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廊下のベンチに、診察待ちの患者たちが座っていた。
病人だから当然とはいえ、いずれも顔色が悪く、死人の一歩手前のような人も散見された。
いずれも、どちらかというと所得の低そうな、貧しいみなりの人々だった。
脚がときどき激しく痛んだので、私は休み休み歩いた。
「喫茶室」と書かれたドアの横にあったベンチに腰を下ろした。
廊下の向こうから見覚えのある男が歩いてきた。
マリが病院に運ばれた晩に出会った医師だ。
よれよれの白衣を着て、ゆっくりと歩いてくる。名前は確か秋山。
「その節はどうも」
秋山がすぐ近くまで来たとき、私は立ち上がり、軽く会釈して、いった。
「え?」
私の顔を見ても誰だかわからないのか、秋山は表情も何もなく、いった。私は笑顔をつくり、
「夜遅く、おじゃました者です。あの雨の晩に」
「雨の晩・・・」
秋山は私の言葉をくりかえし、それでも思い出せない様子だった。
「ブラック・シーガル・ジョーがどこにいるのか、まだわかりません。もちろん、マリも、白いスーツの男も、黒塗りのクルマも」
「・・・・」
秋山はまったく無表情だった。私は秋山の顔をのぞきこみ、
「お忘れですか、私のこと」
秋山はびくりとし、何かを恐れているような顔をした。
「・・・さ、さあ。どちらさま?」
乾いた、少し震える声だった。とりつく島もないまま、秋山は歩き去った。
私は首をかしげた。
それから、ゆっくりとした身動きで、また脚をひきずりながら、秋山がやってきた方角へ歩き始めた。
ふと、その方角から、病院の廊下に、風が吹いてくる。そんな気がしたのだ。
秋山が、不思議な風を運んできたのだ。秋山が歩いてきた方角から、その風は流れてきている。
思えば、暴走族の連中の攻撃を受けたのも偶然、警官に脚を撃たれたのも偶然、この病院に再びやってきたのも偶然。
こういう場合は、もうひとつぐらい、偶然が起きる。
入院病棟にさしかかった。男性病棟だ。秋山が出てきたのは、この病棟からだったのだ。
ひとつひとつ、病室の中をのぞきながら、ゆっくりと歩いた。
どの病室も大部屋。どの部屋も、薄汚れた壁。
清潔とはいえないシーツが敷かれたベッドに、病人たちが横たわっていた。
病人は高齢の人が多かった。
いずれも身動きひとつしない、あと数日で死んでしまうのではないかと思える、ミイラのような人ばかりだった。
病人たちの中には、かなり若い患者もいた。茶髪の青年だった。口をあけて、昏々と眠りこけていた。
この青年にも、死相が見えた。ここは、手のほどこしようもない患者ばかりの病棟なのだろうか。
病室をゆっくりとのぞいては、ときどきその中に入った。
付き添いのいる患者は皆無で、病人たちも廃人のように寝ているだけだったから、私は誰からも咎められず、話しかけられさえもしなかった。
・・・・つづく
