(続き)


奥州街道ライド後半戦


(23)鍋掛宿

那須塩原市に入ります。

ご宿場印は、少し離れているところにあるので、立ち寄りません。


清川地蔵尊
子育て地蔵として、地元民の信仰が厚かったそう。
毎年4/24の祭礼には集落の女性が集まって清川地蔵尊だけに唱える念仏が行われているとのこと。



芭蕉の句碑
さらに、進むと芭蕉の句碑がありました。

「野を横に 馬ひきむけよ ほととぎす」
と書かれています。

手綱を持つ馬子の願いより書かれた句だそうですが、説明されても意味がよく分からないえー

(24)越堀宿

那珂川にかかる昭明橋、昔はこんな立派な橋はなかったので、難所だったらしい。

この先に富士見峠という峠があるのですが、栃木県の北部で本当に富士山が見えるのだろうか・・・

(25)芦野宿


弁慶の足踏み石と呼ばれているもので、源義経が源頼朝と対立した時に、奥州街道を通って平泉に向かう途中に弁慶が馬に乗ろうと石を踏み台にしたところ重さで石が窪んだとのことびっくり

そんな重い弁慶を乗せていた馬が、少し気の毒かもえー



いくつか、上り下りを繰り返した後に、那須モータースポーツランドというサーキットがあります。



僕も、昔レーシングカートに乗っていたため、ここでレースも何回か出場しています。
一般的なカート場とは違い、四輪サーキットのような作りとなっています。

今は、二輪専用となっているようです。

若き日の思い出
すごーく、懐かしい照れ



夫婦石の一里塚です。


石地蔵というお地蔵さんで、右足を前に出して座っていることから座り地蔵とも呼ばれているらしい。



チェーン脱着所に一里塚がありました。
そっか、ここらへんは冬になると雪が降るんですね

(26)白坂宿


いよいよ、関東地方を抜けて福島県に入ります。
爆笑ウレシイぞ


栃木県側と福島県側に境の明神という神社が県境を挟んで2社あります。



こちらが、栃木側下野の境の明神



こちらが、福島県側陸奥の境の明神です


少し進むと衣がえの清水という場所がありました。弘法大師が清水で身を清めて、衣替えをしたとのこと。






白坂宿の沿革と書かれています。



そして、日本橋からの宿場町と距離が書かれている石碑が置いてありました。
この青い文字で書かれている奥州道中の部分が今回走ってきた街道となります。


(27)白河宿

いよいよ、奥州街道最後の宿場町の白河宿です。

白河といえば、小峰城
小峰城といえば、戊辰戦争。

日本の歴史で最後の内戦の激戦の地としても、知られています。


この戦で亡くなった方がたくさんいます。
新政府軍、旧幕府軍どちらにも正義があったのでしょう。いろいろ考えさせられます。


月見夜の庭と書かれている石が敷き詰められているスペースがありました。
ここは、いったい何なんでしょう?

東北本線を潜って、阿武隈川を越えるとゴールはすぐそこです。



ここが、奥州街道ライドの目的地
「女石追分」です爆笑
江戸幕府管轄の街道はここまで。
右側は幕府管轄外の奥州街道で、仙台方面で青森まで続いています。
左側は会津街道です。

しかし、ここには何もない
大事なところに、通行止めのお知らせの看板がおいてあるし。(大事なお知らせだからしょうがないけど)



 

女石追分の左側を少しだけ進むと、女石の交差点、国道4 合流と合流します。
その交差点の角に、道標がありました。

右 仙たい松前道
左 会津ゑちご道

と書いています。

この道標をゴールとしましょう。


5街道中、4街道走破しました✌
残すは東海道のみとなりました照れ


奥州街道ライド

お・ま・け

白河駅から宇都宮まで輪行で戻ります。
駅の近くから小峰城が見えるので、近くまで行きます。

17時ちょっと過ぎ。秋なので辺りが暗くなるのが早いです。
暗いお陰でライトアップを見ることができました。
🏯✨️



駅の入り口側に抜けるための通路には街道図が描かれていました
 

白河駅です。
オシャレな建物です。

無人駅でした。交通系ICカードが使えなかったので、久しぶりに切符を購入🎫

1 時間に1本くらいしか電車が来ないので、40分ほど待って、ローカル線に乗って2回ほど乗り換え宇都宮に向かいました。



走行距離:104キロ

奥州街道を走っての感想:
なぜかお地蔵様をたくさん見かけました。
激坂のようなものは、なかったのですが、上ったり下ったりの繰り返しがありました。
山道以外は、広々としていて遠くの山々🏕️を眺めることができて、走っていて気持ちが良かったです。

街道ライド以外で、栃木や福島を走るのも楽しそうですニコニコ