先週2月6日土曜は、久々によろしき天気。夕方は天気が崩れるという予報でしたので午前中から自転車お出かけをすることにしました。

ただ、ロードバイクの黄ロナゴ君はルモンド・ヴェロ総合病院に入院中ですので、初号機クロスバイクのバッソ・デビル、愛称デビ男君が3年ぶりの遠出にリフトオフとなりました♪

山口市小鯖から防府市台道に抜けますと、その日の最初の目的地、岡条と言う名のエリアに至ります。







ここですね。
このあたり実は大内氏に替り毛利氏が現在の山口県を掌握した頃に、大内氏本家本元の血を引く大内輝弘がはるばる豊後(大分県)から乗り込んで「乱」をおこした激戦地なんです。

しかし、標識や案内板が皆無(^_^;)




かなり探査しましたが、やっと見つけたのがこれ。二百人塚の念仏石です。ようけ亡くなってますね……



この赤い矢印がこの碑があるところです。

ネットで調べると他にも激戦の碑(六百人塚!)があるそうですが、残念なことに見つけられませんでした(T T)
どれだけグルグル探したかはこの写真の青い足跡をご覧下さい(笑)

さてここからは、防府新大橋を渡って次の目的地に向います。





ルモンド・ヴェロ記念病院(ん?病院名が変わったって?)へとうちゃこ


黄ロナゴのお見舞いに来たのです。





フレームは鮟鱇の解体のようにぶら下がり




ステアリングコラムとフォークも外され






クランクやペダル達も箱の中へ。
完全にばらされています。
まあ、オーバーホールですから当然なんですけどね(^ ^;)


主治医のF氏から病状説明がありました。


F 「ヤマポタさん、結構深刻ですよ……」
Y 「えっ! 先生、病名は?」
F 「ヘッドパーツやっちゃってますね。ベアリングのグリスアップとかいう状況ではないです。グラグラです」
Y 「じゃあ交換ですか……」
F 「その必要があります」

シフトワイヤー&ブレーキワイヤーの取り替え、ボトムブラケットやチェーンの換装、ホイールのハブベアリングのグリスアップは想定内でしたが、何とハンドルを司るヘッドパーツが壊れ始めてました(*_*)
カラムスペーサーの高さ変更や例のSonyアクションカムの取り付けで頻繁にヘッド周りを弄っていましたので、その際の自分の不適切なセッティングで徐々に症状が進行したようでした(T T)

もうしばらくの入院が必要です。ただ、汚れを落としてもらっていて文字通り新品のようになっていました。因みにシフトワイヤーの件は、右側ブラケットカバーで覆われたシフトワイヤーが出たとこですぐ部分離断を来しほつれていたとのことでした。

わたくし、ロードバイク趣味というのを少々なめていました(^ ^;) 速くても時速20㎞程度で購入したままの状態で使用するママチャリとは違う、自転車という形態の乗り物の能力を究極に引き出しているロードバイクでは2万km以上も正式なメンテせずに乗ることがいかに危険かを痛感。
大きな事故にならずについていたのかもしれません。
イメージとしては、スポーツカーを車検なしに5万kmとか走ったらどうなるかという事ですね。


コルナゴ君との面会が終了して直ぐに帰宅するわけがありません。ある意味この日のメインイベント。

防府市富海(とのみ)の旧街道山陽道は茶臼山という山中を走っています。途中からほぼ林道です。
実はそこにある史蹟に行くのが大きな目的。


今年のテーマは「原点回帰」

このたびはコルナゴに乗れないため、かつて数々の歴史探訪の相棒であった初号機デビ男で奇しくも出かける事にあいなった訳ですから\(^-^)/ 



旧国道2号線、現在の県道58号線で東に走り、そこから山陽本線を越えて富海駅の方向に海沿いの市道を走ります。





こんな景色。



海を見ながら走られる路面良好、対向車なしの道。
自転車乗りには、なかなかいい感じです♪






そしてこの激坂に至ります。
この坂そのものが旧街道たる山陽道で、橘坂という名前です。
フラットバーハンドルはダンシングがしにくいので少々登りにくかったのですが、以前よりはデビ男で登れるようになってました。
この3年間で体幹がだいぶ強化されているようです(^0^)v


この先からは




ご覧のように砂利道落ち葉道となるため、躊躇せず押しチャリ~をします。





途中、山陽道の説明板があります。デビ男の前にある岩は手懸岩と言う名前。
かつての旅人が手を懸けて休んだとか……。

手を懸けろというなら





もちろん懸けますがな(笑)
この写真、やや火曜サスペンスの薫りがしますね……


で林道を自転車を押して進んでいくと




ここ、茶臼山古戦場跡に到着。まあ、中々の雰囲気。霊感ある人なら何か感じそう(笑)
やや、ホラー映画の薫りがしますね……

で、この説明板のすぐ上に




祠がありまして、大内輝弘公を祀っているのです。

大内輝弘公が何者でどのような運命に遭ったのかというのは次回の歴史ブログ記事で扱いたいと思っています。

この後も、もしかしたらどこか大内氏所縁のものがあるかもと思って自転車を押して歩きましたが、残念ながら




この、山陽道のショートカット記念碑くらいでした(笑)明治時代に設置されたみたいです。


この後は、まあ特別にお話するようなこともなく走り無事に帰りました。

計89㎞のお出かけでした。
デビ男くんも久々に遠くに連れていかれて嬉しそうでしたが、乗った当人は軽量でドロップハンドルのカーボンロードバイクと重くてフラットバーハンドルのアルミフレームバイクの違いがよくわかりました。

やはり、疲れる……。特に手のしびれが目立ちます。また、右の膝と股関節にやや痛みも出ました。
89㎞走行・獲得標高300mの内容でしたが、感覚は120㎞走行で獲得標高500mの感じです(笑)

でも正直、大変楽しかったですね♪ ただシフトの調子が段々悪くなりその点だけがツラかったです。


以上、久々に初号機に跨り歴史探訪をエンジョイ、ただ入院中の二号機は結構重症でしたというお話でしたm(__)m