※この記事は2022年11月30日と2023年3月5日にJUGEMブログに投稿した記事を再構成したものです。
私は酒が大嫌いで、酒で盛り上がる所や酒の出される所には行きたくないし、酒を勧める人や押し付ける人とも関わりたくない。私が言いたいのはこの一言である。「相手が嫌だと思っていることに干渉するな」
しかし、酒に人生を委ねてしまっている人にとってはそうしたくないらしい。特に私の親は「酒を飲めるようにしておかないと人様から嫌われる」と言って酒を嫌う私を詰るのだった。それで傷ついた人が世の中にどれだけいることか。アルハラのニュースを見ても親は「酒を勧めるだけでハラスメントになるとか信じられない」と言い放つ有様で、ここまでに至ると人間として信用できなくなる。
飲酒を嫌ったり、そもそも飲酒ができなかったりする人に、酒を勧めてはいけない。できることは相手の意思、相手の立場を理解し、認めることだけである。それができない人は、人と関わる資格がない。
もっと言うと、他者を尊重しない人は酒を飲む資格がないとも考えている。誰かと一緒に飲むか飲まないかという話ではなく、他者を尊重しない人は他者の迷惑も考えないし、好き嫌いも意思も全く理解しない。自分の価値観を相手に押し付け、それに合せなければ人として認めない。このような人は飲酒以前に人として最低限のマナーすら守っていないため、人間の飲み物である酒を口にする資格がないのだ。アルコールは人格が優れている人だけが飲むことを許されるべき。
私がとりわけ無駄だと感じる飲み会は、会社などで行われる忘年会である。
半ば強制で、中には本当に強制している企業もある。自分のことに時間を使いたい人にとって、忘年会に参加させられることは迷惑以外の何物でもない。酒を飲んで騒ぐよりも、家族、パートナー、気の合う友人と過ごす時間を作ったり、趣味や自己研鑽に時間を使う方がずっと有意義である。忘年会に限らず大人数が一堂に会する場面を敬遠する人に対して、参加を求めてはいけない。
特に酒を飲まない人を悪く扱う忘年会に参加を強制されるとなると、もう最悪だ。実質的に酒が主役の忘年会に参加させられ、そこで酒を勧められて不快に思った人も多いはず。
日本の異常な酒文化は飲み会だけでなく路上飲酒も同様で、路上飲酒はそれ自体が不健全である。明らかに迷惑行為に発展するからだ。
悪い伝統は早々に断ち切ることが求められる。酒に支配されている人であれば悪い伝統などと思わないだろうけど、誰かの迷惑になっている状態は明らかに不健全なのだから、忘年会も路上飲酒も悪い伝統なのだ。
忘年会なんてオワコン
未だに忘年会をやっている会社があるようで、これが無駄な集まりであることは、実際に忘年会に出てみて思ったことである。
新型コロナウイルスの感染拡大以降、忘年会は軒並み中止になった。しかし、コロナ禍が過ぎたら忘年会を復活させたという会社まで存在するという。
ところで、忘年会を疎ましく思う人にとって、忘年会の存在意義は理解できないもの。あれって本当に何のためにやっているのだろう。
前例主義の人たちからすれば「一緒に飲むことでコミュニケーションが生まれて人間関係が深くなる」ことを理由に忘年会を正当化する。しかし、仕事上のコミュニケーションすら支障をきたす相手と一緒に酒を飲んだところで、仕事が円滑になるわけではない。日頃から陰で悪口を言う人であれば、忘年会で酒を飲んだら公然と暴言を吐くだろう。そして喧嘩に発展する。こんな状態で人間関係を深くできるわけがない。
そして忘年会が馬鹿げているのは、会社によって強制参加や参加要請、或いは強制でないと言いながら参加してもらうように圧をかける連中がいることだ。そもそも会社には、就業時間外の行動について労働者に指図する権利がない。会社主催の忘年会は、就業時間外の行動であるはずだから、強制は勿論、勧誘も厳に慎むべきだ。同調圧力がある会社だったらブラック企業確定だ。
不参加を理由に差別的に扱ったり、叱責したりすることは言語道断であり、断じて許されない。もし忘年会の不参加を悪く言うような会社だったら、忘年会以前に会社自体がオワコンである。
好きで忘年会に参加する人であれば別にとがめるつもりはない。
問題なのは、参加したくないのに参加を求められる場合である。強制参加や強引な勧誘をしている時点で惰性が露わになっている。参加を強制しないと付き合ってもらえない忘年会なんて、一体何のためにあるのか。そんなことをするくらいなら忘年会なんて止めるべきだ。
勿論「オンライン忘年会」なるものもNG。飲食店であれオンライン会合であれ、参加したくない人を巻き込むのは言語道断。
忘年会など飲み会への参加を強制する人たちは明らかに人格に問題を抱えている。強制している時点で他者を尊重する姿勢は皆無だからハラスメントになり得る。各種ハラスメントは自己愛性パーソナリティ障害(NPD)を疑われる問題行動であり、飲み会に参加しないことを非難する人に出くわして困っている場合は精神科医などの専門家に相談することを勧める。
実際には法律問題として労働基準監督署か弁護士に相談する方が手っ取り早いけど、ハラスメントをする人たちは基本的に遵法意識が希薄なので、指導に従わないケースも珍しくない。とは言え法律は強制力があるし、酒を断るべきではないというマナーより、飲酒を強要してはいけないという原則の方がずっと上だ。
低俗な飲み会に金をかけるべからず
しかも忘年会などの飲み会は何よりコンテンツの質が低い。質の低いコンテンツも然る事ながら、世代を超えて楽しめるレクリエーションがない。また、年配社員が主導権を握るため、特に若年層から敬遠される一因となった。
忘年会は大抵、上司のつまらない挨拶に品のないレクリエーションが付き物。
二次会ともなればより質が低い。既に酔っている状態で始まるから、参加者の品格は崩れている。単なる無礼講の方が遙かにマシな状態だ。二次会がカラオケの場合、選曲によって年配社員と若手社員の世代間ギャップが浮き彫りになり、お互いの選曲に馴染めないこともしばしば。
忘年会などの飲み会は進むにつれて、酔った人たちだけで盛り上がるようになる。酒を飲まない人は蚊帳の外だ。飲む人と飲まない人が乖離し、お互いに楽しむことはできない。
そして飲み会の悪しき名物は”愚痴”である。そもそも愚痴は飲み会に限らずアウト。様々な本やYouTuberが「関わってはいけない人の特徴」として紹介するほどの悪行である。
愚痴を言う人に共通することは、本人の落ち度を認めず他者からのあらゆる指摘を受け付けない他責思考に支配されていることだ。他責思考の人の会話は他人の悪口や噂話が多いことが特徴だ。いずれも他人を非難したり論ったりする「他人の話」だ。なぜ他人の話をするのかというと、他人を下げることで自分を相対的に良く見せるためだ。優秀な人であれば、他人を下げなくとも自分の実力を証明できる。しかし他責思考の人はそれができない。つまり他責思考の人は無能であって、そもそも他者から評価されていない人たちである。
愚痴が名物になっている忘年会って、言ってしまえば無能な社員が集って慰め合っているだけなのだ。そういう人が酒を飲んで酔っ払ったら、感情に任せて次々に愚痴を言う。
忘年会に無理矢理参加させられ、愚痴を言う人に囲まれたら、もはや最悪である。肯定すると相手の他責思考を助長させるし、一緒に愚痴を交わしてしまうと自分まで他責思考になってしまう。愚痴が飛び交う忘年会は百害あって一利なしだ。
忘年会で愚痴を言う無能社員であれば他者を尊重することはないため、酒を飲まずに輪から外れた人に対して「一緒に盛り上がりたいなら酒を飲め」などと飲酒を押し付けることも平気でする。アルコールハラスメント(アルハラ)も一種の愚痴だ。当の本人たちは自分が悪くないと思っているから、酒を飲まない人を非難することがハラスメントであることも、間違っているとも全く思っていない。
そもそも飲酒の有無に関わらず、相手を尊重しない人とは関わるだけ無意味であるから、愚痴の飛び交う飲み会は参加してはいけない。
愚痴の飛び交う忘年会は何と言ってもお金の無駄遣いである。無意味で低俗な忘年会にお金を費やすなら、優秀な社員の賞与に転化したり、会社の設備や備品に使うべきだ。忘年会をやる会社はお金を使う優先順位を誤っている会社であると言えよう。
参加費を徴収する忘年会だったらもっと酷い。自分の意思で参加するならまだしも、強制的に参加させられて参加費まで徴収されるなら明らかに搾取である。ちなみに、会社の飲み会が強制参加かつ参加費徴収である場合は違法であるため、心当たりのある会社員は労働基準監督署または弁護士に相談することを勧める。
路上飲酒は法律で全面禁止に
忘年会と共に日本の悪しき風習となれば路上飲酒であろう。路上飲酒は諸外国でも頻繁に見られることであるけど、諸外国でも昔から続く迷惑行為と言えば路上飲酒である。
コロナ禍では飛沫感染のリスクが高まるため当然ながら好ましくない行為であった。大人数がマスクを外して密集し、ウイルス飛沫は散り放題。嘔吐ともなれば最悪だ。吐瀉物から何らかのウイルスに感染するリスクもある。冬場に問題となるノロウイルスは吐瀉物から感染しやすいから、コロナでなくても問題だ。しかも吐いた本人は決まって片付けない。
しかしコロナ以前でも、酔った人々が騒いで様々なトラブルを起こすことから既に問題だった。大人数が一緒になって騒ぎ出すのでウイルス抜きでも迷惑。しかも人の数に比例してトラブルも大きくなる。
ポイ捨てや飲み捨ては路上飲酒の名物と言えよう。店飲みをする人はまずやらない行為だし、自宅の部屋で飲み散らかすならまだ許せる。彼らは明らかに公衆衛生に興味がない模様だ。
人は一度酔っ払うとコントロールが効かなくなる。理性が効かなくなるため自分の衝動を抑えられなくなるし、他者にも従わなくなる。他人に絡むとなったらもう最悪である。酔って他人に絡むことは忘年会の強制参加やアルハラと大差ない。絡んでいるその時点で不当な拘束や嫌がらせになっているからだ。
他人の迷惑にしかならない路上飲酒はこの際、法律によって全国で全面的かつ恒久的に禁止することを提案する。渋谷や池袋みたいな人の密集するエリアに限らず、地方都市、山間地域や離島も含む。全ての公道、全ての公園、無人駅を含めた駅構内、ほぼ全ての列車、そしてコンビニ敷地内で、飲酒を全面禁止にするべきではないか。
既に東京都渋谷区では条例によって夜間の路上飲酒が通年で禁止されているが、それ以外の地域では残念ながら緩いのが現状だ。また、夜間のみの禁止では効果が薄いと思う。
加えてアルコール飲料の路上販売も全面的に禁止するべきだろう。
祭りの屋台で販売されるアルコール飲料はほとんど路上飲みが前提だから、路上飲酒の禁止に相容れない屋台販売も併せて禁止する必要がある。
コロナ禍では飲食店の対策ばかりに意識が向かっていた。しかし、飲食店による対策は、心ない人たちの路上飲酒によって無意味化された。本来問題視されるべきは、寸分の節度も持たない人たちによる飲酒である。
「やりたいんだから口出しするな」と言って好き勝手なことをするのはクソガキである。そもそも酒は大人の飲み物であるから餓鬼は飲む資格がない。法令で罰則を定めて、路上で飲酒する者を取り締まることが必要だ。
飲んべえを甘やかす社会を終わらせよ
多くの諸外国では路上飲酒が法律で厳しく禁じられているそうだ。何か迷惑行為を起こしたかどうかは関係なく、そもそも路上で飲酒する行為自体が犯罪とされる。
日本では東京・渋谷の路上飲酒は規制されるようになったけど、地方では全くといっても良いほど進んでいないのが現状。とりわけ祭りなどの路上イベントではビールなどのアルコール飲料が平然と売られている。これでは路上飲酒を推進しているではないか。
飲み会の参加強制、飲酒の強要は現在の法律に照らしても犯罪である。強要でなくても酒は他人に勧めること自体がアウトだ。しかし彼らほど罪の意識は希薄で、自分の行為が犯罪になると認めたがらない。
酒があって当たり前の飲み会に固執し、酒の付き合いで他人を評価するという間違った判断に固執し、好きな場所と好きな時間に飲んで何が悪いのだと言わんばかりに、飲んべえは自分勝手な行為を正当化してばかり。彼らの説く道徳や原則も間違ったものばかりだ。アルハラの加害者も、路上飲酒で他人に迷惑をかける人も、自己中心的な生き方をしている。
もっと言うと、アルハラ加害者には断酒させるべきであるとも思う。
この類の人たちにはアルコール依存症などの疾患が認められるケースがよくある。しかし、依存症でなくても自分の人生を酒に委ねている点で変わらないし、ハラスメントとなれば酒という条件を押し付けているからより悪質だ。
飲酒を強要する人が断酒を強制されたら、彼らはそれをハラスメントだと主張するだろう。しかしそれは特権意識の表れでしかない。飲酒する人が上であるという考えは自惚れであり、歪んだ自己愛である。彼らは他人に不快感を与えているという自覚がなく、他人に強制することも至って正当だと思うばかりか他人から強制されることは不当だと思っているからだ。
実際のところは、飲酒を強要する人に断酒を強制しても効果が薄いばかりか逆効果になる可能性もある。しかし、だからといって飲まない人に害が及ぶことがあってはならない。他者を尊重しない人は酒を飲む資格がない。たとえ満20歳を過ぎて成人しているとしてもだ。
飲酒は他者を尊重できる人だけが認められるべき。
路上飲酒は公衆という他者を尊重しない行為であるし、飲み会の参加強制は他者の意向を尊重しない行為であり、飲み会で愚痴を言う人に至っては日常的に他者を軽視している。彼らの飲酒は有害であり、関わるだけ不快感を募らせる。
酒を飲む資格がある人は相手を理解し尊重する人だ。先ず相手が酒を飲むか飲まないかを理解した上で受容するし、飲まない人に酒を勧めることは当然しない。飲む人には飲み方の提案はするけど、他者の飲み方に干渉することはない。大勢集まって飲みたいか、一人で宅飲みか、居酒屋やバーで会話しながら飲むか、そもそも飲むか飲まないかなどは好みや価値観の違いでしかないと考える。飲まない人と一緒に食事をしても空気が悪くなることはないし、人間関係も損なわない。アルハラの加害者とは全てが真逆である。
居酒屋やバーも、そして忘年会などの飲み会も、他者に飲酒を強要せず、マナーを守り、公衆の調和を乱さない人だけが入店や参加を許されるものであるべきだと思う。そうすれば飲まない人も、一人の時間を大切にする人も、気持ちよく輪に入れると思う。
