「伊原さんは、あの椿をどう思いますか?」
「どう?
どうといわれてもね」
「率直な意見を」
「率直ねえ」伊原さんはコーヒーを一口啜る。
「ここは祖父から譲り受けた土地なんだ。
あの椿はぼくの子供の頃にはもうあって、きっとずっと昔からあそこに立っているんだろうね。
節分が過ぎた頃から花が咲きだして、その時期に祖父に会いにここに来たときには、なぜだかよく眺めていたような気がするな。
椿の花ってまだ綺麗に咲いている内に自然に落ちてしまうんだ。
その瞬間を見てやろうと躍起になっていたのかもしれない」伊原さんはマグカップを手に取った。
「葛城さんは、あの椿に何か思うことがあるの?」
「いいえ」玲さんははっきりとした口調で言葉を紡ぐ。
「わたしは教えてもらうまであれが椿の木だということすら知りませんでした。
ただ単に、古い木だなあと思った程度で。
でも、千昭くんは違うみたいなんです」
「違う、というと?」
柚原くんに問いかける。
柚原くんは手にしていたマグカップを静かにテーブルの上に置いた。
「伊原さんは視えませんか?
あの椿に女性の霊を」
堂々とした口調で、いきなりとんでもないことをいったものだとぼくは思った。
伊原さんは目を見開き柚原くんを見つめている。
発言した当の本人は、いつもと変わらず涼しい目をしている。
「何だって?
幽霊?」
伊原さんはいよいよ堪えられないといった感じで、小馬鹿にしたような乾いた笑いを溢した。
柚原くんは前屈みに身を乗り出す。
「右上には何が見えました?」
「え?」
柚原くんは自分の左のこめかみに人差し指を突き当てていう。
「人は嘘をつくとき左脳が活発になるんです。
左脳は右側の視界を支配しています。
つまり、人は嘘をつくとき無意識に右上を見てしまう」
「ぼくが嘘をついた、と?」
「そうです」
「心理学かい?
今の時代、高校でも心理学を教えるのかな」
「どうやらそのようですね」
「柚原くん、きみはどうかしているよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。
だって幽霊だなんて……」
「ということは、伊原さんもどうかしています。
だってあなたにも視えているはずだ。
だからぼくたちに庭の手入れをさせたんです」
「……」
「いえ、そうでなくてもあなたはどうかしている。
そうでしょう。
あなたは人を殺している。
友佳さんを」
伊原さんもぼくも玲さんも、一斉に柚原くんを見る。
「友佳を…?」
顔が青ざめるとは、こういうことをいうのかと、はじめて知った。
窓からは夕日が差し込み、ぼくたちは柿色に染まっているはずだ。
しかし、伊原さんの表情は依然と硬く、石膏のような青白さだ。
「有佳?
誰?」
玲さん、当然の反応だ。
友佳って、誰だ?
「きみは、どうして友佳を知っている。
調べたのか」
柚原くんは、何のことをいっている、といった風に首を傾げる。
柚原くんの挑発的な態度に対して、伊原さんは苛立ちを隠し切れなくなっていた。
「だからいったでしょう。
あの椿に女性の霊が視えるって」
「潮見くん、この子一体何なんだ」
同級生です、なんて冗談をいうわけにもいかない。
「伊原さん、今は柚原くんの話を聞きましょう。
ぼくにもさっぱりわかりません」
ぼくは黙り、伊原さんがふんっと鼻を鳴らす。
そして柚原くんの方に向き直る。
「いいだろう」
柚原くんはこくんと頷く。
「友佳さんとは、あなたの連れ合いだ。
失踪した、とあなたはいっていた。
でもそれは嘘だった。
だって、友佳さんはあなたに殺されたんだから」
柚原くんは背もたれに深く身を収め、話を続ける。
「あの日……ぼくたちが花壇の手入れをした日のことですが、潮見くんが血痕の付いた煉瓦を見つけました。
その煉瓦は血痕が隠されるようにして花壇の隅に積み上げてありました。
意図的に誰かが隠したように、ぼくにはそう見えました。
伊原さんは、気付かなかったんですよね。
だって、気付いていたら警察に連絡したはずだ。
そうすれば友佳さんの件は、いよいよ失踪から事件へと変わっているかもしれない」
「そうだね、確かに……煉瓦なんて知らないな」
「では、あの煉瓦は誰が隠したのでしょうか」
「さあ」
「ぼくには、花壇の手入れをしている友佳さんが背後から襲われる様子が想像できます。
煉瓦の血痕はそのときについたものでしょう」
「なんだ、わかってるじゃないか。
きみの想像通りだとしたら、煉瓦を隠したのは友佳を殴った犯人だ。
そうだろ」
「殴った?」
「ん?」
「友佳さんは、殴られたんですか」
伊原さんは息を止めた。
ぼくは、両腕に鳥肌を立つのを感じた。