アウシュビッツ&南ドイツへの旅4 | 折々

折々

日々感じたこと

 第3日はクラクフ観光。

 ポーランドは地動説を発表したコペルニクスがクラクフ大学で教鞭を取ったことで知られている。またショパンの誕生の国、マリー・キューリーの生誕の地でもある。

 

 ポーランドの歴史はほとんど知らなかったので、歴史を概観する。

 15.6世紀にポーランド・リトアニア王国としてもっとも栄えた。(この時代に活躍したのがコペルニクス)その後スウェーデン、オスマン帝国との闘いで疲弊、1795年のロシア、プロイセン、オーストリアによるポーランド分割によってポーランドは地図から消えた。この時期にショパンがポーランド復活の夢を抱きながら活躍したことは有名。ナポレオン戦争後のポーランドはロシア帝国の属国化するが、この時代にパリで活躍するのがキューリーである。

 第一次世界大戦でドイツが敗れ、1918年にポーランドは独立した。そしてナチスドイツによる占領の時代が来る。

 

 アウシュビッツから帰って夜のクラクフを散歩しました。お祭りの後と言うこともあって、かなりの人通りでした。観光客用の馬車も夜遅くまで動いていました。

 

夜の聖メアリー教会前広場

 

レストランを覗く

 

宿の近くの街角

 

賑あうレストラン

 

 市の中心のマーケットは朝早くからやっています。野菜、魚類、肉類、花屋などのお店が並びます。

 

朝のマーケット

 

 その後、ヴァヴェル城を訪問。歴代のポーランド王が居城とした城です。

 

ヴァヴェル城の石垣

 

ヴァヴェル城内の教会

 

ヴァヴェル城内の宮殿

 

ヴァヴェル城から見た新市街とヴィスワ川

 

クラクフ旧市街の地図

 

 クラクフ観光ではすごいことがありました。同行の一人が動画を撮りながら移動していたところ、後から三人の若い女性が近づいてきて、何か変だなと後に背負っていた鞄を見たところ締まっているはずのチャックが開いており、中を点検したところ財布が無いのに気がつきました。カメラをその女性達に向けたまま、鞄を見せろと迫り開けさせたが財布は見つかりません。そこで通ってきた道に駐車してる車の下が怪しいと探り始めると、観念したか女性達が財布を返したというのです。危ないところでした。カメラを向けたのと、車の下だと言う判断が相手をひるませたのだと思います。鞄を後に背負うのは要注意です。

 この後クラクフ空港から飛行機でミュンヘンに移動。ミュンヘン駅でレンタカーを借りました。同行の親子はバイエルンのサッカー試合を見学に。残りの3人は郊外のレストラン「クルフェルスト」へ。私はラム肉のステーキを頼みました。ビールも美味しかったです。突然の雨で屋外から屋内に移動。バイエルンの試合に行った同行のかたは手口足氏病が治りかけなので心配。ホーボブリュック駅まで、傘とタオルを持って迎えに行くことにしました。試合は3-1でバイエルンの勝ち。大勢の赤シャツ軍団が車両一杯に乗って次々到着。12時近くになってようやっと同行親子が降りてきました。
 宿泊はミュンヘン郊外ウンターシュライスハイムのスターインホテル「ミュンヘンノルド」、すぐ駅の近くでした。

 

レストラン「クルフェルスト」

 

私の頼んだラム肉のステーキ

 

スターインホテル「ミュンヘンノルド」

 

 ウンターシュライスハイムは、新興住宅地という感じの街でした。集合住宅、スーパーマーケット、分譲住宅といった感じの建物が整然と並んでいます。ミュッヘンのベットタウンと言った所でしょうか。

 

ミュンヘン郊外の地図