2016年7月16日午後4時、東京地裁での原発メーカー訴訟の判決言渡しは、実質10秒で終わった。
何しろ、第4回口頭弁論で、我々が今後の立証予定を述べ、被告らの反論に対しても再反論すると明言したにもかかわらず、その機会を与えることもなく、突如として弁論を終結した裁判体だ。まともな判決など期待できるわけがなかった。
それでも、安易な予定調和を許さない人々は、これまで通り103号法廷を埋め尽くした。
わずか10秒足らずの裁判長の空虚な宣言を聞くために。
みんな知っているのだ。
この裁判の意味を。
法廷を埋め尽くすことの重大さを。
弁護団を鼓舞することの必要性を。
ここは、原発メーカーが、一切の責任を負わないことを約束された上で、巨大な利益を確約されるという責任集中制度の不合理性を、司法に問うことができる唯一の場。
歴史の検証に耐えうる議論を尽くすべきは当然のことだ。
人格権と環境権の区別さえまともに理解しない、未熟な法律論に基づく、極めてずさんな判決を突きつけられたところで、僕たちを落胆させることはできない。
どちらにしろ、ここで終わることはないのだから。
さあ、すぐに、被告らも裁判所も、逃げ道のないところまで追い込むための準備に取り掛かろう。
法廷を埋め尽くす熱い思いと世界中に散らばる同士たちと共に。