古椿 【六】 | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。


電車を降りると雪国であった。

…とは過言ではあるが、ホームの日陰には、一昨日の夜しんしんと降り積もった雪。
目の前に広がる田畑にも雪。
目の前にそびえ立つは残雪の山々。

玲さんは駅名票の脚に堆積した雪の塊を蹴とばす。
氷の礫が小さく宙を舞う。
景色とは相反して陽気は小春日和であり、故にこの雪たちも近いうちに消えてなくなるのだろう。

ぼくたちは伊原さんの自宅最寄りの駅まで電車でやってきた。
無論、伊原邸の花壇の手入れのためである。
本当は三人共自転車で来られるくらいの距離だったのだが、ぼくの体調を案じた二人が電車の利用を提案してくれた。
実際、今はまだちょっとした運動をしただけでも息が上がり、咳が止まらなくなる。

ぼくは病人なのである。
もしも、みんなが本当にぼくの身体のことを案じてくれているのなら、この一件にぼくを巻き込まないのではないか。
真意は不明である。

伊原さんに教わった通り、改札のない駅を出て直進する。
曰く、伊原邸までは駅を出てから道なりに直進すればいいそうだ。

緩い下り坂を進むと大きな橋が見えてくる。
その向こうには住宅地が見える。
この橋は歩行者用で、十数メートルほど向こうに架かる橋では車が流れている。
橋の下を流れる川は、ぞっとするほど青い。
春とはいえども、この辺の春はまだまだ寒い。
何せ、この時期に雪が降るのだ。

河原には大きな石や流木がごろごろしている。
中州には口の長い白い鳥が一匹佇む。
ぼくは橋を渡りきるまでなんとなく、その白い鳥のことを眺めていた。

橋を渡り、それほど背の高くないマンションの間を抜けると民家が密集している。
同じような建物が並び、道がカーブしていたり横道があったりで、いつの間にか伊原さんに教わった「直進」を守れていなかった。
住宅地で迷子になってしまったと思ったのだが、柚原くんがその一角にある伊原邸を見つけてくれた。


「あの家だよ」


建物自体は真新しいにもかかわらず、どこか懐かしい雰囲気を醸し出す。
それはきっと、塀の向こうに見える赤い花を咲かせた古木のせいだろう。


「古そうな木ね」

「椿の木」と、柚原くんが呟く。

「へえ。
 これが椿なんだ」


もしかしたらシャーロック・ホームズの『ぶな屋敷』みたく、近所では「椿屋敷」なんて呼ばれているのではないだろうか。
それだけ、この椿の古木は伊原邸を印象付けていた。
あんな立派な木が庭にあるなら、目印にしてくれればよかったのに、とぼくは思った。

玄関前には石彫りの梟像が置かれていて、「
Welcome」と書かれたプレートを小さな両手で抱えている。
それに誘われるようにして、ぼくたちは敷地内に足を踏み込む。
誰もいないことがわかっているから、そのまま椿の古木のある庭へと向かう。

縁側に面して花壇がある。
赤茶色の煉瓦が二段に積まれ、二畳ほどの広さを囲っている。
花壇には黄色の花と白っぽい花しか咲いておらず、その花の脇には肥料アンプルが挿されている。
入院前に伊原さんが挿していったのだろう。
アンプルの中身は当然、空っぽである。


「ナノハナとチオノドグサ」


柚原くんが呟いた。
なるほどこれがナノハナか、とぼくは感心する。
黄色の花がナノハナのはずだから、白っぽい花がチオノドグサなのだろう。
花の名を知っていても、実物を見てその名が出てくる花は少ない。
ぼくの場合は、チューリップとパンジーくらいだろうか。


「あっちの花は?」


玲さんの指差した先に赤や紫や白の花が咲き誇っていた。
ちょうど椿の木の根元辺りである。
柚原くんは一瞬眉間にしわを寄せた。


「あれはストックです。アラセイトウとも呼ばれています」


ぼくと玲さんは顔を見合わせた。
柚原くんはどこか、その花を避けたい様子なのだ。



梟2013