色々な意味で、メジャー色を強めつつあることに懸念している。喋り手に関根勤や水道橋博士を入れるという点、観客と称してヒロミ・ゴーや杉本彩、叶美香をガヤとして出演させること、今までのすべらない話を堪能していた視聴者が興ざめしてしまうキャスティングのように見える。一応、HDDで録ってチェックしようと思っている。





「景浦景虎」阪神へトレード?! - 「戯言」?ダイアリーで第一報(笑)を伝えたがなんの前振りも無しに景浦景虎の阪神タイガース行きが正式に決まってしまった。これで、水島新司の過剰なまでの野球国粋主義と言うのが明々白々となってしまったわけだ。そして、何回か試みられた景浦安武を慕う架空の後輩選手キャラも登場したが、これも今までの通例通りに自然消滅してしまうことであろう。





ともかく、ゆるい、ふやけてしまった。さんま、所、ダウンタウン、ウンナン、鶴瓶が勢揃いしていた頃に比べると雲泥の差である。そう言えば、笑福亭鶴瓶がこの番組に出なくなってしばらく経つが、なぜに出なくなったのか、理由が定かではない。バカンスでもう別荘のあるハワイに行っているわけでもなく*1、あまり鶴瓶が今の特大号のスタイルになじめていないのか。本当に中村勘三郎では無いが「あんな番組辞めちまえばいいのに」と言ってやりたいほどである*2。そして、香取慎吾のモノマネでは「美輪明宏」という名前は一切出さなかった。清水ミチコの新作リップサービスにおいても美輪明宏らしき人のモノマネをしているのだが、許可が下りていないという理由で名前は出されていない。ちなみに、黒木瞳らしき人のモノマネもしているようだが、これも許可して頂きに伺おうと思ったら門前払いであったらしい。まぁ、美輪明宏の場合、論破されてしまう何かきちっとした理由を言って、渋々納得しているのかも知れない。とりあえず、りあるフェイスだった太田光の死神と、ライス国務長官でもありロナウジーニョでもあった大竹一樹がMVPかと思う。




*1:30日深夜恒例「朝まで生つるべがある」


*2:鶴瓶的には、当時のいいともスタッフ(佐藤義和等の横澤班)に恩義があるから、この番組は辞められんと勘三郎に反論したらしい





年末モードと言うこともあってか、週刊文春の年末合併号が今日発売。注目していた小林信彦の「本音を申せば」は締め切り日の都合か、青島幸男の話ではなく少し残念であった。おそらく、年頭の題材はあの訃報の特異日のことを取り上げるであろう。文春で必ず読むのは、小林信彦のコラム→亀和田武と青木るえかの隔週交替コラム「テレビ健康診断」(亀和田武の時は特に注目)。→シネマチャートにおけるおすぎの映画評→清野徹のドッキリTV語録→考えるヒット(by近田春夫)と言ったところである。考えるヒットは近田春夫の論評よりも、安斎肇のやっつけ仕事ともいえる挿絵を見て、締め切りからどれくらい過ぎて書いたんだろうという詮索をしながら見るのが楽しみである。で、、、明石家さんまの不幸?と言える題材を取り上げたのが「TV語録」である。TVにおける若干ずれたコメントやせりふを、清野徹のずれた感覚と視点でますますおかしな方向へ向かうという、なんともびみょ~なコーナーで、そのズレ具合を苦笑するのがここ最近の常である。が、今回、「さんちゃんねる」における『ばぁば』(鈴木登紀子)とのやりとりで、例の「ふぞろいの秘密」をネタにした話をした時についてて書かれていた以下の文章(太字の部分)を読み、頭の中は「?」マークだらけになってしまった。



大方のところ(新聞の読者投稿論、視聴率)では、さんまのこの新番組、不評のようだ


私の正直な感想では、ばぁばとの料理づくり、やめた方がいい、とは言わないが、もっと後に回したならば、段々とよくなるホッケの太鼓だ、と思う。


そういった意味でのテコ入れではないだろうが、今回スタート直後にいきなりタイムリーな話題に切り込んだ(?)。


工藤静香に「ベッドでは文ちゃんフツーの人だった」って書かれたよ、と言われたさんま、臆することなく受け止めた。私の知る明石家さんまは、この手の問題は逃げて逃げまくる。例えばさんまの“洗濯女”と言われ、後、自殺した元アイドルの時もそうだった。今回の泰然自若ぶりが本来のさんまなのか?



私の知る限り、「洗濯女」というのは、大阪・福島のマンションに住んでいたとき、熱狂的なさんまファン?とおぼしき女性にむげに洗濯物を放っぽり投げ、家に入ろうとするのを足蹴にして、ドアのそばでうずくまりながら「さんちゃん。さむい」と言うのを目撃したという、島田紳助の「さんま話」珠玉の一席としか認識していない。何かたちの悪い妄想をしてしまっているのだろうか?と、一日考えていた。強いて考えられる人物を挙げるならば、「サダデーナイトショー」でアシスタントしていた頃から仕事付き合いがあり、ラブメイトテンにもしばしば登場していた?と思われる可愛かずみが若干可能性があるのかと思うくらいである。


とりあえず、情報求ム





文頭のタイトルにもなっている「恵まれた日本人へ-『観衆もメディアも負けたチームに優しすぎる』」キャプションにもなっている「日本人は礼儀正しいが、その背後に何かが隠されているようにしばしば見える」等、日本人の根幹をかなりオシム的な視点でかなり突き詰めており、サッカー論というより、一ボスニア人から見た日本人論という観点で見れば非常に興味のある内容だ。とりあえず、オシムは日本人が凝り固まっている「固定観念」を振り払うために硬軟織り交ぜて語っているという印象を持った。とくに歪んだ「ヨーロッパサッカー偏重主義」というのをかなり忌み嫌っているというのは明確である。日本人論をついた内容で言えば「(日本人)は過剰な敬意を払うか、まったく何もしないのかどちらかだ」というのは今の日本マスコミの痛いところをついているかなと思った。ただ、「日本はサポーターもメディアもプロ化すべきだ」等、サッカーに関した内容についてはセルジオ越後が何度も何度も口を酸っぱく言っていることの繰り言にしか聞こえなかった。とりあえず、最後の質問という問いに「最後というのはありえない」という答えに欽ドン賞決定。