再スタート
皆さんご無沙汰です。
ずっとBLOGの更新ができてませんでした。
しかも意味不明なこと書いたりと心配させてしまった人たちにご迷惑おかけしました。
実は33年間自分を育て支え続けてくれた母が3月29日に他界しました。
急に亡くなった訳ではなく今から3年半前にさかのぼり胃の全敵手術をおこない病名は胃癌でした。
そしてその時に主治医が僕に言った言葉は持って半年、長くて1年以内と告知されました。
さすがにその時は頭の中が真っ白で何も手につかず、ましてどうしていいかもわからない。。
ただただ母のそばにいてやることしかできない自分しかいませんでした。
そして母が麻酔から目を覚まし病名を告知するかどうかのとき僕は、母の性格もあり告知することをやめ
只の重度の胃潰瘍と話しました。
するとそれからリハビリなどを頑張り退院するまでになり
持って半年といわれていた母がさすがに胃がないためすごい勢いでやせてはいましたが、少しずつ元気になり
それから半年が過ぎ1年が過ぎ2年が過ぎたあたりで僕もだいぶ、その病気のことがどこか頭の隅の方においやってました。
それはそのはず母は知りませんが、半年しか持たないといわれてから3年ももち正直自分では、奇跡が起きた!
定期的の検査も転移もなく順調に来ていたからです。
もう治ったんだと思い込みたい気持ちでいっぱいでした。
だけど、去年の夏実家に戻り主治医の先生が僕を呼びお話が、と言われた時は、さすがに悟りました
そして話を聞くとその勘があたり、今までどこにも転移がなかったのに急に母が最近腰が痛いと言っていたのは、
僕も知ってましたが、まさか骨に転移してるとは、そのことがどういうことか僕は分からず先生に尋ねると
もう骨に転移したら処置方法がないといわれました。
あとは、薬で痛みを散らすか、大量の抗がん剤投与と言われました。
その瞬間頭の隅に追いやっていたことが全てよみがえり3年前まで戻されました。
主治医も抗がん剤のきつさを僕に教えてくれて、出来ればもう抗がん剤は使わなく苦しませずに痛みだけをとり
余生を楽にしてあげた方がいいんじゃないかと教えてくれました。
それは、もう先は長くないということでした。
その夜に姉と話し抗がん剤を打たない、延命処置をしない、心臓マッサージもしないと決め
その旨を主治医に話しました。
延命処置も今じゃ家族がもう管を抜いてくださいといっても最近じゃ法律上抜けなくなったのが現実で、
亡くなるまで、管を入れとかなくちゃいけないからです。
たとえば、治る見込みがわずかでもあるのであれば、僕は延命処置や心臓マッサージを望むと思います。
心臓マッサージも大人がまたがり両手で心臓を押すんですが、そのかかる厚しかも7,8㎝も下に押すんですよ
若い人なら絶えれるかもしれないが、普通ろっ骨が折れるといいます。
そんな苦しい思いをして伸ばす寿命なら楽にいかせてあげたいと思ったからです。
実は、父も僕が中3の時に亡くなりました
脳死の状態で管を入れ0.何パーセントの奇跡だけを信じ目を開けるのを待っていたが、実際苦しそうな姿を見れなくなり
自分が、管を取ってくださいと頼みました
その時の気持ちは忘れていません
すごく辛かったですよ自分の手で父の息を引き取らせたんですから
そういうのもあり今回は、この3年半苦しんだんだから最後は楽にいかせてあげたいと思い
この決断をしました。
そして今月18日に少し早めではありましたが、四十九日を無事に終われせることができました。
実家の方では、四十九日は三月またぐと良くないとされ早まった次第です。
枕花やお花、弔電や参列してくださった人たちに心からお礼を申し上げます。
母も、心置きなく天に上ったことだと思います。
今後
気持ちを切りかえ今まで以上に頑張りますので、応援よろしくお願いします。
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