ゆうわファミリーカウンセリング研究室(じーじ臨床心理士・赤坂正人)  

ゆうわファミリーカウンセリング研究室(じーじ臨床心理士・赤坂正人)  

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングや原っぱカウンセリングなどを研究しています。
お問い合わせ、ご予約は、メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

経歴 
1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。
1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 
1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 
1977年、教員採用試験に落ちるが、家庭裁判所調査官補試験にまぐれで合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。 
1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 
2008年頃、放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)で学び始め、2014年に大学院を修了。
2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。
仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究しています。
所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会
論文 「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)、「別れた親子の面会交流についての考察」(2014・放送大学大学院修士論文)ほか 
住所  新潟市西区
mail   yuwa0421family@gmail.com

 クリスマスのサンタさんをめぐる孫娘たちとのやりとりが数年前にあって、それがけっこう面白かったので、以下に再録します(2014年ころ、上の孫娘が4歳、下の孫娘が1歳ころのことです)。
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 久しぶりに孫娘たちが遊びに来ました。
 上の孫娘が、サンタさんがプレゼントをくれたの、といって、赤い水玉の洋服を着たシルバニアを見せてくれました。

 下の孫娘も、ウーウー(そうだよ!)、といいます。
 じーじが、サンタさんは煙突から入ってきたのかな?と聞くと、上の孫娘は、うちにはえんとつはないの、といいます。
 じーじが、それじゃあ、窓かな?と聞くと、上の孫娘は、まどにはかぎがかかっているし‥、といいます。
 じーじが、不思議だね、といいますと、上の孫娘も、ふしぎだね、といいます。

 下の孫娘も、ウーウー(そうだねぇ)、といいます。
 サンタさんを何歳まで信じられるかが、幸せのバロメーターだという説があります。
 夢はできるだけ持ち続けたいものだと思います。
 また、おとなにわかることはきちんと伝えたほうがいいと思いますが、わからないことはどうすればいいでしょうか。
 人生、おとなにだってわからないことだらけです。
 じーじは、わからないことは、わからないねぇ、不思議だねぇ、でいいと思うのです。
 そして、子どものわからないことに丁寧に付き合うこと、それが大切ではないかと思います。
 わからないんだけれど、突き放さずに、丁寧に寄り添うこと、それが大切だと思います。
 子育てでも、カウンセリングでも、そこが大きなポイントかもしれません。
 わからないことだらけでも、じっくりと付き合っていける生き方をしていきたいと思います。       (2014. 12?記)

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 2020年12月の追記

 この時は知らなかったのですが、人生のわからないことやあいまいさに耐えること、これを詩人キーツさんはシェイクスピアさんをひいて、ネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力・負の能力)と呼びました。

 精神分析でも、ビオンさんがこのことにふれて、その大切さについて述べています。

 これについては、「居心地」さんのブログが、2020年6月に、精神科医で小説家の帚木蓬生さんの『ネガティブ・ケイパビリティ』(2017・朝日新聞出版)という本をていねいにご紹介されていて、とても参考になります。        (2020. 12 記) 

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 2024年12月の追記です

 キーツさんのネガティブ・ケイパビリティの考え方を、精神分析の土居健郎さんが『新訂・方法としての面接-臨床家のために』 (1992・医学書院)で紹介されています。

 日本では初めてだったのではないでしょうか。

 じーじはこの本で土井さんがキーツさんのことを紹介していることをおそらくは理解できずに、全然覚えていなくて、2019年頃にネガティブ・ケイパビリティが話題になった時に初めて気づきました(おそまつですねぇ)。

 土居健郎さんはやっぱりすごい臨床家です。        (2024.12 記)

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 2025年12月の追記です

 この時、ウーウーと言っていた下の孫娘も今や小学6年生。

 しかし、今もサンタさんを信じているらしく(?)、この間、サンタさんにお手紙を書いたらしいです。サンタさん、今年も来てくれるといいですねぇ。       (2025.  12 記)

 2025年12月の日記です

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 柏崎刈羽原発の民意の確認がなされていないまま、再稼働がされようとしている。

 地元の同意が必須であるはずだが、新潟県知事は民意の確認について、数々のパフォーマンスをしただけで、本当の意味での民意の確認は行なっていない。

 まあ、自民党推薦で当選した知事だから、最初からあまり期待はしていなかったし、その手続きを疑っていたが、やはり予想通りだった。

 新潟県議会は自民党議員が多数なので、強気で多数決で可決させたが、しかし、よく考えてみると、前回の衆議院選挙では新潟県の5つの選挙区はいずれも自民党が敗れ、立憲民主党が勝利をしている。

 県民の民意ということなら、自民党の原発再稼働の主張は否定されているのだが、知事も県議会もその事実に目をつぶって、原発再稼働に賛成をする。民意の捏造だ。

 地元の民意の確認というなら、やはり県民投票の実施が一番明確だろう。

 県民の利害関係が一番深刻な問題について、県民の賛否を直接、投票で問うことが一番民主的な方法である。

 実は、新潟でも県民投票を求める署名が行われたが、その結果を知事も県議会も無視をしてしまった。県民投票になれば、接戦が予想されるので、その結果を恐れたのだろう、と勘繰られても仕方ない。

 新潟県知事は今からでも、県民投票の実施を決断をすべきだと思う。県民投票で地元の民意を確認しよう。

 来年には、県知事選挙がある。県民のほうを向いているのか、自民党政府のほうを向いているのか、知事の姿勢が厳しく問われる選挙になるだろう。        (2025.  12 記)

 こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや原っぱカウンセリング、海岸カウンセリング、里山カウンセリングと訪問カウンセリングを新潟市で研究しています。また、メールカウンセリングや面会交流の相談・援助も研究しています。

 そろそろ引退も考えていますが、一応、これまでの仕事をご紹介すると、

 公園カウンセリングや原っぱカウンセリング、海岸カウンセリング、里山カウンセリングなどは屋外で行な心理カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング、ちびっ子の遊戯療法などで、近くの公園や自然の中などでゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。料金・時間は、1回、50分、3,000円で、隔週1回、あるいは、月1回などの間隔で行ないます。

 訪問カウンセリングは屋内で行なう心理カウンセリングや家族カウンセリング、ちびっ子の遊戯療法などで、ご自宅やお近くの屋内施設などで、じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。料金・時間・間隔は、公園カウンセリングなどと同じです。

 メールカウンセリングは、メールによるカウンセリングや心理相談で、2週間に1往信で行ない、1往信700円です。

 面会交流の相談・援助は、相談はご自宅などで行ない、1回、50分、3,000円、援助はお近くの公園や遊戯施設、あるいは、自宅などで行ない、1回、60分、6,000円です。

 カウンセリング、相談・援助とも、土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時にやっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは、赤ちゃんやちびっ子が一緒でも大丈夫なカウンセリングですので、お気軽にご利用ください。そういう意味では、深くはないけれども、現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は、低めに設定させていただいていますが、月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは、さらにご相談をさせていただきますので、遠慮なくお問い合せください。ちなみに、消費税には反対なのと、計算がややこしいので、いただきません。

 お問い合わせ、ご予約は、メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 駅の近くに部屋を借りるなどして、本格的にカウンセリングルームを運営するような臨床心理士さんとは違って、じーじはお近くの公園や原っぱ、広場、河川敷、海岸、林、森、里山などの自然の中や、ご自宅、お近くの児童公園、屋内施設、遊戯施設などでのカウンセリングを研究しています。 

 赤ちゃんやちびっ子を遊ばせながら、ちょっとだけ悩みごとを聞いてもらえればいいんですー、というお母さんや悩み多き若者(?)などがじーじのクライエントさんには多いです。

 そういうことですので、お気軽にご利用ください。

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 サンタさんやトナカイくんを眺めながらの公園カウンセリングは、こころもりんりん元気になりそうですね。

 2019年10月のブログです

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 武田専さんの『分裂病という名の幻想』(2003・元就出版社)を再読しました。

 武田さんは慶応大学医学部出身。

 後輩だった小此木啓吾さんの紹介で、日本の精神分析の先達である古沢平作さんから指導を受けました。

 今では精神分析の大家である西園昌久さんらと同期で、日本の精神分析を切り開いたかた。

 精神分析的な治療を行なう武田病院を創設されています。

 本書はその武田さんの回想録ですが、武田さんもかなり「熱い」(!)人です(武田さん、ごめんなさい)。

 やはりすごい人というのは、情熱的でなければ、その道を究めることが難しいのかもしれません。

 それだけに、読んでいて面白いですし、痛快。

 気持ちが晴れ晴れとしてきます。

 一方、統合失調症の患者さんや家族に向ける愛情はとても温かく、ていねいです。

 統合失調症の患者さんだけでなく、たくさんの症例の患者さんが紹介されますが、いずれの患者さんへの治療もていねいで、こころがこもっています。すごいな、と思います。

 「熱い」人は、弱い立場の人には優しいのだ、と思います。

 びっくりしたのは、武田さんも、眼はそれを探し求めるもの以外は見ることはできない、という言葉を引いていること。

 精神分析や精神療法における大切な点のようです。

 もっとも、世の中のこと、すべてに通じる言葉かもしれません。

 「熱さ」と冷静さ、武田さんの魅力が爆発しているかのような、楽しくて、感動的な本です。        (2019. 10 記)

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 2025年3月の追記です

 きたやまおさむさんの『コブのない駱駝-きたやまおさむ「心」の軌跡』(2024・岩波現代文庫)を読むと、イギリス留学から帰国をしたきたやまさんが、慶応大学病院の小此木啓吾さんのもとで勉強をしながら、武田病院に勤務した記述がありました。

 当時のきたやまさんの精神分析学会での精力的な発表は、こういった経験から生みだされたのかもしれないなあ、と想像したりします。

 その後、きたやまさんは九州大学の先生となって活躍されますが、貴重な勉強の期間だったことが想像できます。       (2025.3 記)

 2022年4月の日記です

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 テレビを見ていたら、古民家再生で有名なカールさんが出ていた。

 ご存じのかたもいらっしゃると思うが、カールさんはドイツ出身の建築家で、新潟の田舎に住み、古民家再生の仕事をされている。

 時々、カールさんやそのお友達が登場するテレビ番組が放映されていて、そのほのぼのとした雰囲気が好きで、見ることが多い。

 今回は冬の巻。

 新潟の雪景色の美しさと人々の温かさがとてもいい。

 そんな中でのカールさんの奥さんへのインタヴューの答えに驚く。

 ドイツでは、サンタクロースは怖い存在だ、と。

 知らなかった。

 日本と違って、ドイツのサンタクロースは、クリスマスイヴにプレゼントを持って現われ、その時に、いい子でいたか?と、まるで日本のなまはげさんのように聞くらしい。

 これは子どもにとって、とても怖い存在だ。

 いいお話を聞けた。

 世界には、国は変わっても、同じような存在がいるようだ。

 われらがなまはげさんが、ドイツのサンタクロースと同じような存在だと教わって、とてもうれしかった。

 なまはげさんはやはり世界基準のようだ。        (2022.4 記)

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 2022年12月の追記です

 先日、BSでドイツのサンタクロースの番組をやっていた。

 みんなのお尻を叩いて、とても怖そうなサンタクロースだった。

 世の中に怖いものがいることは大切なことだと思う。 

 怖いものがいないと、人間はおごり高ぶって、謙虚さを忘れてしまう。

 ねえ、プーチンくん。        (2022.12 記)

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 2024年1月の追記です

 ニュースを見ていたら、大みそかに秋田のなまはげさんが大活躍をしていた。

 悪い子はいねか!いい子にしてたか!とこわい、こわい。

 子どもたちもたいへんだ(?)。

 しかし、いいもんですねぇ!

 なまはげさんには、ぜひ、ロシアにも出張してもらいたいものだ。         (2024.1 記)

 2019年9月のブログです

     *

 斎藤環さんの『家族の痕跡-いちばん最後に残るもの』(2010、ちくま文庫)を再読しました。

 家族のちからについての鋭い考察で、良くも悪くもちからのある家族の存在を再確認させられます。

 例によって、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、ひきこもりの家族にも見られるダブルバインドのコミュニケーション。

 言葉と表情とで違うメッセージが発せられるダブルバインドは統合失調症の家族に多いとされますが、ひきこもりの家族にも見られ、治療的にはダブルバインドをなくする方向がいいと述べられます。頷けます。

 これに関連して、コミュニケーションとは、情報の伝達ではなく、情緒を伝えること、ということも述べられます。

 二つめは、臨床家が扱う記憶というのは、事実ではなく、心的現実や幻想である、という主張。

 これも大切な視点だと思います。

 三つめは、世間というもののちから。

 こころの病いになる方に世間のちからが悪く作用しがち、と述べます。

 そして、世間の目に左右されない「自明性」はプレエディパルな二者関係の世界で形成され、思春期や成人後もその「自明性」の空間は機能し、家族はその器の一つである、と述べます。

 なかなか難しいですが、家族の大切さをうまく説明している文章だと思います。

 さらには、家族が世間の目に右往左往しない強さも必要でしょう。

 家族のちからという視点をさらに意識しながら、今後の臨床にあたりたいと思いました。        (2019.9 記)

     *

 2025年12月の追記です

 説明不足だったかもしれませが、プレエデェパルな二者関係の世界、とは、生後間もなくに基本的な信頼関係が形成される親子関係の世界のことです。

 普通は母子関係をさしますが、母親だけとは限らず、父親や祖父母との関係でも形成されると思います。わかりやすく言えば、おっぱいやおむつ替えの世界です。

 その後、父母と子どもの三者関係の世界になるわけですが、それでも最初に築かれる自明性が大切だと述べられているようです。       (2025.  12 記)

 2018年12月のブログです

     *   

 沢木耕太郎さんの『旅する力-深夜特急ノート』(2008・新潮社)を再読しました。
 2008年の本ですから、ちょうど10年ぶりです(いい本なのに、沢木さん、ごめんなさい)。
 このところ、沢木さんの『深夜特急』を読んできたのですが、先日、本棚を眺めていると、下のほうの段にこの本を見つけてしまいました。
 こういう偶然があるから読書はやめられません(といっても、単に整理整頓が苦手なだけなのですが…。今も沢木さんの本はあちこちの本棚に潜んでいて(?)、時々探している始末です)。
 本書は、沢木さんの旅の記憶や体験、文章を書くことの経験やそれについて考えること、そして、『深夜特急』に繋がる旅とその文章化について、などなどが述べられていて、とても刺激的で、面白く読めます。
 テレビの大沢たかおさん主演の『深夜特急』についても書かれていて、興味深いものもあります。
 ひとつ、発見をしたのは、『深夜特急』において、沢木さんが写真を載せていない点。
 沢木さんは、写真でなく、文章で勝負をしたかった、と書きます。
 ここは、じーじのブログと全く同じです(?)(じーじの場合は、単にカメラがないというだけなのですが…)。
 表現力に大きな差がありますが、文章の力を信じている点だけは同じなのかもしれません(ちょっとおおげさですかね?)。
 しかし、じーじが、『深夜特急』以外にも、沢木さんのエッセイを好んで読んでいる理由は、この辺にもあるのかもしれません。
 学ぶことも多くあります。
 あまり意識はしていませんでしたが、家裁調査官時代も実はこっそり文章を真似していたかもしれません(?)。
 その割に、お粗末な文章ばかり書いていますが…。
 これからも、沢木さんを見習って、じーじのひとり旅や孫娘シリーズをせっせと書いていきたい(?)と思っています。       (2018. 12 記)

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 2025年12月の追記です

 今年の北海道旅行では久しぶりにスマホで写真を何枚か撮ってみたのですが、やはり思うようには撮れませんでした。

 写真だけは苦手な(?)じーじには、どうしても無理なようです(しくしく)。

 じーじはやっぱり文章で勝負するしかないようです(?)。      (2025.  12 記)
 
 

 2018年12月のブログです
       *

 たまたま、NHKのEテレを観ていたところ、今日の日曜美術館の特集が画家の「相原求一朗」さん。
 絵のことには全く疎いじーじですが、相原さんのことは知っています。
 まだひとり旅を始めたばかりの頃、じーじはどさんこの画家さんである坂本直行さん(六花亭の包装紙の絵の画家さんです)の絵が見たくて、帯広近郊の中札内村にある六花亭の美術村に行きました。
 そこで、坂本さんの絵を十分に堪能したあと、美術村の中をぶらぶらしていたら、相原求一朗美術館というのがあって(知らなかったとはいえ、相原さん、ごめんなさい)、入ってみました。
 すると、そこには、北海道の山々の絵がたくさん。
 どれもが、北海道の山らしい雄大な絵ばかり、すっかりお気に入りになってしまった記憶があります。
 じーじにしては珍しく、椅子に座ったりして、見入ってしまったことを思い出します。
 じーじが知っている山だけでなく、知らない山も、なんとなく北海道らしくて(それがなぜかは、うまく言葉にできませんが)、すごいな、と思いました。
 帰りには坂本直行さんの絵はがきだけでなく、相原さんの絵はがきも買い求めるほどでした。
 今日のテレビを観ていると、相原さんは戦争中に満州にいたことがあり、戦後、それと似ている北海道を訪れるようになったとのことでした。
 満州では戦友が亡くなったりと辛い思い出があったようで、それが北海道の山の絵を描くなかに投影されているようです。
 確かに、重苦しいような印象もありますし、しかし、雄大な、爽快さみたいなものも感じられますし、ひと言では言い表せない深みみたいなものが感じられます。
 番組のゲストのかたが、見る人によって、いろいろな想いが湧いてくるのでしょうね、とおっしゃっていましたが、同感です。
 偶然でしたが、朝からいい番組を観れて、とても幸せな気分でスタートした日曜日です。           (2018. 12 記)

 

 

 

 

 2019年7月のブログです

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 神田橋條治さんの『医学部講義』(2013・創元社)を再読しました。

 こちらも久しぶり、しかしながら、大切なことがいっぱいです(再読が遅くなって、神田橋さん、ごめんなさい)。

 例によって、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、マニュアル診察の弊害。

 マニュアルをチェックするだけの診察が横行していて、誤診が多発している状況に警告を発しています。

 そうではなくて、患者さんの全体を診て、診察をする大切さを強調されます。同感です。

 二つめは、これとも関連しますが、サリヴァンさんもいう「関与しながらの観察」の重要性。

 パソコンの画面を眺めるより、患者さんをよく診て、関わることの大切さを述べられます。

 これに関連して、「患者様」という表現に違和感を感じる、とも述べられます。これにも同感です。

 言葉だけを丁寧にしても、患者さんを丁寧にすることにはなりません。

 しかも、丁寧にしすぎで、人間味がなくなっています。

 ここで、中井久夫さんの『看護のための精神医学』(2001・医学書院)を薦められていて、いいタイミングです。

 そして、三つめは、神田橋さんも自身の失敗を隠さないこと。

 他の大家と同様ですが、すばらしい臨床家の資質の一つのようです。

 大切なことをいろいろと教えられ、また深く臨床を考えることができました。感謝します。        (2019.7 記)

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 2022年9月の追記です

 大切なことがいっぱい述べられている本ですね。

 早いうちに再読をしなくっちゃあ、と思います。        (2022.9 記)

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 2025年12月の追記です

 神田橋さんからは家裁調査官になってからずいぶんと大切なことを学んできたように思う。

 特に面接の仕方は勉強になった。

 精神分析への興味も神田橋さんの影響が大きい。

 じーじの公園カウンセリングも、神田橋さんの、ベンチでの横並びの面接、の影響を受けている。

 じーじにとっては大切な存在のお一人である。       (2025.  12 記)

 2019年7月のブログです

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 岩宮恵子さんの『フツーの子の思春期-心理療法の現場から』(2009・岩波書店)を再読しました。

 なかなか面白い本で、読むのはもう何回目かですが、感想文を書くのは初めてです。

 「フツー」の子どもたちが、何をきかれても、「フツー」とか「ビミョー」とか、口癖のように言う現象を事例を紹介しながら、描いています。

 確かに世の中に、そういう子どもたちがいますが、それを臨床心理学的に、しかも事例を交えて分析をするところが岩宮さんのすごさです。

 岩宮さんは、こころの内側のことを言葉にしろと言われても無理なので、「フツー」と返すのではないか、という解釈をされます。うなずけます。

 じーじの経験では、ワカンナイ、を連発する子どももいます。

 総じて、こころの内側を見るのが苦手な子どもが増えていて、うわべの人間関係が多くなっているようです。

 そして、痛みや哀しみ、怒りを無視しようとしたり、なかったことにしようとする心理機制が強く働いているようです。

 できることなら、ああでもない、こうでもない、と考えるのが望ましいでしょうし、そういうような付き合い方をしてくれるおとなの存在が大切になるのでしょう。

 そういう本気の付き合いが大切なんだろうと思います。

 やさしい言葉づかいの本ですが、子どものことを深く考えさせてくれるいい本だと思います。        (2019.7 記)

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 2021年冬の追記です

 ああでもない、こうでもない、と考えられることというのは、あいまいさやわからないことに耐えられること、につながるのかもしれませんね。        (2021.2 記)