前の記事に、りかさんからどうやって日本語が上手になったか聞かれました(照あせる

せっかくなんで、コメントで返すより記事にしてみようと思います。



親父が車のシート椅子制作技術者ということで、

たまに日本へ出張したりして、おもちゃとかを買ってもらったんですが、

きっかけはファミコンだったと思います。

わけのわからない文字を見ながらゲームしているうちに、

大きくなったら勉強して理解してみたいと。



そして、大学に入って偶然、

週1回のアニメ鑑賞会をやってるMOAというアニメサークルに入会。

既に入っていた日本語上達者が、日本語を知らない人も内容がわかるよう

作品にテロップを入れてくれたりしていたので、

私も日本語が上達したらああいうのをやってみようと

独学混じりの日本語学校7ヶ月である程度日本語がわかるようになったのです。



まぁ、何よりも日本語を学ぶことにより

興味を持っていることが一つ一つづつわかるようりになるという

楽しさがたまらなかったと思います。

アニメ「めぞん一刻」は96話もあるのに、

毎日4話づつ見て3回転もしました。

1回目は30%、2回目は50%、3回目は70%と

同じ作品なのに、日本語の理解度の上昇により

ますます面白さが伝わってきたんです。



そして、大学3年生の時休学し軍隊に入り、2年2ヶ月間の兵役の終わり際に

大学卒業したら何やって食って行こうかなと真剣に考えていました。

何となく、自分の好きなことが職業になれればいいなと思ってたところ、

偶然読んでた雑誌のコラム「職業の世界」に、同時通訳士の話が載っていました。

「これぞ!」と思って、ならば日本へ一回行ってみようと

兵役終了から学校に戻るまで3ヶ月間、原宿のMCA日本語学校で勉強しました。

(原宿Condomania交差点のロッテリアのとなりにあったんですけど、

この前行ってみたらなくなってました。残念しょぼん



日本での生活は貴重でしたね。

あの頃も日本語能力試験2級は取ってたんで、意味はわかってるものの、

韓国では日常会話あまりやってなかったんで伝えたいことが上手く伝えず

困っていました。

それで、できるだけ外に出て、道を聞きながらフリートーキングを仕掛けたりあせる

3ヶ月はあまりにも短い時間だったので必死だったと思います。



何とかその経験から勉強方法の修正ができて、

通訳士の予備校でスパルタ訓練(新聞社説を聞き取りその場で翻訳など)を経て

何度なく今まで至ってるわけですが、まだまだですね。

常に新しい表現・読めない漢字にぶつかってるわけです。



ただ、言葉は人に心を伝える道具であり、中身を乗せて送る船だと思います。

立派な船に港に着いたって、船から降りる乗客や荷物が品がなければ意味がない。

語学を極めれば極めるほど、痛感するところですね。A=´、`=)ゞ