人はそれぞれ自らの明確な生き方を胸に抱いて生きているものか、と言われれば絶対的に全ての人間がそうであるとは言い切れない。

生き方。スタンス。というものはその人の人間性に繋がる。

ゲームで言うところの
プレイスタイルである。



それは自分を持つということで、いわゆる自信に繋がるものであると考える。
自己を確立出来ている人間は一般的に精神年齢が高いという表現や、空気感が他と異なり大人びている等と周囲から認知されている人に多く存在していると思う。


なぜ大人びて見えているのか。


まず自己を確立するためにはそれなりの経験、及び苦労を要するからであると考える。
人は苦悩から多くの事を学ぶ。
それはポジティブな事からネガティブな事まで幅広く。


それは環境的なものであったり、人との関わりであったり。
いわゆるいじめなど。
また、自らの考えなしの行動による失敗などなど、様々なものがあると思う。
このような苦労苦悩は紛れもなく、この先の人生における経験として根強く人間性を支えるものになると思っている。

ようは失敗から、またはその事実から何を学ぶのか。
これらが大切。

例えば、いじめられていた人間はいじめられている人間の気持ちが分かる。
つまるところバカと言われたら言われた相手がどう思うか、またどう感じているかという点に目を向けられるようになれるはず。

などのように視点を切り替える力を身につけ、いかに経験値として自分に取り込んでいけるか、そしてその取り込んだものが人間性に大きく反映されるのだと思う。


いかに自分のものにしていきながら、先の人生を歩むか。
人間性を磨くための材料は日々生きている中でありとあらゆるところに転がっていると思う。
よく周囲に目を向け、かつ目を凝らしてみてほしい。
そうすればきっと相手を思いやれる人間になれると思う。


一つだけ絶対に行ってはいけないのは経験値によるマウントの取り合い。
またはマウントを取ろうとする姿勢。
苦労や苦悩を感じるキャパシティは人それぞれ。
自分にとっては小さな悩みに感じても、相手にとってはとても大きな悩みかもしれない。

自分の方が不幸だった。
いや、そんなの俺の苦労に比べたらさ?



などと抜かすような下らないプライドを振りかざすような低俗な人間にはどうかならないでいただきたい。
根本的に他人と自らの経験の濃淡を比較するような卑屈な人間は失敗から何も学ばない。
心当たりがあったら、相手を思いやれるように思考、行動をしてみてほしい。
あくまでも経験として割り切ってみれば、存外生きやすいかもしれない。
過去をどう未来のために昇華させていくか。
これを感覚的に行える人間がどれほどカッコ良く映るか、大人びて見えるか。
相手を思いやれる心の余裕がそう見せているのだろうと思う。
根拠をご理解いただけましたでしょうか?

経験する事柄、昇華の行い方が人それぞれ故に一人ひとり個性があり、十人十色という言葉があるのだ。
あなたの根幹を築くのはあなたとあなたの経験であることを常に覚えていてほしい。

この発想の転換は恋愛関係にも使える応用の効くものなので、実践あるのみ。