ゆうわファミリーカウンセリング研究室(臨床心理士・赤坂正人)  

ゆうわファミリーカウンセリング研究室(臨床心理士・赤坂正人)  

こころの悩みごと相談で、じーじ臨床心理士がメール相談やメールカウンセリングと公園カウンセリングや里山カウンセリング、訪問カウンセリングなどをやっています。

経歴 
1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。
1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 
1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 
1977年、教員採用試験に落ちるが、家庭裁判所調査官補試験にまぐれで合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。 
1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 
2008年頃、放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)で学び始め、2014年に大学院を修了。
2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。
仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メール相談・メールカウンセリング、親子交流の相談・援助などを研究しています。
所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会
論文 「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)、「別れた親子の面会交流についての考察」(2014・放送大学大学院修士論文)ほか 
住所  新潟市西区
mail   yuwa0421family@gmail.com

 2026年6月のブログです

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 メール相談やメールカウンセリングについて考えることを一つ、二つ、書いてみたい。

 一つめは、相談したいことやわからないことをメールにしている時に、クライエントさんはすでに問題点を自分なりに少しずつまとめているのではないか、という点。

 悩みごとや困っていることをカウンセラーに伝えようとすると、自分の悩んでいることや困っていることをある程度、カウンセラーにわかるように書かないといけないわけで、そこである種の問題の整理整頓が行なわれている可能性があると思う。

 そうでないと、悩みごとや困っていることがカウンセラーに伝わりにくくなるだろうし、カウンセラーからの質問が多くなりそうだ。

 もちろん、程度の差はあれ、そうやってカウンセリングは明確化や意識化が進んでいくわけだと思うが…。

 クライエントさんの悩みや相談に対して、相談者が助言や回答を与えるような普通の相談とは違って、カウンセリングでは、カウンセラーとクライエントさんが協力をしての問題の明確化などによって、クライエントさん自身が意識化を図ることを目指すものだと思う。

 だから、その過程で、クライエントさんがご自分で問題と思われることをメールにする意義は小さくないだろうと考える。

 そういう意味では、ひょっとすると、対面のカウンセリングより、クライエントさんの仕事は少し多くなるのかもしれない。

 二つめは、その点とも関係するが、クライエントさんが対面カウンセリングより、情緒的に混乱をすることが減って、少し冷静に相談ができるかもしれない可能性が出てくる点。

 これは、メールカウンセリングの長所でもあり、短所にもなりそうだが、カウンセリングの中で、クライエントさんの感情の発散が少なくなる可能性があって、人によっては物足りなさを感じることになるのかもしれない。

 もっとも、カウンセリングにおける感情の発散は良し悪しで、一概に良いとは言えないと思うので、メールカウンセリングにそういう効能は少ないと理解してもらえれば、クライエントさんを失望させることは減るだろうと思う。

 対面カウンセリングとメールカウンセリングの特徴をよく理解した上で利用してもらうことが、良い結果に繋がるのではないかと思う。        (2026.  6 記)

 2022年6月のブログです

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 かえるくんが出てくる(!)村上春樹さんの短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2002・新潮文庫)をかなり久しぶりに、おそらく15年ぶりくらいに読む。

 年のせいか、小説を読むスピードが遅くなってきた最近のじーじにはめずらしく、六つの短編を一日で読んでしまった。

 もったいない。

 再読が遅くなってしまったのは、この短編集の中で、じーじが一番好きな「かえるくん、東京を救う」のあらすじをなんとなく覚えていたせいだが、他の短編はまったく中身を忘れていた。

 昔、飲み会で、この本の話が偶然出て、同僚の若い女の子が、わたしは「蜂蜜パイ」が好きです、といい、じーじは、「蜂蜜パイ」はたしか淋しいくまさんのお話だったよな、そういうお話が好きなんだ、ふーん、という程度に聞いていたが、今回読み返してみると、すごい恋愛小説でびっくりした。

 あの子はこんなすごい恋愛小説が好きだったんだ、と今さらながらに見直したが(?)、じーじの記憶がまったく当てにならないことを改めて想い知らされてしまった。

 他の「UFОが釧路に降りる」「アイロンのある風景」「神の子どもたちはみな踊る」「タイランド」の四作もすばらしい。

 いずれも、例によって、あらすじは書かないが、生きるうえでの偽善、喪失、断念、希望、再生、などなどが、一見軽妙な文章の中で深く描かれている印象を受ける。

 読み手の人生と相まって、いくらでも広がりと深まりを感じさせてくれるのではなかろうか。

 今ごろ褒めるのもなんだが、いい短編集だ。

 今度はもっと早めに再読をしたい。     (2022.6 記)

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 2023年5月の追記です

 本書の「蜂蜜パイ」が好きだという女の子が神田橋條治さんの大フアンで、神田橋さんの研究会で自分のケースのスーパーヴィジョンをしてもらったことがあるという。 

 勇気があるというか、うらやましいというか、すごいお話で、優秀な後輩の成長が楽しみだ。     (2023.5 記)

 

 たぶん2016年ころのブログです
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 精神科デイケアでボランティアや勉強をさせてもらっています(メンバーさん、スタッフさん、ありがとうございます)。
 メンバーさんとお話をさせてもらったり、メンバーさんの相談ごとに耳を傾けさせてもらったりしながら、一緒にいろいろなことを考えさせてもらっています。
 スタッフのみなさんも、毎日のプログラムのほかに、メンバーさんからの相談ごとや悩みごとをお聞きしたり、それらへの助言などで、毎日忙しそうです。
 そんな中でひとつ気になったのが、メンバーさんからの頻回の電話相談や頻回の面接相談の依頼です。
 メンバーさんがとても不安な時に、気軽に電話で相談をしたり、面接相談を依頼できるということはとても大切なことだと思うのですが、一方で、それがあまりに過度になると、本当にメンバーさんの自立や成長につながるのだろうか、と少しだけ心配になります。
 昔、じーじが家庭裁判所で働いていた時にも同じようなことがあって、頻繁に電話をかけてくる人や予約なしに頻繁に訪ねてくる人たちがいて、対応に苦慮しました。
 その時には、頻回の電話には、時間を指定したり、通話時間を決めるようにして、約束の中での安定した電話相談にするように工夫をしました。

 また、突然の面談についても、時間を指定したり、面接時間を決めさせてもらって、やはり、約束をした中での安定をした面接相談にするように工夫をしたりしていました。
 これらは、不安にかられて行動化をしてしまう人たちに、時間や方法をできるだけ「構造化」をして安定をしてもらい、不安をおさめてもらうというじーじなりの工夫だったと思います。
 不安をしずめることや行動化をおさめていくことはそう簡単なことではないでしょうが、少しずつでも約束の中での安定をした「相談」にしていくことが大切ではないかと思っています。
 これからも、もっともっと勉強が必要です。     (2016?記)

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 2023年6月の追記です

 じーじがメールカウンセリングを始めた時にも、頻繁にメールをしてくるかたがおられて困ったことがありました。

 中には、今、手首を切ってしまいました、というメールも入って、混乱したりしました。

 最初は特に無料で、規則も決めずに始めてしまったので、クライエントさんを混乱させてしまったと反省しています。

 その後、メールカウンセリングでも、メールの間隔などを決めて、守っていただくようにしています。

 カウンセリングの構造や決まりがしっかりすると、それを守ることで、クライエントさんの耐性も向上するようです。

 そういう中でクライエントさんの力がついていけばいいな、と考えています。     (2023.6 記)

 こころの悩みごと相談で、じーじ臨床心理士がメール相談やメールカウンセリングをやっています。

 また、公園カウンセリングや里山カウンセリング、海岸カウンセリング、原っぱカウンセリングなどと訪問カウンセリング、面会交流の相談・援助などもたまにやっています。

 メール相談やメールカウンセリングは、メールによる心理相談やカウンセリングで、2週間に1往信で行ない、1往信700円です(小・中・高校生の皆さんは無料、学生さんは1往信300円です)。

 大変な状況や苦しい状況にいらっしゃるかたには、少しまどろっこしい感じがするかもしれませんが、1週間交代でメールのやり取りをすることで、ご自分のお考えが少しずつ熟成するような感じがするのではないかと考えています。

 そういう方法で、ご自分のこころのありかたやお考えやお気持ちをゆっくりと見つめなおしたり,考えなおしたり,感じなおしたりしてみたいという人にはよい方法ではないかと思います。

 公園カウンセリングなどの対面のカウンセリングのほうは、そろそろ引退も考えていますが、一応、これまでの仕事をご紹介すると、

 公園カウンセリングや里山カウンセリング、海岸カウンセリング、原っぱカウンセリングなどは、屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング、子どもさんのカウンセリング・遊戯療法などで、近くの公園や自然の中でゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。料金・時間は、1回、50分、3,000円で、隔週1回、あるいは、月1回などの間隔で行ないます。

 訪問カウンセリングは、屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング、子どもさんのカウンセリングなどで、ご自宅やお近くの屋内施設で、じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。料金・時間・間隔は、公園カウンセリングなどと同じです。

 面会交流の相談・援助は、相談はご自宅などで行ない、1回、50分、3,000円、援助はお近くの公園や遊戯施設、あるいは、ご自宅などで行ない、1回、60分、6,000円です。

 カウンセリング、相談・援助とも、土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時に行なっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは、赤ちゃんやちびっ子が一緒でも大丈夫なカウンセリングですので、お気軽にご利用ください。そういう意味では、深くはないけれども、現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は低めに設定させていただいていますが、月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかた、学生・未成年のかたは、さらに相談をさせていただきますので、ご遠慮なくお問い合せください。ちなみに、消費税には反対なのと、計算がややこしいので、いただきません。

 お問い合わせ、ご予約は、メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 駅の近くに部屋を借りるなどして、本格的にカウンセリングルームを運営するような臨床心理士さんとは違って、じーじはお近くの公園や広場、原っぱ、河川敷、海岸、林、森、里山などの自然の中やご自宅、お近くの児童公園、屋内施設、遊戯施設などでカウンセリングをしています。 

 子どもさんや赤ちゃんを遊ばせながら、ちょっとだけ悩みごとを聞いてもらえればいいんですー、というお母さんや悩み多き若者(?)などがじーじのクライエントさんには多いです。

 そういうことですので、お気軽にご利用ください。

 ただ、年齢的に、対面のカウンセリングがだんだんとしんどくなってきているので、少しずつメール相談やメールカウンセリングのほうにシフトしていきたいと考えています。

 よろしくお願いいたします。

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 かえるくんを眺めながらの公園カウンセリングは、こころもぴょんぴょん元気になりそうですね。

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 そういえば、村上春樹さんの短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2002・新潮文庫)に、「かえるくん、東京を救う」というすてきな小説がありますね。       (2022. 6記)

 たぶん2016年ころのブログです
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 先日、河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談を読んで面白かったので、こんどは河合隼雄さんと村上春樹さんの対談である河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(1996・岩波書店)を久しぶりに読んでみました。
 先の河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談の中で、ばななさんがこの本を挙げて、春樹さんがめずらしく子どものよう、と言わしめた本です。
 1996年の発行で20年以上も前の本ですが、この本は何回読んでも古さを感じさせずに、いつもたくさんの刺激をされます(しかも、今回気づいたのですが、発行元がなんとあの岩波書店なんですね。村上さんの本で岩波から出ているのはこの本くらいではないでしょうか)。  
 じーじにとってもとても大切な本で、愛読書の一冊です。
 何回も読んでいるので、付箋とアンダーラインでたいへんなことになってる本ですが、さすが岩波書店、小ぶりな造本にもかからず、しっかりとした造りで、今も読みやすさを保ってくれています。
 もの忘れがひどくなっているじーじにはめずらしく、ところどころ覚えている箇所もあって、懐かしく読み進めました。
 今回印象に残った一つめは、河合さんの発言で、心理療法において、言いたくないことは言わなくていい自由を保証をすることの大切さ。

 このところ、他の臨床家の本でも同じようなことを読んでいて、とても重要だなと思いました。
 二つめは、現代の人々は素朴で稚拙な「物語」を求めがちである、というお二人の指摘。毎日のニュースを読んでいると、頷けます。
 三つめは、深くていい小説や物語は、書き手の意図を超える、という村上さんの発言。

 ご自分でも「どんな意味が秘められているのかわからない」とおっしゃり、河合さんも同意されます。
 四つめは、安易な暴力否定の中に潜む根深い暴力性の問題。

 オウムや戦争の現象を見て、お二人は憂います。
 この他にも、興味深いお話が満載です。
 よろしければ、ご一読ください。     (2016?記)

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 2020年11月の追記です

 稚拙な物語を求める、というところで、じーじは昨今の、go to なんとか、を連想しました。

 政府によるあやしい大義名分、安ければいいという国民、しかも、それを税金から…。ひどいもんです。     (2020. 11 記)

     *  

 2025年6月の追記です

 ニュースを見ていると、お金が儲かったり、欲望が満たされるなら、なんでもやるという人たちが増えてきているようです。

 殺人、詐欺、賭博、そして、戦争、その他もろもろ。

 トランプくんやプーチンくん、金正恩くんもそうでしょう。

 お金が儲かったり、欲望が満たされても、幸せになれるとは限らないと思うのですが…。        (2025. 6記)

 2017年10月のブログです
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 精神科デイケアのコラージュ用の絵本の本棚を眺めていたら、背表紙に「じいちゃん」という五文字が見えて、思わず手にしてしました。
 福音館書店の幼児用の「月刊たくさんのふしぎ」という雑誌(うちの子どもたちの時は読んでいなかったような気がします)の2002年8月号の『じいちゃんの自然教室』という本で、高知県の農家のおじいちゃんが孫たちに川の魚や山の食べ物などの自然の恵みをいろいろと教えるという内容です。
 フムフムと読んでいるうちに気づいたのですが、著者がなんと、さとうち藍さんの文章と関戸勇さんの写真という豪華な組み合わせでした。
 このお二人の本は、今年8月のブログでご紹介させていただきましたが、『アイヌ式エコロジー生活-治造エカシに学ぶ、自然の知恵』(2008・小学館)という本と『武市の夢の庭』(2007・小学館)という本の二冊を読んだことがあり、どちらもいい本で、写真もすばらしく、お薦めの本です。
 そのお二人が、2002年当時、福音館の雑誌で仕事をしていたことを知り、なんだかうれしくなりました。
 当時の幼稚園児や保育園児もそろそろおとなの世代。
 自然の中で遊んだり、自然を大切にするおとなになっているか、知りたいところです。
 この間、2011年にはご存知のように福島の原発事故があり、自然は人間が守らないと未来にきちんと残せないことも再認識させられました。
 いろいろなことを考えさせられる2002年の福音館「たくさんのふしぎ」シリーズの一冊です。      (2017. 10 記)

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 2018年12月の追記です

 先日、再読した沢木耕太郎さんの『246』に、沢木さんが「たくさんのふしぎ」1987年5月号『ハチヤさんの旅』を書いた時の取材記が載っていて、沢木さんの娘さんの大活躍(?)も含めてとても面白いです。

 それにしても、「たくさんのふしぎ」はすごい執筆陣ですね。       (2018. 12 記)

 

 たぶん2016年ころのブログです
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 先日、吉本ばななさんの『キッチン』を再読してとても面白く読めましたので、こんどは河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談『なるほどの対話』(2005・新潮文庫)を再読しました。
 この本もかなり久しぶりで、中身はかなり忘れてしまっていたのですが、予想どおりにとても面白く読めました。
 河合さんがカウンセリングの時に「はあ、なるほど」というあいづちを打つことからこの本の題名がついていますが、まさにその雰囲気で対談は続きます。
 内容は多岐にわたりますが、いずれもなかなか深く、読み応えがあります。
 生き方や人生については現代日本のあり方に警鐘を鳴らす内容が多いですが、堅苦しくはなく、肩の力を抜いて読むことができます。
 そして、むしろ、そういう本の読み方や生き方がいいのかもしれないなと思わされます。
 面白かったのは吉本さんの小説の書き方で、小説は生き物だから制御できない、何かが生まれてくるのを待つ、などと述べており、これは村上春樹さんの発言と重なって、とても興味深く感じました。
 深い内容の小説は、やはりこころや魂の深い部分に耳をすまさなければならないようですし、これはたいへんな作業だなと思われました。
 河合さんはこれらを受けて、カウンセリングも頭で考えて受けても駄目で、もっと深いところからの動きに従わなければならない、といった趣旨のことを話されます。
 じーじなどにはまだまだよくわかっていないとても深い世界なのだろうなと感じさせられました。
 しかし、そうはいっても、生きていかなければなりません。
 時代に流されずに、なにが大切かを吟味しつつ、ひとりひとりのつながりに生かされつつ、生かしつつ、誠実に、しかし、楽しみながら生きていきたいなと思いました。     (2016?記)

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 2020年11月の追記です

 小説やカウンセリングで、頭だけではなく、もっと深いところからの動きを大切にしなければならない、という指摘には、今もさらに深く頷けます。

 そういうことを大切にできる人間になりたいなと思います。     (2020. 11 記)

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 2023年12月の追記です

 深いところからの動きを大切にしなければならない、ということは本当に大切なことだと思います。

 精神分析のフロイトさんやビオンさんは、そのための貴重な工夫をたくさん述べているのだなあ、と改めて思います。      (2023.12 記)

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 2026年6月の追記です

 深いところからの動きを大切にするために、フロイトさんは、平等に漂う注意、や、無意識の受信機、などという表現をしました。

 ビオンさんは、あいまいさにたえて、早急に結論を出さないことの大切さを述べました。

 どちらも、意識だけでなく、無意識からの動きを大切にしようとする工夫だと思います。      (2026.  6 記)

 

 2026年6月のひとりごとです

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 政治学では、よく、権力は肥大する、あるいは、権力は腐敗する、と言われる。

 権力の肥大を防ぐために考えだされたのが、小学校の社会科でも習う、権力を立法、行政、司法の三つに分ける三権分立の原則。

 民主的な国家では、これがうまく機能しているが、独裁的な国家では、行政権だけが肥大をしたり、軍隊の権力が肥大をしてしまい、横暴を振るう。

 また、権力の腐敗を防ぐためには、多選禁止の原則や政権交代などがある。

 民主的な国家では、大きな権力を握る立場ほど、多選禁止の原則が徹底しているが、独裁国家では、多選禁止の原則が暴力的に、あるいは、なし崩し的に、機能しなくなってしまい、横暴を振るう。

 また、民主主義の国々では、政権交代が定期的に健全に行われるが、民主主義が確立していない国では政権交代がなく、長期政権が続いて、政権が腐敗しやすい。

 このように、権力は肥大しやすく、腐敗しやすい。

 だから、特に、国家権力に関しては、民主的な国でさえ、国民の監視や批判がしっかりなされないと、権力の肥大と腐敗は避けられないだろう。

 日本ではどうだろう。

 マスコミの自由度ランキングで、日本は世界180か国中62位で、恥ずかしいことに、「問題あり」のカテゴリーに入っており、監視も批判も心許ない。

 それゆえに、国民の不断のチェックがないがしろになると危ないだろうと思う。

 選挙だけなく、デモや市民運動なども大切だろうし、日頃からの住民目線での鋭いチェックや批判も大切だ。

 黙っていると、権力はどんどん肥大し、腐敗する。

 いつも、国民のために奉仕をしてくれるような新鮮で活力のある小さな権力を支持したいと思う。       (2026.  6 記)

 

 たぶん2017年のブログです
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 中上健次さんの『枯木灘』をすごく久しぶりに再び読んでみました。
 前に読んだのは、はっきりはしませんが、学生の時か、就職をしてすぐの頃、いずれにしても今から40年くらい前のことになります。
 今回は、いつもおじゃまをしている精神科デイケアのあるメンバーさんが中上さんの大フアンで、『枯木灘』の文庫本を貸してくださったので、読んでみることにしました。
 前に読んだ時は、なにかドロドロとした小説、という印象を若き日のじーじは抱いたのですが、今回、久しぶりに読んでみると、まずは中上さんの日本語の確かさに感心をさせられました。
 日本語がきちんとしていますし、美しいと思います。
 40年近く、書類を読み、書類を書く仕事を続け、専門書や小説を読んできた経験が、一応、中上さんの文体のすごさを見極められるようにしてくれたようです。
 小説の登場人物やその人間関係は、確かにドロドロとしているのですが、じーじが年を取ったせいか、家裁の仕事でもっとドロドロした人間関係を見てきたせいか、あまり驚かないのも意外でした。
 むしろ、ギリシャ神話のように、こういうこともあるよな、ああいうこともありそうだな、と、人間模様がよく描かれている印象を受けます。
 それだけ、普遍的で、深さのある小説なのだろうと思います。
 今回、強く感じたのは、これもじーじが年を取ったせいか、登場人物のエネルギッシュなところ。
 いずれの人物も、熱く、うらやましいようです。
 さらにもう一つは、自然との一体感。
 紀州の自然のすばらしさもすごいですし、土方の仕事をしていて土と一体になっているかのような主人公もすばらしいと感じました。
 メンバーさんのおかげで、いい小説を再び読めたことに感謝したいと思います。    (2017?記)

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 2024年5月の追記です

 このブログを書いてからもう7年が経ったのですね。早い!早い!

 ブログを検索すると、中上さんの小説の感想文がコンスタントに載せられていて、びっくりします。

 決してすごくメジャーな小説家さんというわけではないと思うのですが(中上さん、ごめんなさい)、やはり存在感のある作家さんなのだと思いますね。       (2024.5 記)

 

 

 2026年6月のブログです

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 君の涙は 見たくないから

 背を向けて 胸を張る 精一杯の強がり

  青春という 輝く時代を 

  ふり返る日が 来るのだろうか

    (松山千春「輝く時代(とき)」より・アルバム『現実』2006)

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 青春、そのまっただ中にいる時は大変だ。

 悩みやら、苦しみやら、恥ずかしさやら、その他もろもろ。

 早くおとなになりたい、と切に願うだろう。

 でも、歳を取ると、その苦しい時代(とき)がいかに貴重だったかがわかるかもしれない。

 悩まない者はいない。苦しまない者もいない。恥ずかしい者はいっぱいだ。

 だから、大変だけど、なんとか生きてみよう。

 生きていれば、生きてさえいれば、いずれなんとかなるものだ。

 みんなそうやって生きてきた。

 君もきっと例外ではないよ。        (2026.  6 記)

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 同日の追記です

 老醜、という言葉がある。

 若い時は嫌な言葉だなあ、と思っていたが、自分が年寄りになってみると、仕方がないことだし、それほど嫌なことでもない(?)。

 先日はスーパーの自動精算機で、お釣りの小銭だけ取って、お札を取り忘れてしまい、後から大騒ぎをしたし、車の車庫入れはあいかわらず一回でできなくなってあたふたしているが、それはそれでなんか笑えることだ。

 ジジタリアンだから仕方ない。

 悩みごとは年金が少ないこと以外はあまりなくなったし、苦しいことも腰痛を除けば(?)ないし、恥ずかしいことなんて、もちろん皆無。

 快適な日々だ。

 こんなに楽になるとは想像しなかった。

 若者諸君も、年寄りになれば、きっと楽ちんな人生が待っているはず。

 それまで、なんとか粘って生きのびたほうがいいと思うよ。