師走も僅かとなった平日、
一日休みを取りまして、年納めの鑑賞デーと名付けました。
 
向かった先はいつもの上野。
年の瀬だというのに、園内はまだ紅葉の木々でカラフル!
 
お決まりのロダンも華やか!
 
 
昨年は春夏秋冬、上野公園内の美術展にお世話になった。
世界中からやってくる多くのコレクションを、こうして愛でることが出来るのは有難いなあと思います。
 
この日園内で開催されているラインナップ、これだけの充実度に改めて驚くわ!
 
 
 
 
 
さてこの日の第一弾は、
 
 
ルーベンス展―バロックの誕生
 

 
彼の名を聞いて多くの日本人が思い浮かべるのは、フランダースの犬。
 
教会から差し込む朝日を受け、清らかに輝く天使をやっと見ることが出来た後、一人と一匹は安らかに召されました…という、どいうしても悲しいアノくだり、なぜこんなに印象深いのだろうか…
 
 
 
 
 
さてこうして出かけてみたのですが、普段、宗教絵画は苦手としている分野でして、また教会そのものも苦手というか、ものすごく観光地で万人が立ち入れるような場所ならまだしも、ふらり立ち寄ることはありません。教会=心からその宗派を信仰している人々が集う場所、なるイメージが強く躊躇してしまう。
 
 
こんな風に思うようになったきっかけを振り返れば、遡ること齢5,6歳頃で、当時住まった小さな街にあった子ども礼拝でした。イースターにはエッグペイントを、クリスマスにはリース造りをと、子供の喜ぶイベントをたくさんやってくれてあたたかい人たちだった。でも集いの日には必ず一つ、聖書の物語の読み聞かせがありました。
 
その後留学先でもクリスチャンユニオンというササイエティーがあって、概して彼らは慈愛があり、留学生の面倒を率先してみたり、ボランティアに精を出し、清らかな人々は優しく情に厚い。そんな彼らとの接点もあり、私も何度か誘われ集会に出入りして、クリスチャン系の歌やサウンドの美しさには聞き惚れました。
 
 
でも心の底から信じている彼らと時を過ごす時、同じ崇拝を持たないことによる違和感も募り、住む世界はそれぞれだわねとひしひしと感じたのでありました。
(そして正直なところ、結局私はかようにウツクシイ音楽より、ミラーボール回るホールでシャキーラに乗って踊り乱れるのが大好きな学生でしたから、まぁ個人的なご縁はそれまでとなったわけだ。笑)
 
 
公園内のパンダポスト♡
香香ももうすぐ帰っちゃうんだよね…
 
 
 
御他簿に漏れず宗教心に疎い我が家、カトリック幼稚園育ちの母は、娘たちを仏教徒の保育園に入れましたし、まぁめちゃめちゃ。汗
 
しかし大学時代の数少ない英国友人のR、彼女は信仰心或る両親の下で育ちましたが、ある時より思う事あって離脱…。しかしこれはこれまで生きてきたバックグラウンドの喪失と言えるほどの変化であり、改宗という現実を彼女通して目の当たりにし、これは中々日本では知りえぬ感覚だと衝撃を受けました。
 
 
クリスマスには大喜びでツリーを飾ってきて、今もウカレますけれども!、とり急ぎ葉書には‘メリークリスマス’ではなく、Happy Holidayと記している。(あ、国内では別に使うけど!笑)
 
 
 
 
ところで共産党により宗教NGな中国では、今年クリスマスが禁止された。あれだけ開催されていたクリスマスマーケットは軒並み無くなったって、まさか!上海のあの素敵なイベント感が失われたなんて、悲しい。中国版SNSではクリスマス事をつぶやくことすら控えなければ、と聞こえてくる始末なのだ…
 
韓国や東南アジアの友人達は、上海の地でも毎日曜日必ず教会へ通っていた。どんなに土曜の晩酔っ払っても、疲れていても、毎週きちんと礼拝に行く。大丈夫かなあ。
一党独裁政権という、ある種の宗教・・・
 
しかし人様の国のことばかりじゃない、ゆる~いルールとひく~い政治的関心にも関わらず、右ならえ右が出来るここ日本も、中々のスピリチュアル大国だと思ふ。。。
 
 
 
そんなわけで私にとって教会は、ただミーハーに足を踏み入れるのをちょっと躊躇する世界なのですが、でも世界中往々にして、そこには素晴らしい絵画にアートが溢れているのだから悩ましい…。
と言っても、やっぱり宗教画の良さは、その教えを知らずして解釈は難しいと、今回のルーベンス展でも改めて悟ったのでありました。
 
 
エントランスからジーザス!
の、迫力あふれるボードがお出迎え。
 
 
 
さて、オランダで生まれたルーベンス氏は、画家の枠にとどまらず、自らも美術収集家であり、そして人文主義学者として高い知識を有し、はたまた外交の手腕もあったそうな!
 
彼の作品というと概して巨大な絵画が思い浮かぶけど、それらも全部が全部彼が手がけた訳ではなく、作品生産に当たっては工場を経営し、頭は彼、胴体は弟子たち、なとどいう作品作りをしていたそうな。絵画をいかに効率的に生産し、それを通した宗教活動の普及に努めたかという点で、こうした過程はとても興味深い。
 
 
それでも合作作品はどこかちぐはぐで、
彼ならではの肌色に赤みを取り入れた表現は
素晴らしくあたたかみがあると感心。
 
 
 
かりし頃は生まれ故郷を離れ、憧れのイタリアで修業を積んだルーベンス。その後もヘレニズム彫刻やルネサンスの影響を大いに受けた作品たちが、此処ウエノに集っていた。
 
自画の確立の過程で、貪欲に様々な文化的影響や他国の手法を取り入れた彼は、聡明で探究心の深いお人柄だったんだろう。
 
 
 
 
さて、私が今展示会で注目したのはコレ; “ 観相学” なるもの!
 
当時脚光を浴びていた迫力ある彫刻のように、人体を絵に落とすために、人間の顔を雄牛やライオンなど動物に重ねて修練すると言うこの手法、初めて知った!
 
チョット怖いんだケド、こんなん
 
 
この観相学(physiognomy) って、ずい分古く擬アリストテレスに端を発し、18世紀後半より随分な盛り上がりを見せたらしい。そしてこの学問は絵画の手法領域にとどまらず。生来犯罪者や娼婦らに共通する人相の研究等々まで広がり、当時の権力者たちにとって都合の良い統治ツールでもあったようだ。
 
 
その後の経過も面白くて、「表情=テキストとして解析する」学派が生まれ、はたまた「人が外部的刺激に対し表情を作るとは偽り・演技であるが、それこそが人間の‘常態’である」という下りなども、面白い。
 
うんうん、私たちが“意識して生産する表情”って、たーっくさんあるものね~うふふ
 
 
 
 
ところで私は年明け早々、慣れない温泉で湯あたりしたのか顎がかぶれた。
ちょっと見るに堪えないから、マスクをして出勤。
 
それで思ったんだけど、目しか見えないとなるとこれ実のところ、かなり楽である。
 
誰かが何かを言っても‘表情’を作らないでいいんだもの。マスクの下はこけしのような仏頂面で、アリガトウ・スミマセン・トンデモナイ・オサキニシツレイシマ~ス♪
 
 
でもやばいやばい、こんな布一枚で、表情筋をさぼらせていてはイケないわね。。。
 
最後にもう一つ良かった作品*
こちらルーベンスじゃあない、いや誰の作品かわからない彫刻だそうですが、ナポリ博物館からの‘ かがむアフロディテとエロス ’。愛らしかった♡
 
日常のおおかたを作りあげられた表情筋で過ごしてたとしても、たまに‘ほころんじゃう’なんて瞬間もあるもんダ♪
 
 
いうことで、年明け早々表情筋はこわばってますが、徐々に柔和にしよう!にひひうひひ