今日(4月27日)付けのニューヨーク・タイムズ紙に、日本で起こった福知山線の事故について載っていました。


この記事の着眼点は、「90秒の遅れ」。


冒頭、「世界のどこに、90秒遅れで走る電車を、定刻どおりに走らせようと深刻に考える国があるか。」で始まり、90秒の遅れが、運転士を追い詰め、また、電車が確実に定刻どおり走ることを期待している日本社会もこれを問題視すべきだ、と書かれてあります。


私はアメリカに住んでいるので、インターネットでこの事故について情報を得ており、日本にいる人たちよりかなり情報量が少ないので、間違っていること、あるいは、古い情報を信じてこのブログを書いているかもしれません。

このことをお断りしておきます。


海外のメディアは、日本とはまた違った角度から事故を見るので、それはそれで興味深いことだと思います。


N.Y Times紙は続けて、「日本では、過密ダイヤで列車が走っており、すべての人々---鉄道関係者も利用客も---が列車が定刻どおりに発着することに心を砕いている。通勤、通学客は、まるでバレエのような精度で電車を乗り換える」。


立教大学の教授は、インタヴューで「個人的な意見ですが、」としながら、「われわれ日本人は、もっとリラックスすべきだ。2,3分の遅れをトラブルとみなす必要はない。2,3分待てば、次の列車がやってくるのだから。」と答えています。


尼崎市に住む、セールス・チーフだという男性(67)も「この事故は、日本人にも責任がある。日本は、自由競争社会で、ここに柔軟性はない。90秒の遅れは取り戻されなければならない、とみんな考えるからだ」。


N.Y.Times紙の記事は、全体を通して、「90秒の遅れが、惨事を招いた。」としています。


最後に「もっとも大切なのは、安全である。今回の惨事の根っこには、多くの要因がある。そして、この事故は氷山の一角である。」と締めくくっています。


私は神戸で生まれて、結婚してから1年間は、六甲に住んでいました。

あのあたりは、よく知っているエリアなので、今回の事故には驚きました。

事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

また、怪我をされたかたの、一日も早いご快復も、合わせてお祈りしています。