ああ、タイトルがSurvivorだから、
Dさんがどうなったかバレてしまうな。
まあ、いいや。
「最初の二年間はみんな死んだ。」
という昔話をよく聞いた。
APL(7)で登場した血液班チーフのセリフである。
この人はかつて移植のリーダーだった。
そして、私の大学で移植を始めたとき、
ちょうど若手の主治医をしていた世代である。
F助教授の兄貴分のような人だった。
シアトル・グループという世界で最も有名な、
移植グループがある。
マリナーズのある、あのイチローが住む、
アメリカのシアトルである。
骨髄移植を世界に広めた総本山として高名だ。
そのシアトル・グループが使用し、
世界に公表しているシアトル・マニュアルがある。
骨髄移植のマニュアルである。
世界の移植医にとってのバイブル。
血液班チーフの世代が若手だった頃、
「うちでも骨髄移植をはじめよう!」
とみんなで団結して、見よう見まねで始めたそうだ。
まずはシアトル・マニュアルを、
みんなで手分けして日本語に訳して、
日本語のマニュアルを作ったそうだ。
それで「よし! これでいくぞ!」と。
その結果、冒頭のチーフのセリフとなる。
「最初の二年間はみんな死んだ。」
これでいくぞ!で始めてみたら誰も助からない。
「三年目で初めてやっと生き残る人が出た。」
三年目でみんな成功するようになったのではない。
やっと「死なない人」が出るようになったのだ。
その後、年を重ねるうちに助かる人が増えていく。
うまくいくパターン、ダメなパターン、
そういうものが掴めてくる。
マニュアルはマニュアルにすぎない。
実際に現場でそれをどう生かすのか、
それはたくさん経験していかないと分からない。
「いまはさ、移植後合併症で死ぬっていってもさ、
移植後50日とか80日とか、それくらいもつだろ?」
チーフはしみじみという。
「昔はな、移植後7日とか10日とか15日とか、
それくらいでバタバタ死んでいったんだよ。」
「でもさ、心臓のオペとか、脳外科のオペとかも、
やりはじめは同じ感じだったんじゃないかな?」
生き証人である先輩たちから、
私はよく昔話や苦労話をしっかり聞いた。
とても興味深かった。
私たちの世代が移植をやる上で、
当たり前のこととして当たり前にこなすことが、
それらのひとつひとつが、
最初は「当たり前のこと」ではなかったのだ。
全て先輩たちが試行錯誤しながら、
「これはこうするべき」という認識を共有していき、
そのプロセスから「当たり前のこと」になったのだ。
死亡者という貴重な犠牲を出しながら。
私はある一冊の本を読んだことがある。
白血病で息子さんを亡くした父親の手記である。
若くして白血病になってしまい、
通常の化学療法では治らなくて、
このままでは確実に死んでしまうという状態で、
その頃、最新の治療として登場した骨髄移植に、
わずかに残された希望を賭けた人、の父親だった。
私の大学病院のかつての患者さんだった。
そして、
ちょうどチーフたちの世代が移植を始めた頃に、
なかなか助けられなかった時代に、
移植を受けた人だった。
その人のお父さんの書いたその本には、
その若い患者さんや家族が、
どんな気持ちで「最新の治療・骨髄移植」を受けたか、
とてもよく表現されていた。
「あとはこれしかない!」
「もうこの治療に全てを賭けるんだ!」
「これでダメならもう仕方がない!」
読んでいて、ひしひしと覚悟が伝わった。
その若い白血病の患者さんは、
移植後合併症で、残念ながら亡くなった。
「最初はみんな死んだ」という時代の人だ。
そのお父さんは、
息子が死んだのは無念だし悲しいのだが、
できることは全部やった、という気持ちがあったらしい。
少なくとも本にはそう書いてあった。
私の大学病院は、私がいた頃、
AML、ALL、AA、MDSなどの通算移植成績は、
全国平均と比べて同じレベルか、
ほんの少し上とか下とかというくらいだった。
しかし、CMLの成績はすごかった。
CMLは移植後5年生存率が、なんと85%だった。
世界平均も日本全国平均も65%なのに。
日本のトップの名古屋グループでもそれくらいなのに。
私がいたころの私の施設は、
あくまでCMLの移植にだけ限っていえば、
世界でもトップクラスといえた。
お家芸だった。
AML: acute myelogenous leukemia
(急性骨髄性白血病)
ALL: acute lymphocytic leukemia
(急性リンパ性白血病)
AA: aplastic anemia
(再生不良性貧血)
MDS: myelodysplastic syndrome
(骨髄異形成症候群)
CML: chronic myelogenous leukemia
(慢性骨髄性白血病)
世界に誇れるくらいのお家芸のある施設であっても、
そこまで辿り着くのに、
屍の山を乗り越える必要があった。
「最初はみんな死んだ」という時代さえあった。
多くの主治医ががんばって、
多くの看護士や検査技師ががんばって、
多くの患者さんと家族ががんばって、
それで現在の移植チームがある。
このようにして20年近くの歴史を刻んできた。
その20年近く歴史をもつこの移植チームでも、
重症型の急性GVHDは、
それまでに誰ひとり助かっていない。
一般に重症急性GVHDの死亡率は、
およそ80%といわれる。
世界中のどこの移植施設においても、
救命するのは困難を極めた。
その重症急性GVHDに、
Dさん、F助教授、そして私は、
これから全力で戦いを挑むのだ。