GWに映画「無名」を観てきました。

第二次世界大戦終盤の上海で暗躍するスパイのお話。

話そのものはネタバレしたくないので書くのを控えます。

ジグソーパズルが好きな人にはおすすめです。


ここからは自分のモヤモヤを書くだけなので、興味がない方は回れ右してください。


中国の映画なので、日本兵はそれはそれは残虐に描かれています。

そして、共産党は正義というキーワード。

アメリカもその点は同じで、自国の兵をヒーローとして描く。

対して、日本の戦争映画は自国に対する悲哀を描く作品が多い印象。

キーワードは軍部の暴走、プロパガンダ、そして反戦。

日本の映画で日本兵をヒーローと描く作品には浅学の私は出会った事がありません。


今回感じたのは、変わらぬ強い反日感情と仮想敵国。

現在、目に見える限りで、もはや中国の相手にならない国となった日本ですが、それでもそれらの感情は収まらないのだと今回の映画で思い知りました。


国としての補償という意味では、既に終わっている話。

これは司法や国家(条約)として、という意味になるのでしょう。


しかし、個人の感情は、それでは収まらない。

確かに考えてみれば、イジメなどもそうですが、被害者に加害者が◯◯をしたのだから許せ、と言うのは如何なものかと。

いつまで経っても終わらないじゃないかという声が聞こえてきそうですが、被害者が許すと決めるまで終わらないに決まっています。

終わるとすれば、それを知る人が全員いなくなった未来、私達が江戸時代を習う時に物語として捉えるような感覚で、第二次世界大戦が歴史上の物語になった時だけなのだと思いました。

ただ、果たして、それまで平和でいられるのか…

今の社会情勢を見ていると、あまり楽観視出来ず、本当に頭が痛くなります。


我々の業界での苦情解決は、法律や社会的ルールではなく、相手(社会的弱者)の感情に寄り添い、精神的な部分でも解決することを目的としていますが、これが本当に難しくて。

客観的判断や社会的なルールで対処しているつもりでも、結局は私の主観で私が知っているルールを適応しているに過ぎないので、全く公平でも公正でもない。


もはや何を言いたいのか分からなくなっていますが、私もきっと自分の祖先があのような殺され方をしていたら許せないだろうと。

それを語り継がれたら、どうなのでしょうね。

宗教観としても「家族」をとても大切にする国です。


すみません。

たぶんいつかこの記事は消すと思います。

ただただずっと心が痛いので吐き出してみました。


謝罪したいとかではないのです。

私のようななんの力も持たない一般人の謝罪なんて何の意味もありません。

何より謝罪は私が楽になりたいだけでする行為なので、そんなのは卑怯です。


なんというか、本当にもっとちゃんと深く考えられる人間になりたいな、と反省しました。

そのためにも沢山の事を勉強して、人と沢山会話をして、多くの多様性の中にある軸が何かを知らなくてはいけない。

そう考えさせられた映画でした。