12月27日に住宅型優良老人ホームに入った父だが、30日にはホームの代表から「うちではちょっとお預かりが難しい」との電話があった。理由は暴言とのこと。まったく、困った爺さんだ。

 とはいえ、そういうことも含めて病院のケースワーカーを中心に、状況を詳しく共有して、受け入れを決定したんじゃないのか。たった3日ぐらいで、こんな人だったのか、なんて驚かれても、それはプロの仕事じゃないだろ。

 そんなことを冷静に話したところ、「誠にその通りです。大変申し訳ありません」と恐縮されたが、翌日、実際に施設に行ってみたら驚いた。ベッドだけの自室と大きなテレビのある食堂の間、約20メートルを車いすで行き来するだけで、それ以外は一切、何もない。リハビリもレクリエーションも、まったく想定されていない。聞いてみたところ、ここはそういう類型の施設だとのこと。ただ弱って、死んでいくのを待つだけの場所?

 リハビリを望むのであれば、老人健康施設がいいらしい。そんなわけで、こっちとしても積極的に他の施設を探すことにした。

なかなか簡単じゃないなあ。

 

2002年10月11日って書いてあるけど、場所は不明。

 

 父は僕に何か特別に言いたいことがあるときは、昼間にふらっと帰ってきて、用だけ済ませて、また仕事に戻るっていうやり方を好んだ。母も昼間は仕事に出かけていたんで、学校が休みの日は僕だけが家にいることになる。中学2年生の冬休み、最後に暴力を振るわれた時が最初で、そのことは以前に書いた。

 次は、確か高校3年生の1月、共通一次試験の前日だ。昼過ぎ頃、いきなり帰ってきて、「ちょっといいか」とか言って、車で裏の山の展望台のようなところに行き、「これまでよう頑張ったな。お前のことだで心配はしとらんけど、どんな調子や?」みたいなことを10分ほど話した。それだけ。

 それから、1回目の司法試験の前日だったかな。その時もまったく同じ。翌年、2回目の時は、なかったな。たぶん。

 

 僕は2回の司法試験を実家に滞在して、名古屋の愛知大学で受験した。どちらも5月半ばだったんだけど、4月の頭あたりに、同じく愛知大学で、4日間、全く同じスケジュールの模擬試験があった。

つまり、2年で合計4回、それぞれ4日間、全部で16日、愛知大学に通ったわけだ。

本来はうちから最寄りのバス停まで10分ほど歩き、バスで20分ほどで地下鉄の駅に着くんだけど、この16日間はすべて父の車で駅まで送ってもらったんだよね。

16回、僕は車から降りて駅に向かったわけだけど、その間、父は一度も「頑張れよ」と言わなかった。

「じゃあな」とか、言ったと思うんだけど、普通、つい激励の類の言葉を言っちゃうもんじゃん?

絶対言わんっていう、よほど強い意思をもって決めとったのか。

いつか理由を聞こうと思ってたんだけど、もう無理だろうな。