芽衣は初めて異性の香りに包まれた。
いつの間にか眠ってしまっていた。
隣ではまだ五月が眠っていた。
床に落ちている自分の抜け殻をしばらく眺めていたが、やがて白いシーツからするりと抜け出し、五月を起こさないようにそれらを身に付けた。
室内は薄暗く、窓の外もすっかり真っ暗になっていた。
芽衣は時間を知りたかった。
腕時計は手元になく、どうやらこの部屋にも時計はないようだった。
芽衣は部屋を出てリビングへ戻った。
下半身がこそばゆい感じがして、それが不思議と幸福感を誘った。
ソファの上の自分のバッグから腕時計を探り出し、薄暗闇で目を凝らして文字盤を見た。
短針はⅨの文字を少し過ぎた部分を指していた。
まさかこんなに遅くなっているとは思っていなかったので、芽衣は色々なことを想像して脇の下に冷たい汗を感じた。
バックを手に取り、五月の家を後にすることにした。
玄関を出て、振り返った。
急なことだったが、後悔はしていなかった。
家に帰ろうと思ったが、自転車がないことに気が付いた。
あの、五月と出会った公園の入り口に置きっぱなしだった。
芽衣は五月と来た道を辿って公園へと向かった。
この日以降、芽衣は毎日のように五月の家へ通った。
軽音部がある日は部活後、そうでない日は放課後。
芽衣は自由に楽器を使わせてもらい、曲作りした。
五月はそれをただただ見つめていた。
ただそれだけなのに、芽衣は五月に必要とされているように感じ、幸せだった。
朝の通学ルートが少し変わった。
これまでより少し早い時間に家を出て、いつも通り学校へ向う。
いつも通り犬の散歩をする近所のおばさんとすれ違い、いつも通りウォーキングする老夫婦とすれ違う。
そして、彼と出会ったあの公園に立ち寄る。
高台にあるその公園から彼の家を探した。
周りの風景とは不釣り合いなほどお洒落な赤い煉瓦作りの古い小さな家。
目印は煙突。
「メイー」
葛城玲の声に芽衣は振り返った。
赤茶色の縁メガネの長髪の女の子が公園の外から大げさに手を振っていた。
「何してんの、朝っぱらから」
玲は芽衣に駆け寄ると、おどけたように景色を見渡した。
そんな玲を見て、芽衣は少しほっとして微笑んだ。
「ちょっとね。眺め良かったから」
「ねえ、早くしないと学校遅れちゃうよ。
それとも、今日はこのまま、サボっちゃう?」
「何バカ言ってんの。
行くよ」
芽衣は玲を肘で小突いた。
前髪を直しながら笑う玲の手を引いて、公園を出た。
「芽衣、朝はいつもあの公園に寄ってるの?」
「うんん、今日はあの公園に寄りたかったから」
「ふうん」
玲は深く頷いた。
芽衣が事件に遭ったのは、その数週間後だった。
いつの間にか夏休みに入り、およそ半分が過ぎていた。