コロナ禍の真っ只中
入院することになってしまった大切な人の
最期を看取った方はどのくらいいたのでしょうか?
全く面会できない方
制限がありつつも面会できた方
(私達は週1回15分 同居家族2人まで)
離れて住んでいれば、県を越えた移動を制限された方もいるかと思います
コロナさえなかったら
本来できるはずだった付き添いも
何もできなくても病室で一緒に過ごす時間も
親しい人達が会いに来てくれることも
家族や親戚で最期を看取ることも
全てできていたのだろうなと思います
2020年7月18日の夕方
朝から血圧の変動が激しいこと
酸素が1リットルから3リットルに増えたこと
その連絡が来た時、別れの時間が近づいていると覚悟しました
もっと正確に言えば
入院すると決まった時点で、おばあちゃんはもう家には帰ってこないと感じていました
6月に入って頻繁に現れていた
呼吸がおかしくなって窒息しそうな症状
それが投薬などの治療で改善するとは思えなかったから
夜に急変の電話がきて
病院へ向かいましたが…院内には2人しか入れない
お母さんが看護師さんに頼み込んでくれて、お父さんと妹と私の3人で病室へ
(先に来ていた叔母さん夫婦と入れ替わりで)
おばあちゃんの側に行き、顔や体に触れて
「まだ温かいね」
そう妹に言った私は薄っすら笑っていて
あのとき一体何を考えていたのでしょう
今思えば意外なほど冷静でした
着いた時点で呼吸も止まっていたのに
すでに亡くなっていたことはわかっていたのに
初めて泣いたのは宣告を受けてからのことでした
「おばあちゃん頑張ったね」
「おばあちゃん ありがとう 大好きだよ」
それが私の口から出てきた言葉でした
もし息を引き取る瞬間を間近で見ていたら
「助けられなくてごめん」
「苦しい思いをさせてごめん」
「守ってあげられなくてごめん」
ひたすら謝ることしかできなかったかもしれません
最後に面会に来た時
病棟変更に伴う書類を書くため 私は別室へ
おばあちゃんの側にいる時間はほぼありませんでした
そして近隣でコロナ感染者が出たことで面会が中止
2週間以上 会うことはできませんでした
「また来るからね」
そう軽い感じで帰り際に声をかけたこと
私とおばあちゃん
今までの いつもの 2人らしいやりとり
今となってはそのように感じています
最期のときに間に合わなかったのは
私達に対する優しさだったのか
男勝りな潔い性格故だったのか
「あんだ達 来んの遅いがら先に行ってっから」
そう言って還ってしまったのかもしれないですね