2015年9月、大学院の卒業式を欠席して仕事のためレバノンを訪れた。当時働いていたNGOの上司と首都のベイルートに滞在し、国際機関や各国大使館を周った。ベイルート国際空港の入国審査で、イスラエルへ入国したことがあるか否か、そう質問されたことに少々驚きながらパスポートに入国スタンプが押されるのをぼーっと眺めていた。

 

ベイルートでは、街のあちこちで子供たちが、自分の体よりも悠に大きい荷車に溢れんばかりのゴミを載せて、歩いているのを見かけた。車の中から彼らに目を向け、自分の状況と彼らが置かれた状況の差はいったい何なのか。何がこの差を生み出したのか。どの国に生まれ落ちたかということが、その後の人生を大きく左右する。そんな残酷な現実を思いっきり見せつけられた気がした。もっとも、安全で何不自由のない環境に守られながらだが。

 

ある夜、同僚とウイスキーを片手にジャズバーで話し込んだ。ふと、煙草を吸おうと外に出ると、10歳くらいの男の子が路上で一人泣いていた。車から見かけたゴミ運搬の子供たちの様な、身なりをしていた。何ができるかも分からず、とにかく話しかけてはみたものの、もちろん言葉が通じる訳でもなく彼の言っていることはわからなかった。それでも必死に言葉を続けるので、身振り手振りで意思疎通を図ろうとするも上手くいかず。しばらくするとその子は、さらに泣きながら建物の間に入り座り込んでしまった。

 

そのまま離れることもできず、静かに彼のそばまで行き、一緒に座ってみた。すると今度は通りすがるタクシーを指差す。事情はよく分からないが、タクシーに乗りたいのだと理解し、お金を渡した。その子はきょとんとこちらを見つめた後、さっと立ち上がり、タクシーに合図を送ってどこかに向かっていった。

 

誰が教えてくれたのか思い出せないが、その子はシリア難民で路上で物を売ってその売り上げの一部で、寝泊まりしている場所まで戻る予定だったが、運悪くお金を路上で巻き上げられてしまったとのことだった。

 

BeirutというバンドのNantesという曲を、YouTubeで久々に見つけて聴いみた。音楽が始まるや否や、あの路上で泣いていた子を思い出した。彼は無事に帰れたのだろうか。そして、今もまだ難民としてベイルートにいるのだろうか。それとも生まれた国に戻り、安全で不自由のない環境に身を置けているのだろうか。平和という屋根の下に。