※この記事は2024年9月30日にJUGEMブログに投稿した記事の再投稿です。

 

 

副業や共働き。収入を増やすための営みは多くの人が望んでいるだろう。

副業をすれば多少は収入が増えるだろう。アルバイト、内職、ブログやYouTubeなど、時間外の営みで得られる収入は生活の助けになる。しかし、それで自分が、家族が、本当に豊かに生きられるだろうか。

 

現代では夫婦共働きが一般的になってきた。正規・非正規の問題は依然として残るけど、かつての「男は外で稼ぎ、女は家を守る」という常識はすっかり老害思考と化した。未だ専業主婦(夫)を望む人も少数ながらいるみたいだけど、共働きを望む人が増えるこの時代、配偶者に養ってもらいたいと望む人は疎まれる。そうした人は現代に於ける自立と相容れないからだ。

しかし、夫婦共働きが広まったのはあくまで、国がそのように働きかけ、仕向けてきたからに過ぎない。勿論、共働き自体を否定するわけではないけど、夫婦が主体的に共働きを選んだ結果かと言われると、こればかりは疑問だ。

多くの場合、不足を感じて夫婦共働きを選ぶわけだけど、必ずしも家族の生計を支えるためとは限らない。配偶者の収入に不満があるからという理由で共働きを選ぶという、みっともない状況も少なからず存在する。そうした消極的な共働きは家族を支えるためと言い難く、依存するだけの関係を辛うじて維持するだけだ。

 

独身者や片働きの場合、副業を考えたり、給料の多い職場への転職を考えたりする人もいるだろう。実際に副業をしたり、転職活動に乗り出している人もいるだろう。

ハラスメントの横行や長時間過密労働など職場に明らかな問題があって転職する場合はやむを得ないとして、副業や転職の理由が収入増にある場合、かえって神経をすり減らす結果を招くことがあるのだ。

特に影響を及ぼすのは時間で、副業で自分の余暇が消えたら収入増でも意味がない。転職で会社までの所要時間が伸びても同じだ。副業しても余裕のない人はいるもので、その多くは時間の使い方で損している。

 

時間の使い方と関係するのは、努力の方向であろう。収入を増やす努力か、増やさない努力、場合によっては収入を下げる努力かも知れない。

努力の方向が変わるだけで、時間とエネルギーの使い方も変わるし、お金の使い方も違ってくるのだ。 

 

 

稼ぎを増やす努力と増やさない努力

仕事を安くする努力、高くする努力とよく似た話になるけど、収入を増やす努力と減らす努力はどちらも大きな成果を生む。特に増やさない努力はかえって人生の総収入を増やすことになる。

ここでは自分の評価を上げる努力は含まない。稼ぎを増やすために社内評価を上げようとする人はいるけど、これは愚策だと言って良いのだ。特に他人を下げて自分を上げることに心血を注ぐ人は努力しない人なので、そういう人の市場価値は下がる一方だ。当然ながら、市場価値の低い人の稼ぎは悪くなる一方だ。

 

稼ぎを増やす方法として思い付く手段は、副業や内職、或いは共働きである。勿論、それら自体は問題ではない。

逆に稼ぎを増やさない方法を思い付くだろうか。これらは給料を下げる努力や、自分のライフスタイルを見直す努力が相当する。

 

では、稼ぎを増やす努力と増やさない努力のどちらが大切だろうか。実際にはケース・バイ・ケースであるけど、強いて答えを決めるなら増やさない努力が大切ということになるだろう。なぜ増やさない努力が大切かというと、増やすのは簡単だが一度大きく増やしたものを手放すことは痛みを伴うからだ。

多くの人の場合、収入に不足を感じるから、或いは実際に収入が不足しているから、稼ぎを増やそうと一生懸命になる。しかし大抵の場合、収入を増やすと安心して支出を増やすようになってしまうのだ。これこそ稼ぎを増やすことの落とし穴である。

増やさない努力をする人は市場価値に重きを置く人だ。仕事では自分の代わりを育成し、私生活では節制に努める。仕事で成果を上げるばかりか自分の代わりを育てられる人材は市場が放っておくはずがないし、節制を極めることで生活レベルや決済能力がかえって向上する。

 

ちなみに増やさない努力は、何も変えないことではない。ここが一番言いたいポイントであるけど、何も変えようとしない人こそ停滞し破綻する人である。

何も変えようとしない人というのは、自分の生き方に何の疑問もなければ目標もなく、現状に甘んじる生き方を選んでいる人間である。自分の変え方が分からない人と違うのは後述する通り、生活に対するアプローチが欠如していることだ。

他人を一生懸命に下げる人間は間違いなく何も変えようとしない人である。自分に何のアプローチもせず、自分の評価を相対的に高めるために他人の評価も地位も下げる人間など、努力と無縁である。

 

 

生活レベルを上げる努力

稼ぎを増やしたい理由として多くの人は、自分の生活レベルを向上させることを挙げるだろう。

しかし、収入を増やすことと生活レベルを上げることは別問題。収入で生活が決まるのなら、高所得でありながら自己破産する人が現れてしまうのは何故なのか。言うまでもなく習慣に問題があったからである。

生活のレベルを上げる努力は、自らの習慣や技能に対するアプローチである。つまり自己研鑽のことだ。生活力を上げるために稼ぎを増やすと言い張っているのは、自分の習慣は収入で決まると言っているようなものであり、それは自分の態度に問題はないと豪語することと同じだ。

高い生活力とは、高級車に乗ったりブランド品を身につけたり立派な家で暮らすことではない。それらはステータスシンボルに過ぎない。習慣がそれに見合ってなければ、ステータスシンボルを失う羽目になることは誰でも知っているはずだ。

 

稼ぎを増やさないようにして成功するには、生活のレベルを上げることが大切である。収入ではなく習慣にアプローチする人こそ成功する。

勿論、他者の習慣に介入することは努力ではない。自分の習慣と技能に働きかけ、人格を磨くことに力を入れるのだ。

生活レベルを下げることもやはり努力ではない。ここは収入と違うところで、生活レベルを下げることは努力の放棄でしかない。習慣を崩し、技能を放棄することでしか生活のレベルを下げられないので、必然的に堕落する。

収入の場合、自分を必要とされないよう自分の代わりを育てることで、下げる努力が可能である。そして人材育成のできる人材という新たな市場価値が付き、収入が上がる可能性に繋がるのだ。しかし生活力の場合は下げようとすれば市場価値もその分下がる。生活力は上げるしかないのだ。

 

自己研鑽を疎かにする人こそ、何も変えようとしない人である。今の自分に満足し、現状に甘んじる。そんな人間の生活レベルは上がるどころか下がる一方だ。

最悪なのは、自分のお金をコントロールできず、自分の生活に必要なものを他人に負担してもらいながら、自立のための努力を疎かにする人である。そのような人は自分の生活へのアプローチは全くない。やり繰り上手になる方法を聞き出すことすらなく「お金が足りないので生活に必要なものを奢ってください」と乞食しかしない。しかも彼らは決まって他人からの助言を無視する。

 

収入を増やす努力は、生活のレベルを上げる努力と組み合わせてこそ効果を発揮する。

生活レベルに働きかける人は、必ずしも副業に拘らない。副業は本業の収入で不足を感じるから行うものである。習慣や技能に働きかけない人が副業に手を出したら、それこそ「貧乏暇なし」状態ではないか。

 

 

依存型の人はいくら稼いでも足りない

「貧乏暇なし」という状態は、依存型の人の状態を表わしていると言っても過言ではない。

なぜ貧乏になるのかというと、自分を変える努力を放棄しているからだ。今の自分に依存し、自分を取り巻く環境に依存しているから、自分を良くするには他者や周りの環境が変わってくれるしかないという発想になるのだ。

 

共働きで収入を増やそうという考えも一種の依存であるだろう。お互いを尊重し協力し合っているなら協調(相互依存)であるから健全なのだが、配偶者の収入が少ないからとか、もっと欲しいものがあるからといった理由で共働きを選ぶのは単なる依存だ。それは依存心を正当化するための労働だからだ。

仮に副業や共働きの収入でニーズを満たせたとしても、依存心が変わっていない状態であれば一時的な効果に過ぎない。今度は増えた収入に依存するからだ。増えた収入に合わせて自分の物を増やすか、或いは収入が増えたことで調子に乗って派手な生活に手を出すかである。

ステータスシンボルを手にするために収入を増やすという考えも間違いなく依存である。それは自分の価値がブランドや地位で決まると言っているようなものであり、習慣に対するアプローチが欠如している。

 

稼ぎが増えても増えなくても貧乏にならない在り方は、痛くない注射針を発明した岡野雅行氏の言葉がそれを示す。学歴、肩書き、地位など全てを取り払っても人様に相手にしてもらえる人間になることだ。ここには金銭などの財産も含まれる。

何も持たなくても相手にしてもらえる人間というのは、困っても快く助けてもらえる人のことであり、高い信頼残高がなければ実現できない。自分の習慣や技能にアプローチせず乞食して人生の収入を賄う人が信頼残高を増やすことなど出来るはずがない。

人様に相手にされない人間とはどんな状態か、高齢者ほど顕著になる。子どもや配偶者から相談されず、逆に指図ばかりし、夫婦喧嘩や親子喧嘩など争いが頻発し、酷くなれば子どもが独立してから帰省しなくなる。近所では疎外され、友人、かつての同僚、親戚からの連絡も誘いもなくなり、人と会う場所から追い出され、もはや完全に孤立。そして経済的に困窮、或いは介護が必要になっても、誰一人として保証人にすら名乗り出ないか頼まれても断られる。

信頼がないために誰も助けてくれないのでは幸せと程遠い。収入が増えてもお金が足りないのも勿論だが、お金が有り余っても依存心のために信頼がないのでは、これまた貧乏と変わらないではないか。