ロシア語圏ではボカロ曲の人気が高い。しかしVOCALOIDはロシア語に対応しておらず、加えてロシア語で歌わせた作品も非常に少ない。ボカロ曲の大部分は日本語、英語、中国語であり、ロシア語圏ではそれらの作品が翻訳された上で歌われている。
ボカロ界隈ではロシア語が従前から置き去りにされている印象であり、ロシアによるウクライナ侵攻以降は一層相手にされなくなっているので、ロシア語圏との繋がりは難しい模様だ。
どんな政治的摩擦が起きようとも、民間人と政治権力は切り離さなくてはいけない。それをやらない人は習近平と同化する。習近平率いる中国政府は日本の国家権力に対する圧力を標榜して様々な制裁を科しているけど、それらは巡り巡って日本の民間人を巻き込んでいる。しかも原因は中国政府の過剰反応にあるから、何一つ正しくないことは明白だ。
さて、ロシアが国際的な圧力を加えられる中、目を逸らされやすいのは文化人たちである。国際的な圧力を受けているロシアでは、文化活動も儘ならないだろう。現在では多くの文化人がロシア国外に流出している。
今回取り上げるサティ・アクラ(Sati Akura)さんも、ロシア国外で活動するロシア人である。
サティさんは、英国を拠点に活動するロシア人女性である。彼女はアニソン、ゲーム音楽、J-Pop、ボカロ曲など日本の音楽作品を中心にロシア語でカバーする歌い手であり、VTuberでもある。
サティさんの英国移住はロシアのウクライナ侵攻よりも前で、さらに新型コロナウィルスのパンデミックよりも前だ。この方は国際結婚により英国に移住している。そのため政治的な問題は無関係である。
彼女の配偶者はディーマ・ランカスター(Dima Lancaster)さんで、この方も歌い手である。サティさんの動画でエンディングがある場合、ランカスターさんの演奏する「Halo of the Moment」(NoisyCell)のアコースティックカバーが流れる(ただし伴奏のみ)。
シンボルに使われるのは薔薇と桜である。
薔薇はデビュー当時からのシンボル、桜は2019年頃から薔薇と共にシンボルとして用いている。サティ・アクラという名前を簡略化すると「S. Akura」となり「桜」(Sakura)とも読めるため、シンボルにはうってつけだ。
私がこの方を知ったきっかけは「きさらぎ駅」を題材とした名無し作品のロシア語カバーであった。
原曲は2020年2月に投稿されて以降たまたまたどり着いたリスナーを中心に支持を集め、都市伝説「きさらぎ駅」が再注目されるきっかけとなった作品だ。
日本に於いて外国語となると多くは英語であり、ロシア語にはあまり関心が向かない。しかしロシアでは、コスプレイヤーのサーヤ・スカーレットさんに代表されるようにボカロやアニソンと密接に関わるクリエイターが多い。そのためボカロとロシア語圏の繋がりは無視できない。
日本でもボカロに追随した歌い手が出世した。海外でも同様にボカロやアニソンをカバーする歌い手が何人も出世している。サティさんも日本のアニソン、そしてボカロをロシア語でカバー。日本でロシア語はなかなか相手にされにくい言語であるけど、ボカロやアニソンを愛するリスナーは世界中にいるから、何かをきっかけに見出される。
ロシア語カバーの重鎮
サティさんがデビューしたのは2015年8月。初投稿はテレビアニメ『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』の主題歌「GATE〜それは暁のように〜」のロシア語カバーであった。デビューから1年の間でカバーした作品は専らアニソンだったが、その後はボカロのカバーも出すようになった。
サティさんのカバーで用いられる言語は主にロシア語で、時折英語のカバーもある。ロシア語を第一言語としているため、彼女の英語カバーは割と貴重。なお、サティさんは翻訳をしてなく、ロシア語歌詞は全て翻訳家によって作られている。
ゲーム音楽については近年、中国のRPG「原神」「崩壊: スターレイル」「鳴潮」がとても人気で、サティさんはそれらの使用曲を大量にカバーしている。ただし再生回数はあまり伸びてなく、多くても「Wildfire」(スターレイルより)の66万回に留まっている。世界的に人気と言っても日本のゲームと違ってゲーム自体を象徴する音楽作品がないため、音楽が話題になるのはまだ先のようだ。
K-Popのカバーもあるけど、これらの再生数もまた伸びていない。例外はK/DAで、一部のカバーは100万回を超える。一方、テレビを賑わせるTWICEやBLACK PINKなどの作品は伸び悩んでおり、カバーした曲自体も少ない。そしてK-Popのカバー自体も2021年11月投稿の「HWAA」を最後に絶えている。
一方で強いのは日本のアニソンとボカロのカバーである。再生数100万回超のカバーが何本もある。
再生数最多は、ボカロは「マインドブランド」で838万回、アニソンでは「カワキヲアメク」で690万回、ゲーム音楽は「INTERNET YAMERO」で540万回である。特に「カワキヲアメク」と「INTERNET YAMERO」は日本語を含む他の歌い手によるカバー全てを上回る。
【視聴注意】
「INTERNET YAMERO」のMVには激しい点滅が含まれています。
ボカロでは定番の「ビバハピ」「アニマル」「強風オールバック」「命に嫌われている。」等、J-Popでは若年層から支持される「怪物」「うっせぇわ」「可愛くてごめん」等、アニソンでは海外でも人気の『鬼滅の刃』『Re:Zero』などをカバーしている。
元々はアニソンとゲーム音楽のカバーが専門だったので、アニソンカバーのクオリティは半端じゃない。サティさんが力を入れた作品は映画『竜とそばかすの姫』の劇中歌のカバーで、こちらはアルバムがリリースされている。
ボカロカバーで飛躍した
サティさんのメインはアニソンで、近年ではゲーム音楽も多い。とりわけ最初の1年は専らアニソンであった。
しかし、サティさんの人気作品はボカロ曲のカバーに集中しており、YouTubeのチャンネルに於いては最も人気な20作品のうち13曲がボカロである。
彼女がロシア語でカバーしたボカロ曲は「撥条少女時計」「サッドガール・セ○○ス」「百鬼祭」「ゾンビ」「R. I. P. ゴシップの海」などがある。例に挙げたこれらは英語でカバーされていないか、英語のカバーが殆ど伸びていない曲目である(※)。たとえば「撥条少女時計」はロシア語の他はベトナム語くらいしかなく、英語のカバーが見当たらない。二次創作ではサティさんのカバーが最も多く再生されている。
雪をテーマにしたボカロ曲は意外にも英語であまりカバーされてない。サティさんは雪ミクのテーマ曲や雪に関連した作品を数多くカバーしている点が特徴的だ。
雪ミクのテーマ曲を投稿する時期は主に年末年始。最初は「スターナイトスノウ」(雪ミク2017)で、2019年元日の投稿であった。2020年大晦日には「Snow Fairy Story」(雪ミク2015)、2022年のクリスマスシーズンには「SnowMix♪」(雪ミク2023)、2025年12月には「アイ」(雪ミク2019)をカバーしている。
雪ミク以外の作品でも2019年大晦日(あの新型コロナが最初に確認された日)には「白い雪のプリンセスは」、2021年大晦日にはボカロでは稀少なクリスマスソング「Snow Song Show」をカバーした。
ロシア語圏は日本と同様に豪雪地帯が多く(と言っても日本ほどは積もらないそう)、雪の少ない地域でも酷寒であるため、日本の寒い冬を扱った作品はロシア語圏の人でも馴染みやすいようだ。
個人的に好きなカバーは「ゾンビ」(DECO*27)と「命に嫌われている。」(カンザキイオリ)である。
ゾンビは意外にも英語で歌った人が少なく、再生数も少ない。しかし、サティさんのロシア語カバーは46万回再生されている。
「命に嫌われている。」のカバーはどれも凄い再生回数を記録しており、サティさんのカバーは123万回再生されている。マイナス4のキー(変イ長調)とピアノの伴奏がとても哀愁あるため、心に響く。
(※)「R. I. P. ゴシップの海」は英語でカバーした歌い手がいるが、現在は非公開。
英語カバーの重鎮に追随する
サティさんがロシア語でカバーしたボカロ曲を見ると、以前の記事でも取り上げた rachieさんと重複する作品がとても多い。
rachieさんは英語でボカロ曲をカバーする歌い手。こちらはインドネシアの方であるためサティさんとは接点がない。しかし、サティさんとrachieさんは多くの曲が重複している。
サティさんとrachieさんで重複する曲目はボカロを中心に延べ31曲。このうち「Don't Come Back Here」はrachieさんのオリジナル曲である。
rachieさんの影響を受けた歌い手は大勢いて、言語こそ違えどサティさんもその一人ではないだろうか。重複する曲目も多く、VTuberのアバターに熊をあしらっている点もrachieさんと同じだ。
サティさんは英語でカバーすることもあるけど、rachieさんとはこれまで共演がない。rachieさんの「Don't Come Back Here」をサティさんがカバーした以外に関連はない。
オリ曲以外では、冒頭で取り上げた名無しの曲も重複し、最近投稿されたカバーでも「GHOST」(星街すいせい)が重複している。そして英語ではrachieさん、ロシア語ではサティさんが最も多く再生されている曲目まである。この二者は英語とロシア語の双璧と言っても良さそうだ。
英語でrachieさん、ロシア語でサティさんが最も多く再生されている曲目となれば「ラビットホール」「モニタリング」「パラサイト」「乙女解剖」などDECO*27作品が中心。特に「モニタリング」は投稿日まで重複している(日本時間では前日)。
YOASOBIとヨルシカの曲をカバーしている点も共通している。ただし、ヨルシカについてはrachieさんほど曲数を歌ってなく、サティさんがカバーした曲は「花に亡霊」と「ただ君に晴れ」だけである。一方、YOASOBIの曲は「怪物」と「勇者」、幾田りら(ikura)さんの曲でも「百花繚乱」を歌っている(「夜に駆ける」と「アイドル」は両者共通でカバーしている)。
特に「ただ君に晴れ」は外国語のカバーが非常に少なく、英語ではrachieさん、ロシア語ではサティさんのバージョンが唯一である。
人気が集中する曲というのはあるため、他の歌い手と曲が重複することは別に珍しいことでもない。しかし、31曲も特定の歌い手と重複することは滅多にない。サティさんの方が先行したケースもあるけど、ここまで多いとrachieさんの影響も受けていると思えるし、無関係だとしても歌声の綺麗な歌い手は関心も似てくるのだろうと思う。
ディーマ・ランカスターとの共演
これまで最も多く共演した歌い手はサティさんの配偶者であるディーマ・ランカスターさんである。ランカスターさんは英国の歌い手で、現在サティさんの動画のオープニングとエンディングで流れる音楽はランカスターさんの演奏である。
サティさんとランカスターさんが共演した最初のカバーは「いかないで」(想太)であった。
サティさんとランカスターさんは2018年に結婚している。彼女がロシアではなく英国に拠点を置くのは政治的な理由ではない。「いかないで」をカバーした当時は交際中だったそうで、2人が離れる時の心境が歌詞と重なったという。
「いかないで」の歌詞の解釈は様々で、男の子か女の子が死亡した説、戦争への見送りという説、そして遠距離恋愛という説などが持ち上がっている。サティさんは遠距離恋愛の曲と解釈したようだ。
結婚から5年後にリメイクし、ロシア語版の他に独自の英語歌詞でカバーしている。
以前は顔出しの動画も投稿されていた。今でも閲覧可能で、「夜に駆ける」「怪物」「花に亡霊」などは顔出しで歌っている。VTuberデビュー以降はサティさんのチャンネルに於ける顔出し動画がない。
サティさんとランカスターさんが揃って顔出しする動画は「ME!」(テイラー・スウィフト)のカバーであった。結構イケメンだ。
サティさんの動画のエンディングにはランカスターさんの「Halo of the Moment」(NoisyCell)のアコースティックカバーが用いられる(ただし、伴奏のみ)。
私はこのカバーを聴くまでNoisyCellを知らなかったため、「Halo of the Moment」もランカスターさんのバージョンばかり聴いていた。最近オリジナルを聴いて、改めて良い曲だと思った。なお、NoisyCellは2025年2月に解散し、メンバーであったKiaraさんは2025年5月に逝去している。
ロシア語圏のミュージシャンって日本ではあまり話題にならなく、いてもお騒がせセレブのt.A.T.u.くらだ。しかもロシア語の音楽は民謡を除けば日本で殆ど知られていない。
一方、日本の音楽はロシアでも知名度を高めている。特にインターネットが普及すると日本のアニメに関する情報がロシアにも入ってくるため、日本の音楽は主にネットを通じて知られる。ボカロとなればインターネットが生んだ音楽と言っても過言ではないから、そうした音楽はネットの時代に於いて拡散しやすい。ロシアのテレビで日本の音楽が紹介されなくても、ネットでは日本の音楽に容易にアクセスできる。
ロシア人のクリエイターは主にネットで活動する。日本のボカロは世界のユーザーと繋がりやすく、サティさんに至っては国際結婚まで実現した。しかも結婚相手も歌い手であるから、ボカロの象徴的存在である初音ミクは縁結びの神でもあったとまで思えてくる。コスプレイヤーのサーヤ・スカーレットさんもボカロをきっかけに注目されたから、ボカロの影響力は半端じゃない。
今でこそ「崩壊:スターレイル」や「鳴潮」などの音楽のカバーが多くなったけど、彼女を知ってもらえるきっかけは専らボカロとアニソン。サティさんにとってボカロはとても大きな存在で、これからも新たなボカロやアニソンを発掘することだろう。
