先週の火曜、深夜25時から始まる私の楽しみにしているTV番組『CBSドキュメント』を今週見ての事だが、








素晴らしい内容だった。







今回は特別編だった。










その内容は、
この番組が取り上げているアメリカの伝説的ドキュメント番組、
『60 Minuts』の生みの親であるつい先日に亡くなられた故ドン・ヒューイット氏を追悼する、というもので、





彼のメディア業界に残した多大な功績を追っていくというもの。








私はこれで彼を初めて知ったが、
彼ほどのビックネームなので知っている方も多いかもしれない。












彼はアメリカの偉人百人に数えられる大物で、

1950年代から記者やニュース番組のプロデューサーなど、
主にメディアに関わる仕事で活躍し、


やがて頭角を現し始め

ついに1968年、自身が制作したドキュメント番組『60 Minuts』が以後現在まで40年間放送され続けれている。






驚くべきはそれがドキュメント番組でありながら、
放送される時間帯が
日曜のゴールデンタイム夜7時からの一時間ということだ。




しかもそれが制作年から継続されて40年間…だ。








そして更に黄金期は視聴率40%はくだらないものだったそうだ。









アメリカという国民性がそうさせているにしても、
余りにも衝撃的な数字だ。








その人気の秘密についてもその番組で触れていたが、



様々な要素が考えられた。






まずはその番組の構成。

『CBSドキュメント』でも気付いていたが、
単体のドキュメント自体の枠が小さい点だ。







約15分の短編を三つに分けているというもの。







この斬新なアイデアは制作のドン・ヒューイット自身に反映されたもので
彼が非常に短気で、多くとも15分しか集中力が持たなかったので、
当初はタイトルを『15 Minuts』にするか迷った、



というなんとも笑える秘話が明かされていた。










そして実質15分以下という短編ドキュメントに
かなりの密度で凝縮された内容がそこにあるのだ。





実際私も15分と改めて言われ驚いた。

それは今まで見ていたその番組のドキュメントで一つとも短く感じたことが無かったからだ。





ともすれば
余分な説明や再現シーンを挿入した30分かそれ以上のドキュメントよりも、
遥かにその番組の内容の濃さはそれを凌駕していた、
ということになる。








それを可能にしているのは
番組制作現場と、ドン・ヒューイットの信念にあった。











生前の彼の映像がそれを端的に表していたが、

75歳まで彼は現役で制作指揮に全力で当たっていたのだ。





その余りのバイタリティーに感心させられるが、仕事の同僚は決まってこう発言していた。






「ドンは少年のような心を持ち合わせた人物で、非常にエネルギッシュだった。
彼と仕事を共にする事は人生で得難い体験の一つである…









しかし反面非常に感情的で、
長くは一緒にいたくない。」









彼の番組制作にかける情熱は部下一人一人に隙間無く浸透しており、



細部までの徹底したこだわりに一切の妥協を許さない。




したがって常に現場では議論の怒号が飛び交っている。





また感服するのは
意見を臆さない部下達。


年が孫ほど離れていようが、こだわりを通すためには制作家とも剣を交える。











ドンはこう発言した。






「この番組は様々なエゴの塊が議論を生んで、なんとか部下とやってこれた。



議論こそ最良のものを生み出す方式で、



私の部下に議論をしない者は一人としていない。




議論出来ない者は話にならないからね。」










またその部下に対する彼の姿勢を表した発言がある。







「私の部下は私より遥かに頭がキレる。



彼らに助けられてなんとかやってこれた。」

















また彼は様々なアイデアが突発的に次々と浮かんでくるので自分では整理仕切らず、常に部下にそれを口頭で伝えている。







そのため
一人の天才の一瞬のひらめきで現場は常に左右されているのだ。







更にはそんな特別な環境であるためか、会議を必要としない。




誰一人として一定せず、偶発的で一見バラバラなようだが
ドンの存在があることにより、そこにある種の統一性が存在している。





これらは団体が一つの目標に向かって物事を成す作業における、ある一つの究極の理想形といえる。










また前にも述べたが、
ドンの信念として、
常に視聴者の立場を前提に番組は制作されている。



彼の特異な点は潜在的に、視聴者が何を求めているかを本質的に捉えてられているのだ。


彼は次のように発言している。



「例えばこの番組は子供が親に面白い話を聞かせてとせがまれたようなものだ。」






またその内容についても
当初からのこだわりがあり、
彼自身もニュースやドキュメントは本質的に“暗い”ということを認めているが、



「この番組で暗い要素だけでなく、明るい内容も合わせる事を試みたが、それが結局うまくいったんだ。」





と発言していた。






そしてその肝心のネタを収集するためには、どんなに汚くても手段を選ばなかった。


張り込みや、隠しカメラ、待ち伏せ…





時には過激になり過ぎて、パロディ化されてしまうほどだったようだ。



また日本では考えられないことだが、
詐欺師や殺人犯、更には世界的犯罪者までといった、実際に犯罪を犯した者がモザイクなしで記者とソファーに腰を掛けて対談しているという内容もしばしばあり、記者は容赦ない質問を次々と浴びせているのだ。




彼はこう語る

「詐欺師が何故自分の犯した内容を何のためらいもなく話すのか。
それは詐欺師は自分が詐欺師だとは思っていないからだ。」





また彼は取材する相手を選んでいる。



「引き出すだけの価値のある話を持つ人間しか取材しない。」




こう発言しており、

ある時ブリトニー・スピアーズへの取材依頼の話が彼にきたが、
彼はこれをあっさり却下した。

これは笑える。






また多くのスキャンダルも扱い、芸能人の知られざる一面(時には性生活といったものや…)等もこの番組はこれまで明かしてきた。









このように、
ドキュメントの内容のジャンルは様々で、
中には過激な内容を取り扱うこともしばしばあり、
良くも悪くも、

つまり
この番組『60 Minuts』は、

現代の報道のあらゆる礎を築いたのだ。










テレビ史においてドン・ヒューイットという名は忽然と輝いており、
現在の報道においても至る所に彼の影響が出ている。







もはや彼の『60 Minuts』は彼の人生そのもので、単なるドキュメントを越えたエンターテイメントという芸術であり、

誰もが知りたがる内容を
いかにコンパクトで
分かり易く
密度の濃い
洗練された

文章と映像、演出で

リビングに集まり、団欒の家族の興味を一瞬たりとも離させないか、

を究極に突き詰めたショウなのだ。








現在ではマスコミやパパラッチなどが忌み嫌われる対象となっている感があるが、
これもまた彼がそれに影響を与えたともいえるだろう。






しかし芸術とは全て美しいものだろうか?

泥の沼から生まれる蓮の花のように、
これもまた芸術の産物で切っても切り離すことの出来ないものだ。







あるジャーナリストは
ベトナム戦争の真っ只中、戦地へ赴き、戦渦の第一線まで進みその兵士達の生き様を間近で記録した。






彼は命からがら帰国し、
戦地で戦った兵士達にも劣らない威厳と誇りを持ってジャーナリストの何たるかを語った。





私はその言葉とその映像を見て、
全ての“伝える”という役割を持った人間への見方が180度変わった。





彼らも必死にその役割を果たし、生きる為に自らの体裁を省みない誇り高い仕事であると私は気付いた。








見る聴衆に対して全力で取材をする人間。
番組もまた一切の妥協せず、一切余分な説明もいれない
相手をバカに決してしない“大人”への最高の礼儀を尽くした報道。







これは言わずもがな演奏にも通じる本質的なことだ。















最後に賛辞と追悼の念を


故ドン・ヒューイット氏に捧げたい。




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