「拙者」の二重性 | コードチェンジのために

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好かれたいけど媚びたくないまだ考えているノート

ふと気付いたのだけど、拙者という一人称はそれなりに二重性を持っていてややこしい。

「拙」の字を用いる限り、自らをへりくだって表現する一人称であるというのは間違いないのだが、時代劇等でよく見るお侍さん等、「士農工商」の最上位「士」の階級で用いられるイメージがあるため、妙に尊大な印象もある。

 

こういうのはサラリーマン社会でも時々ある。

明らかにそれなりの職位に就いている管理職等が自らを称して「小職は…」と名乗ることがあるが、これも「拙者」,「拙僧」といった一人称に通底する表現だと思う。根本的にこうした謙譲的な一人称を用いるということは、へりくだることが有効な程度には上の地位であるという自覚と、へりくだる余地/余裕を持っているという自認の表れでもある、というのが少しやり切れない点である。