることはできなかったと思う。実際にいい上司・チームに巡り合うことができず、組織を去った他国のJPOは何人か目にした。

 

そんなこんなで、2年目。少しは国連という独特の組織文化にも慣れ、少し余裕が出てきた・・・と、思いたかったところだが、心に余裕はなくとにかく焦っていたのを覚えている。相変わらずの英語力、そしてとにかく仕事ができる周りと比べてひどく自信を無くしていた一年だ。それでも常に心掛けていたのは、どんな仕事でもとにかく丁寧に対応する。どう考えても自分がやるべきでない事務的な仕事も、頼んできた上司・同僚のためなら、これでチームに貢献できるならと片っ端からこなしていった。そうすることで、結果的に少しずつ確実に信頼を築くことができ、いつの間にかいろいろな仕事をカバーする様になった。

 

そんなある時部署のトップから、「あたなにはNOと言えるようになって欲しいと、心の底から願っている」と衝撃の一言を伝えられた。つまり、こういうことだ。あまりにどんな仕事でも引き受けてしまうから、自分のやるべき仕事に時間をしっかり割けていないということだった。自分が本来やるべき仕事で、成果を出す。そして、NOと言うことで自分のやりたい仕事を明確にし、そこで力をつける。そうでなければ、いつまで経っても他人の仕事を手伝うだけで、主体的に自分の仕事で成果を出すことが難しくなるということだ。その日から、少しずつだがNOと言うようになり、今では「自分が生まれてから日本を離れるまでに言ったNOの回数より、国連に入ってからNOと言った数の方が圧倒的に多い」、とジョークを言えるまでになった。もちろん、NOと言わずにNOを伝えることもしっかりと学んだ2年目だったと思う。

 

そして、3年目。いよいよJPOも最後の年となり、次のポストを探さなくてはならない。国連は、日本の民間企業や地方自治体の多くとは異なり、入社したらその後は組織がキャリアップをデザインしてくるという場ではない。募集されるポストに応募をし、書類選考、そして筆記・面接による選考を通らなければならない。言うならば、常に働きながら就職活動をしている様なものだ。したがって、自分も今現在のポストのあと、その後どの国にいるのか、何をしているのか全く分からない。ポストが見つからず、組織を離れているということだったあり得る。将来は全くの未知数である。

 

そういった環境の中で、3年目はとにかく積極的に自分が次のポストを探していること、これまで何を成果として上げてきたかを少しずつアピールする期間だった。アピールと言っても、自分から自分を売り込むことを目的として上司や同僚に擦り寄ることではない(中にはそういう人もいるが)。そうではなく、やはり一つの一つの仕事の成果を通じて、自身の存在を認識してもらうということだ。国連職員も、結局は人。人としての誠実さ、一緒に仕事をして楽しいという感覚をその人から得ることが出来るかといった、極めて当たり前なことが最後は重要だ。いくら仕事が出来ても、周囲に不快な思いをさせるスタッフは、気づくと自然に淘汰されている。

 

こうして書き出してみて、最初の3年間のいろいろな思い出が蘇る。時には悔しくて、帰宅後涙したこともあった。それでも、戦争・内戦・侵略が世界の絶え間なくで起こり、理不尽な状況や、圧倒的な暴力の前に無力感に苛まれることがありながらも、日々真剣にどうしたら苦しむ人々の毎日を少しでも改善することができるかを真顔で議論し、平和への思いをごく当たり前に語ることが出来るのは、やはり国連という場で働くことの醍醐味だと思う。