ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)  

ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)  

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどを新潟市と北海道東川町(夏期)でやっています。
お問い合わせ、ご予約は、メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

 こころの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリング,訪問カウンセリング,メールカウンセリングを新潟市と北海道東川町(夏期)でやっています。また,面会交流の相談・援助もやっています。 

 公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングは,屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,お近くの公園や自然の中で,ゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間は1回50分3,000円で,隔週1回,あるいは,月1回などで行ないます。

 訪問カウンセリングは,屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,ご自宅やお近くの屋内施設で行ない,じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間などは公園カウンセリングと同じです。
 メールカウンセリングは,メールによるカウンセリングや心理相談で,2週間に1往信で行ない,1往信700円です。
 面会交流の相談・援助は,相談はご自宅などで行ない,1回50分3,000円,援助はお近くの公園や遊戯施設,あるいはご自宅などで行ない,1回60分6,000円です。
 カウンセリング,相談・援助とも,土・日・祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時に行なっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。
 じーじのカウンセリングは,赤ちゃんや子どもさんがご一緒でもだいじょうぶなカウンセリングですので,お気軽にご利用ください。そういう意味では,深くはないけれども,現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は,低めに設定させていただいていますが,月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは,さらに相談をさせていただきますので,ご遠慮なくお問い合せください。

 ちなみに,消費税には反対なのと,計算がややこしいので,いただきません。
 お問い合わせ,ご予約は,メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。   

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 クマさんを眺めながらの公園カウンセリングは、こころもぐんぐん強くなりそうですよ。

    

 

 

 

 2022年夏のブログです

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 7月16日(土)と17(日)の両日、新潟市で2022年遊戯療法学会が開催された。

 久しぶりの地元新潟での開催で、北海道にいるじーじはかなり迷ったが、夏休みの日程の都合もあって、今回はズームでの参加を選択した。

 遊戯療法学会だから、「勉強」と同じくらい「遊ぶこと」も重要ではないか、と臨床心理士のじーじは苦渋の(?)判断をした(大会委員長の横山先生、ごめんなさい)。

 もっとも、ズームでの参加といっても、スタッフのご努力もあってその臨場感はすごく、まるで会場にいるような雰囲気の中で勉強ができた。

 7月16日は、特別講演とシンポジウム。

 特別公演は山中康裕さんで、すごい講演だった。

 山中さんは、遊戯療法はクライエントとセラピストのたましいのぶつかりあいがあるからこそ意味がある、と遊戯療法の根本を述べられた。

 その熱意には本当に頭がさがる思いだった。

 じーじも拙いながらも、大切なことを大切と言えるように頑張りたいと決意を新たにした。

 シンポジウムは、テーマが、遊戯療法はなぜ効くか。

 エビデンス万能の世の中で、数字に表わしにくい遊戯療法の効果をいかにわかりやすく表現できるかなどが話し合われた。

 診療報酬などの問題もあって、治療効果は行政文書に表わしやすいことが世の中では求められるようだが、行政では救えない部分を遊戯療法が救っているのではないか、などといった意見も出て、議論は白熱した。

 7月17日は、ワークショップ。

 じーじは山中さんのスーパーヴィジョンに参加した。

 臨床心理士になろうかどうか迷いだしたという大学院生の遊戯療法のケースを山中さんがスーパーヴィジョンした。

 ケースについては書けないが、山中さんが厳しい中にも大学院生のいいところをたくさん指摘されて、大学院生だけでなく、聞いているメンバーも元気になるような、そして、とても参考になるスーパーヴィジョンを拝見することができて幸せだった。

 山中さんは、熱いだけでなく、やはりいろいろと大切なことをたくさん教えてくださるいい先生であった。

 いつまでも、熱く、そして、お元気でいてほしい、と思う。     (2022.7 記)

  

 2019年のブログです

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 松木邦裕さんの『不在論-根源的苦痛の精神分析』(2011・創元社)、やっと再読できました。

 この『不在論』が本棚の中で(おそらく)、かくれんぼをしていて、なかなか見つけられないことは以前、ブログに書きました。

 しかし、結局、どうしても見つけられず(ひょっとすると別の部屋に隠れているのかな?)、気の短いじーじはついに新しいのを買ってしまいました(うちの美人ちゃん奥さんには内緒です)。

 ようやく再読です。

 しかし、これが、やはりなかなか難しい本で、とても大切なことが書かれているのはわかるのですが、自分の臨床経験の少なさと理解の浅さから、思うようには掴まえられない感じです。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、精神分析の目標について。

 松木さんはフロイトさんが『ヒステリー研究』に書いた、痛ましい状態をありきたりの不幸に変える、というところを引いて、精神分析はそういうもので、さらに、不幸に耐える力を高めるもの、と述べます。

 精神分析が不幸を取り除いたり、幸せを与えたりするものではないことに注目だと思います。

 二つめが、乳児の理想的な乳房の幻想と不在の乳房についてで、対象喪失の問題です。

 対象喪失には、喪の哀悼の仕事が必要で、そこから抑うつ態勢ができると述べ、悲しみから(生きることの)哀しみに変わることが大切と述べます。

 そして、喪の哀悼の仕事の中で、患者さんがこころの痛みや哀しみに持ちこたえ、それらを受けいれていけるといいます。

 さらに、精神分析は、患者さんが不安や喪失をこころに収めきれないでいる状態を、収められるように援助することと述べます。

 このあたり、やはり臨床の経験を積まないと理解が難しそうですが、とても大切なことが述べられているように思います。

 さらに、勉強を重ねていこうと思います。       (2019.6 記)

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 2021年3月の追記です

 再読をしました。じーじにはめずらしく(?)、2年目での再読。

 やはりすごい本です。

   前回、頭でわかったつもりのことが、今回はこころに響いてきたような感じがします。

 さらに勉強を深めたいと思います。       (2021.3 記)

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 2024年夏の追記です

 フロイトさんが『ヒステリー研究』に書いた、精神分析は痛ましい状態をありきたりの不幸に変える、というところ、松木さんが、精神分析はそういうもので、さらに、不幸に耐える力を高めるもの、と述べているところはとても大切だと思います。

 精神分析が不幸を取り除いたり、幸せを与えたりするものと誤解されがちですが、じつはそうではないことが重要だと思います。    (2024.7 記)

 

 2023年夏、中1と小4の孫娘たちへのお手紙です

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 さーちゃん・あーちゃん、元気ですか。

 じいじは元気です。

 ばあばはすごく元気です。

 夏休みが近づいてきましたね。楽しみですね。何か計画があるのかな。

 じいじも夏休みがあります。7月下旬から8月下旬まで北海道にいってきます。

 少しさびしくなりますが、おみやげを買ってきますので、がまんしてください。

 さーちゃん・あーちゃんの夏休みの自由研究は決まりましたか。とくいの工作やお絵かきかな。

 じいじの自由研究は「北海道のくまさんの泳ぎ方について」になりそうです。

 クロール、平泳ぎ、犬かき、くまかき(?)、どれでしょうね。

 旭山動物園のしろくまさんはダイナミックに飛びこみますが、ひぐまさんはどうでしょう。

 橋の上からかんさつしようと思います。

 くまさんは川で泳いでいるサケくんを上手につかまえることもできるんですよ。

 北海道には、サケくんをかついだくまさんを絵にしたおかしがありますので、今年のおみやげはそれかな。

 楽しみにまっていてください。

 新潟のじいじより

 (2023.7 記)

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 同日の追記です

 先日、孫娘たちが遊びにきてくれた時に、小4の孫娘の漢字ドリルの宿題につきあっていたのですが、小4になるとかなり難しい漢字も習っていて、びっくりしました。

 中には、じーじもなかなか思い出せない漢字もあって(?)ひと苦労、孫娘からは、じいじは漢字が苦手なの?と聞かれてしまいました。

 そこで、まだローマ字入力が苦手な孫娘に代わって、じーじがパソコンで漢字を書き表すと、孫娘が、おー、といって尊敬のまなざし、なんとかじーじの威厳を保つことができました。

 なぜかこのところ、この2011年の古いブログを読んでくださるかたが何人かいらっしゃって、内容も今からみるとかなり不十分な感じがしますが、一応、再録をしてみます。
 そろそろ、もう一回読んでしっかりとリポートをしろ、ということかもしれませんし、じーじ自身も、そろそろ再読をしなければいけないな、とも思っています。
 そういうことで、こんな形でさらに勉強ができるのもいいな、と思ったりしています。   (2018 記)
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 2011年のブログです

 松木邦裕さんの『不在論-根源的苦痛の精神分析』(2011・創元社)を読みました。
 なかなか難しい本でじーじには2~3割くらいしか理解ができていないと思いますが、それでも力の入ったいい本だということは判りました。
 フロイトさんを着実にたどりながら(そういう意味では藤山直樹さんと似ている面があると感じました)、そこからさらに深く考え抜いていく姿勢は凄いです。
 当然、クラインさんやビオンさんにも言及がされますが、基本はやはりフロイトさんでした。
 いろいろなことが述べられていますが、やはり松木さんのいう「喪の哀悼の過程」を興味深く読ませていただきました。
 わたくしごとながら、じーじも今年は喪の作業の最中で、そういう時期にこのような本を読めたことに感謝したいと思いました。
 今後も何度か読み返していきたい本だと思いました。          (2011 記)
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 2018年の追記です
 久しぶりに『不在論』を読もうと思って、本棚の前に立ったのですが、どういうわけか『不在論』が不在(?)で見当たりません。
 これが本当の『不在論』です。
 ここで「不在」の悲しみをしっかりと味わいなさい、という神さまのご配慮(?)かもしれません(本当はただの整理整頓不足なのですが…)。
 「不在」の意味をよーくかみ締めながら、さらに学んでいこうと思います。       (2018 記)

       *
 2019年の追記です
 『不在論』はまだ不在中です。
 どこに隠れているのかな?      (2019 記)

 

 

 2021年春の日記です

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 晩酌をしながらニュースを見る。

 あいかわらずコロナのニュース。

 都会では人が集中し、密になっている。

 日本人は本当に密が好きだ。

 これではコロナも減らないわけだ。

 減ったと思ったら、政府が go to なんちゃらを再開して、また同じことの繰り返し。

 日本の歴史が同じことの繰り返しなのかもしれない。

 コロナはそのことへの警鐘かもしれない。

 フロイトさんは、人間は同じことを反復する、と述べた。卓見である。

 反復を避けるためには、反復になっていることを意識化することがまず必要だ。

 冷静な意識化と新たな行動が不幸の反復を避けることになる。

 そろそろフロイトさんに学んでもいいのかもしれない。      (2021.4 記)

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 2022年春の追記です

 本当に懲りずに繰り返すと思う。

 「まん防」が終わったとたん、go to なんとか。

 経済が大変なのはわかるが、もう少し自然にできないものか、と思う。

 戦争も同じ。

 ウクライナを心配するより、敵基地攻撃能力や核武装、原子力発電所防御の話になる。

 フロイトさんのいう反復は収まらない。      (2022.3 記)

 

 

 2016年のブログです

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 飛谷渉さんの『精神分析たとえ話-タヴィストック・メモワール』を読みました。
 飛谷さんは精神分析のメッカといわれるイギリスのタヴィストック・クリニックで4年近く訓練を受けた分析家で、じーじは何年か前の精神分析学会の分科会でお話を聞いたことがありますが、気さくなお人柄の先生です。
 この本はそんな飛谷さんが、ご自身が受けた訓練分析の経験を何とか本で伝えようといろいろな工夫をされているものだといえます。
 最初に出てくるのがイギリスの回転寿司での経験談。
 中国人の寿司職人の握るお寿司がどうも日本のものとは違うと飛谷さんが思っていると、その職人さんが、実は自分は日本の寿司を食べたことがない、との話で、飛谷さんはこれを受けて、訓練分析の経験がない分析家の分析も同じようなものかもしれないと述べます。
 分析家のだれもが強調をされますが、やはり精神分析にとって、訓練分析の重さはかなりのもののようです(じーじは想像をするしかありませんが…)。
 ほかにも、飛谷さんは巧みなたとえ話で、精神分析や訓練分析の経験を何とか読者に伝えようと必死の努力と工夫をされています。
 それを読むだけでも、勉強になります。
 そして、精神分析的な心理療法を実践したいと考えている人たちにも大いに勉強になるだろうと思います。
 精神分析の文献学習の一助になるいい本だと思います。      (2016 記)

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 2023年12月の追記です

 説明不足だったかもしれませんが、訓練分析とは精神分析家の候補生が自ら精神分析を受けることです。

 精神分析を受けることで、自らの精神状況や家族関係、人間関係などの理解を深め、同時に、精神分析状況を体験するようです。

 他には、自らのケースのスーパーヴィジョンを受けることや精神分析の学習などが必要になるようです(これで合っていると思うのですが…)。

 そういった訓練や研修を数年間受けることで、ようやく精神分析家としての資格が認められ、精神分析家のスタートとなります。

 いずれにしても、なかなか厳しい世界で、スーパーヴィジョンや文献学習の経験しかないじーじなどは、精神分析的な心理療法を実践するにしても、もっともっと研鑽を積んでいかなければなりません。      (2023.12 記)

 

 

 2019年の日記です

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 火野正平さんが北海道に上陸をした。

 昨日は千歳、今日は積丹。

 いいなあー。

 もっとも、じーじも来週後半には北海道に上陸をする予定。

 東川町や旭川でのカウンセリングの宣伝もしてしまった。

 北海道は今がいい季節。

 花や木々が美しく、食べ物もおいしい。

 貧乏人にも優しい土地だ。

 もちろん、森にはエゾシカさんやキタキツネくん、そして、クマさんも出迎えてくれる。

 旭山動物園に行かなくても、サファリパークのようで、とても楽しい。

 じーじは今年はなぜかオホーツクの海でゆっくりしたい。

 疲れているのかな?

 あとは、やはり「なつぞら」の舞台、十勝に行こう。

 なかでも、天陽くんのモデルとなった神田日勝さんの絵を見に行きたい。

 これまでも美術館の存在は知っていたが、そんなにすごい画家さんとは知らなかった。

 いい絵を見て、こころを豊かにしたいと思う。

 愛車タントくんでの貧乏車中泊の旅だが、こころは豊かに過ごしたい。

 いくぞ!北海道。     (2019.7 記)

 

 2016年ころのブログです
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 きたやまおさむさんの『みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』(1997・講談社)を再読しました。
 この本もずいぶん久しぶりです。
 きたやまおさむさんの本名は北山修さん。学者としては本名を名乗ります。
 そんなきたやまさんが一般向けに書いた精神科の本です(その後、文庫本も出ているようです)。
 もともとは雑誌・話の特集に連載された精神科についての連載。
 精神科の病気についてやカウンセリング、文化論、映画、などなど、多岐にわたって、気楽に読める文章が並びます。
 今回もいくつか印象に残った箇所がありました。
 ひとつは、子どもがおとなになることについての文章で、秘密をもつことと嘘をつくことの意味。

 子どもがおとなになるのはなかなかたいへんだなと考えさせられます。
 もうひとつは、サンタクロース。サンタクロースを信じられることは、子どもに楽観的な感覚を持たせてくれるといいます。

 そして、幻想が幻滅に至る過程にていねいにおとながつきあうことの大切さを述べます。

 以前、サンタさんについてのブログにも書いたように思いますが、やはりサンタさんをどれくらい信じられるかが子どもにとってはとても大切なことになるようです。
 さらには、きたやまさんお得意のつるの恩返しのお話。

 きたやまさんは、つるが逃げ去ることで終わらないで、つるの国まで追っかけて行って、つるを連れもどすことから、悲劇ではない、新しい物語が始まるかもしれない、といいます。卓見です。
 最後は、映画「マディソン郡の橋」。小児科医で精神分析家のウィニコットさんが、子どもが母親と二人でいて、一人でいることの大切さを述べていることに触れ、最後に出ていかない母親の大切さを指摘します。

 最近は、出て行ってしまう母親も増えていますが、深い考察が述べられています。
 軽い読み物ながら、考えさせられたり、刺激されることの多い本だと思います。      (2016?記)

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 2020年12月の追記です

 つるや母親が出ていかないで、ボロボロになりながらも、その場に「生き残ること」の大切さを精神分析では考えます。

 子育てはたいへんなことですが、周りの協力も得て、子どものそばで「生き残る」親が重要なようです。      (2020. 12 記)

 

 2016年のブログです

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 シーナさん、こと、椎名誠さんの『流木焚火の黄金時間-ナマコのからえばり』(2016・集英社文庫)を読みました。
 シーナさんが週刊誌サンデー毎日に連載をしているエッセイをまとめたナマコのからえばりシリーズの堂々第7巻(あれ?なんか宣伝ふうになってしまいました)。
 いつものように身辺雑記を記しながらも、世の中のおかしなことを爽快に滅多切りにしています。
 シーナさんはじーじより10歳としうえの(じーじが勝手に)尊敬をしている人生の先輩ですが、いつもその鋭くも正確な感性にとても共感ができるので、すごく気持ちよく読み進めることができます。
 そして、今回も、いつもの調子で、大笑いやくすくす笑いをしながら、ウンウンとつよく頷きながら読んでいると、なんと!「北海道の東川町で考えた」という文章が出てきました。
 シーナさんの写真展を写真の町宣言をしている東川町で開催することになり、お話もしてきたという記事です(じーじもぜひ行きたかったです)。
 写真甲子園のことや樹木に囲まれた家々のこと、大雪山の湧き水による水道のことなど、さすがは一流の作家さん、とても丁寧でわかりやすい文章で綴っています。
 そして、最後に、東川町の写真による町おこしについてふれ、安直なテーマパークなどで町おこしするよりもずっと大切な取り組みではないか、とここでも鋭い問題提起をされています。
 ひさしぶりに痛快なシーナ節を聞いて、おいしいビールを呑むことができそうです。      (2016.8 記)

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 2020年11月の追記です

 シーナさんがもし、写真甲子園の審査員になったら、じーじは何を差しおいても東川町に行きます。

 来年あたり、コロナを怖がりつつ群れているであろう東京オリンピックに背を向けて、写真甲子園を観にいきたいものです。     (2020. 11 記)