前々回、Japanese Animationのクラスでは
『Lupin Ⅲ』を見ました。
タイトルは、『Albatross: Wings of Death』。
残念ながら、subtitle(字幕)で見ることができず、吹き替え版で見ることになったのですが、そこで30分ほどのディスカッションが行われました。
Subtitle or Dubbing(吹き替え)。
それぞれもっともな意見が出ました。
Subtitle派は、「声はそのキャラの大切な要素。それが別の声になるとキャラが別の人になってしまったかのような気分になり、混乱させられる」
Dubbing派は、「キャラが(自分たちの母国語である)英語を話してくれると、画面に集中できる。Subtitleで見ていると、短い瞬間であっても字幕に目が行ってしまい、登場人物たちのちょっとした動きを見逃すことがある」
Lupin Ⅲを英語で見終わった私の意見としては、峰不二子以外のキャラクターは、オリジナルにとても近い声をしていたので、違和感はなかったです。
銭形警部が英語を話すと、ものすごく賢く見えました。
見終わってからのディスカッションで出た意見は、
「五右衛門にはサイキック能力があるに違いない」
(ええ~っ! そうかあ? そんなこと、これまで何年も見てきたけど気にしたことなかったよ・・・。そして、多分、彼にサイキック能力なんてないと思う)
なぜ、サイキック能力があるかと言うと、「ルパンのピンチに必ず現れ、彼を助けるから」だって。
まあ、そう言われたらそうなんだけど、これはアニメ番組だから、どこかで五右衛門を出さないといけないわけですよ。
また、「不二子はルパンのライバルである」という意見も。
私の隣にいたアニメオタク、いや、日本人の友達は、
「違うで~。不二子とルパンは昔、何かあったんやで。大人の関係が・・・」とつぶやいていました。
しかしながら、アメリカ人の目には不二子とルパンはライバルであるように映るようです。
そして、ナウシカ。
これは、アメリカ人の(アニメオタクのみ)間では、ものすごく人気のようです。
今日はナウシカを見る、というこの日。
先生が入って来る前から教室に熱気というか、妖気みたいなのが漂っていました。
そして、先生が教壇に立ち「We watch Nausicca today」と言うと、「ワーオゥ!」とか「イェ~イ」、「ヒュ~ッ」ってな声が湧き起こり、私の近くの男性はガッツポーズしていました・・・。
Nausicca、あんたは幸せ者やなあ。
これはオリジナル音声(日本語)で見ました。
私は高校生の時にこれをたまたまテレビでやっていたので見たのですが、そのときはストーリーがぜんぜん理解できませんでした。
だから正直、この日の上映は嫌だなあと思っていたのですが、40歳になった今、あらためてこれを見ると、「これは・・・master pieceや」とつぶやかざるを得ませんでした。
見終わってからのディスカッションも、いつになく粛々と行われ、結論は
『Nausiccaはエコロジー』。
1984年の作品なのですが、しきりに、エコ! Green!と叫ばれているこの時代にこそぴったりの作品だと感じました。
しかしながら、アメリカ人というのはなぜ「そこ、笑うとことちゃうやろ~」ってところで笑うんでしょうか?