8月15日は終戦記念日。
イギリスに住んでいた時も、アメリカに住んでいる今も、この日が近づくと「VJ day」とニュースが取り上げ、まあちょっとした盛り上がりを見せます。
VJ dayとはVictory Japan dayということで、連合軍が日本に勝った日、という意味。
私は当然、第二次世界大戦を知らない世代だし、母も戦後生まれ、父が昭和16年生まれですが、こちらもほとんど赤ちゃんだったので、戦争を体験したとは言いがたいようです。
ただ、父が言っていたことで印象に残っているのは、「戦争が終わってからの方が食べるものがなかった」。
奈良に住んでいた父の一家は、文化財保護のおかげで、空襲は免れたけれど、やはり、子供心に食べものが乏しかったことを覚えているそうです。
奈良の田舎に親戚があり、父だけしばらくそこへ預けられていたとか。
去年、実家に帰省していたときに初めて聞いた話なのですが、父の叔父がマレー語の学者で、日本軍が東南アジアをどんどん南下して植民地化していくのに同行して、現地の人たちに日本語を教えるという役目を担っていたそうです。
しかし、帰国してから、おそらく南方にいる間に拾ってしまったと思われる熱病が原因で、戦後間もなく亡くなったそう。
「岩波書店から本を一冊出版していたけど、もう絶版だろうなあ」と父。
早速、amazonで調べてみたところ、別の出版社から復刻版が出ていました。
プレビューを読んでみたところ、なかなか興味をひかれる内容で当時の東南アジアや大叔父の軌跡を知るのに欲しいなあと思っているのですが、なんせ高い!
1万円以上するので、いくら大叔父の本とは言え、「buy now」ボタンはクリックできません・・・。
ま、そのうち機会があれば。
母の父は、今のNTT当時の電々公社に務めており、まだ結婚する前に通信員として満州に駐在していたそうです。
どのぐらいの期間、当地にいたのかは知りませんが「バナナでクギが打てるぐらい寒かった」と言っていたのを覚えています。
本当かなあ?
祖父はず~っと日記をつけていて、彼が亡くなった後、何かのひょうしに一度だけ日記を見る機会がありました。
満州での日々をつづったものだったことは覚えているので、最近、祖母に「おばあちゃんが死んだら、おじいちゃんの日記は私にちょうだい。」って言ってあるのですが・・・。
結局、祖父は昭和18,9年頃に、神戸にいた両親や妹が立て続けに亡くなったので、それを機会に日本へ帰され、それ以降、満州のオフィスへ行くことはなかったそうです。
もし、戻っていたら終戦時の引き揚げで大変な苦労をするところだっただろうと思います。
8月15日の終戦記念日が来るたびに、私が思い返すのは、この母方の祖父のことです。
そして、今年からは大叔父のことも。
本を出版するほどでなくても、日記程度のものが残っていれば、それを読んで私が生きた日々を思い返してくれる人がいるなら、幸せなことだと思います。
このブログ、プリントアウトして子孫代々に伝えようかな。