法昌山 玅蓮寺(妙蓮寺) | 鞆の浦二千年の歴史を紐解く“鞆の浦研究室”/Discovery! 鞆の浦

法昌山 玅蓮寺(妙蓮寺)

法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/山門
法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/山門 posted by (C)鳶眼

法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/本堂
法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/本堂 posted by (C)鳶眼

【法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)】
生髪子母大尊神
厄難消滅・心願成就

宗派/日蓮宗
山号/法昌山
院号/
開基/実相院日玖
本尊/日饒上人大曼荼羅・釈迦牟尼佛
住所/福山市鞆町後地1203-2

法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/山号標
法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/山号標 posted by (C)鳶眼

慶長年間(1596~1614)に実相院日玖が創建したと伝えられる。
寺宝の日饒(にちじょう)上人の御本尊大曼荼羅(寛永三年・1626年)が現存し、それを裏付ける。
実相院日玖は年壮にして俗塵の交断ち、法宣寺十四世恵性院日親の徒弟となり、圓浄坊と結び引き蘢り、法華経を読すること40年、一万二千余巻におよび、福山藩主・水野勝成殊勝に思い、寛永の末(1644年頃)今の地を賜い、三人扶持十一石を給う。
本堂は壇中、小林喜兵衛、佐久間七良衛門、石井庄右衛門等、主として浄財を募り建立。
上京し、本山から山号・寺号を請受した。
福山二代藩主・水野勝俊からの庇護もあり、その勝俊の位牌が伝わる。
承応年間(1652~1654年)に建立したと伝えられる三十番神堂があり、
二代・日護の時、延宝年中(1673~1681)奉行・藤井六郎右衛門に願い出て境内門前を広め、四代・日義、元文四(1739)年鐘を鋳、妙蓮寺本堂、鐘楼、山門とも元文年間(1736~1741)に再建され、六代日了、七代日行、本堂再建。
江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもあった。

【大曼荼羅】
寛永三(1626)年、日饒(にちじょう)上人の御本尊曼荼羅で、京都の本山・妙顕寺より授与されたもの。
妙蓮寺の創建を伝えるものと思われる。

【水野勝俊の位牌】
二代福山藩主(1598~1655年)
1639(寛永16)年、二代藩主として襲封するまで鞆城に居住し、「鞆殿」と呼ばれていた。
沼名前神社の石鳥居(県重文)を寄進するなど鞆との結びつきは強かった。

【三十番神堂】
承応年間(1652~1654)に建立

番神堂の裏には現在はコンクリートで固められた井戸があり、どんな渇水でもこの井戸は涸れたことがないというこの井戸の水で山中鹿之助(鹿介)の首を埋める前に清めたとされる。

【山号標】
文政七(1824)年成就

【鬼形鬼子母神安置一碑】
天保七(1836)年三月浣日



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法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/鐘楼
法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)/鐘楼 posted by (C)鳶眼

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法昌山玅蓮寺(妙蓮寺)
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法昌山玅蓮寺 posted by (C)ロコボーイ

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