かわいがっていたすずめが亡くなり
涙を流しながら読経する一休さん


そんな姿を見た兄弟子が

僧侶のお前がそんなに泣くでないぞ、
みっともない。
諸行無常。
全ての命は移ろい去るものと
お釈迦様は言っておられるではないか

と釈迦の言葉をもって説教すると

一休さんは
兄弟子の鼻を
力一杯ひねりあげて言った



兄弟子、今、貴様

諸行無常の釈迦の言葉を使ったな

だがな釈迦はこうも言っている。

諸法無我!

全てのものに実体などないと

釈迦は言ったのだ

お前という実体がないなら

痛みを感じることはあるまい!



諸法無我でも痛いものは痛いのだ!


今、ワシにとっての真実は、

目の前に横たわるこのすずめと

それを失って悲しいという気持ち。

だからワシは泣くのだ

たかがすずめだったかもしれんが

ワシは好きだったから

大好きだったから...



オトナの一休さん
第二則「すずめの葬式」より




諸行無常でも

哀しいものは哀しい

諸法無我でも

痛いものは痛い







一休宗純はこのすずめに
「尊林」
と名付け手厚く葬った。

その時に書いた「尊林」の掛け軸は

現存しています。




尊林

余飼 雀児 愛 甚
一日忽然 自斃 哀慟
倍 恒 
是 以瘞葬祭奠 如 人
初呼 之 曰 雀侍者
後以 雀代 
釋 又 字 曰 尊林 
因 以 一偈 証 焉 云

丈六紫磨金色身
沙羅双樹涅槃辰   

脱出外道死活手

千山萬木百花春




余は、雀の子を飼っていて
とても愛していた
ある日突然倒れて死んでしまった
悲しみがますますつのり
人のように丁重に葬って祀った
最初こいつを
雀侍者
と呼んでいたが
後に雀に釋を与え
また字を付けて
尊林
とした
そういうわけで、
ここに一偈の詩を作って
亡き者の弔いの証拠とする

丈六紫磨金色の身の釈迦は
沙羅双樹の下で涅槃した朝に

外道死活の手から脱出した

山々の木々に百花咲き乱れる春