先日ある教育関係に携わっているお友達の方とお話していると、「学芸会で全員主役っておかしくないか?」というお話になりました。
結論といたしましてはお互いに「おかしい」という事に達しました(笑)
あれはなんでなんでしょうね?
学校側(幼稚園や保育園)が親からのクレームが嫌だからなんですかね?
子供たち同士揉めないようにですかね?
それとも「うちの子が何で主役じゃないのか」というクレームを入れるモンペがいるからですかね?
その方もお子さんをお持ちですので、妙に話が合いましたが、自分の子供は親にとって特別です。しかし、脇役の役割も教えてあげられないままみんな主役でよい物かと・・・
もし学校側がクレームを恐れてそんなことをやっているなら、もはや教育の放棄ですよ、また逆にそういうクレームを入れる親はあほですか?
子供がやりたいというから文句を言うのか、親自身が「うちの子は主役」と思うから言うのかはわかりませんが、自分の思うようにいかないのが人生だと思うんですけどね。
そういう考えを、そういった行事を通して教えてあげられるチャンスと思うし、社会での役割も含めて伝えてあげられると思いますが・・・不思議です。
まあうちの学校では、そういう事はないらしいので安心はしておりますが、もしそんなことになったら逆の意味でクレーム入れるかも(笑)
また、その方が言っていたことにも感心しました!
今は運動会で並んでゴールするところもあるそうです。(それも驚きですが・・・)
「運動会とかで順位をつけないのもおかしいと・・・」
確かにそうですよね。そのうち競争社会に出ていくわけですからね
「子供は、負けて悔しくて泣くから、向上するんだ」、
「競争しないという事は、その子の成長機会を奪っているのではないか」
とおっしゃっておりましたが、本当にその通りだと思いました。
今の時代精神論を説くのも時代錯誤かもしれませんが、「やればできる」のやればの部分の原動力の一つに「悔しい」があると思います。
また個人的にですが、そういう機会があることで「競争を選択しない」判断ができるようになるかもしれませんし、「かけっこではダメだけど、水泳なら負けない」とか「料理なら任せておいて」、「掃除ならだれよりもぴかぴかだよ」みたいにどこかで一番になれるものがあると思います。
どこか人より秀でている部分は必ずあると思いますし、そういうところを探してあげるのが自分たちの役割だと思います。
またそういう部分が一つでもあると自信にもつながりますからね。
いろいろな考え方があり、それを否定はしませんが、順位をつけないというのはやはり賛同はできないかなー
競争する事、勝つ事、負ける事をどうとらえるかということが大事ですね
子供達にそれを伝えるのは大変ですが大切なことだなと僕は思います。
アイデア
やっと本題です。文章が下手なうえに長文ですみません。
ちなみにぱんだ3は教育者ではございません。まったくの素人です。
では具体的な内容の説明に入ります
漠然としていますし、抽象的な部分があるかもしれませんのであしからず
【パンダメソッド】(案)
①運営費を安く
まず運営費で大部分を占めるのは、固定費です。
設備代や、建物の家賃、そして人件費です。
場所:
設備や建物は公共のものを利用させていただけないか交渉します。
時間外の学校等
また協力企業様を募り空会議室を格安でお借りできる環境を整えるとか、いろいろあるかと思います。
人件費:
運営は独自で継続できるシステムにしたいのでできるだけボランティアは避けたいのですが、
講師代等は役務の提供ですのでできるだけお支払したいなと・・・ここが難しいところ
運営方法
これはまだ漠然としていますが皆さんの考えを聞きたいという観点からアイデアの段階です。
塾とは人件費がかなりかかると思います。
後々はNPO法人化を前提として、専従職員と講師さんには賃金を発生させたいなという想いはあります。
ただ人数をそれなりにそろえると、いくら非営利でも格安ではいかないでしょう。
そこで僕が考えたのが、グループティーチングとマンツーマンティーチングをミックスさせた
「生徒自身が生徒に教える」というやり方
【パンダメソッド】です。
簡単に言えば上の子が下の子に教える方法の確立です。(たとえば勉強の得意な5年生が4年生に教えるという事)
やり方としては、学習時間を二分割か三分割にし、
講師・リーダー(大学生等)が全体把握し、
↓
科目や能力により年代別に縦割りでグループ分けし、グループリーダーを設ける
↓
その中でさらに上の子に下の子の勉強を見てもらう(学年が近い)
イメージとしては
講師が全体の把握して全員に教えられるようにする。
↓
講師は高校3年生と中学3年生を見る
↓
大学生のボランティアを募りが大学生が高校3年生と2年生を教える
↓
高校2年生をグループリーダーとして高校1年生に教える
↓
高校1年生が中学2年生に教える
↓
中学2年生が1年生に教える
のように(テクニックが必要で教える時間のない受験生を別として)上から下へ流す感じです。
基本的にはマンツーマンの子弟制度のような感じ、長男長女がグループを統率しその中で上の子が下の子を教える
デメリット
授業時間(教えてもらう時間)が少ない(半分)
メリット
人件費が少なくて済む(安い)
近い年代の下の子を教えるので、前年の学習の確認と復習にもなる
下の子の面倒を見るので人間的にも成長する(と思う)
この方法は、勉強だけではなく、他の習い事にも応用が利くのではないかと思います。
こんなアイデアを具現化してみたいのですが、教育者の方、教育関係の学習をしてきた方の意見がほしいです。(そして協力者も)
優先順位は
1、学習を通しての人格成形
2、学力(能力)の向上
3、低価格
です。
やっと本題です。文章が下手なうえに長文ですみません。
ちなみにぱんだ3は教育者ではございません。まったくの素人です。
では具体的な内容の説明に入ります
漠然としていますし、抽象的な部分があるかもしれませんのであしからず
【パンダメソッド】(案)
①運営費を安く
まず運営費で大部分を占めるのは、固定費です。
設備代や、建物の家賃、そして人件費です。
場所:
設備や建物は公共のものを利用させていただけないか交渉します。
時間外の学校等
また協力企業様を募り空会議室を格安でお借りできる環境を整えるとか、いろいろあるかと思います。
人件費:
運営は独自で継続できるシステムにしたいのでできるだけボランティアは避けたいのですが、
講師代等は役務の提供ですのでできるだけお支払したいなと・・・ここが難しいところ
運営方法
これはまだ漠然としていますが皆さんの考えを聞きたいという観点からアイデアの段階です。
塾とは人件費がかなりかかると思います。
後々はNPO法人化を前提として、専従職員と講師さんには賃金を発生させたいなという想いはあります。
ただ人数をそれなりにそろえると、いくら非営利でも格安ではいかないでしょう。
そこで僕が考えたのが、グループティーチングとマンツーマンティーチングをミックスさせた
「生徒自身が生徒に教える」というやり方
【パンダメソッド】です。
簡単に言えば上の子が下の子に教える方法の確立です。(たとえば勉強の得意な5年生が4年生に教えるという事)
やり方としては、学習時間を二分割か三分割にし、
講師・リーダー(大学生等)が全体把握し、
↓
科目や能力により年代別に縦割りでグループ分けし、グループリーダーを設ける
↓
その中でさらに上の子に下の子の勉強を見てもらう(学年が近い)
イメージとしては
講師が全体の把握して全員に教えられるようにする。
↓
講師は高校3年生と中学3年生を見る
↓
大学生のボランティアを募りが大学生が高校3年生と2年生を教える
↓
高校2年生をグループリーダーとして高校1年生に教える
↓
高校1年生が中学2年生に教える
↓
中学2年生が1年生に教える
のように(テクニックが必要で教える時間のない受験生を別として)上から下へ流す感じです。
基本的にはマンツーマンの子弟制度のような感じ、長男長女がグループを統率しその中で上の子が下の子を教える
デメリット
授業時間(教えてもらう時間)が少ない(半分)
メリット
人件費が少なくて済む(安い)
近い年代の下の子を教えるので、前年の学習の確認と復習にもなる
下の子の面倒を見るので人間的にも成長する(と思う)
この方法は、勉強だけではなく、他の習い事にも応用が利くのではないかと思います。
こんなアイデアを具現化してみたいのですが、教育者の方、教育関係の学習をしてきた方の意見がほしいです。(そして協力者も)
優先順位は
1、学習を通しての人格成形
2、学力(能力)の向上
3、低価格
です。
脱線
前回は具体的なことを全くかけない(書かない)まま、稚拙な文章で想いを書きかましたが、アイデアに続く前に少し脱線
私事ですが、僕は福島県の会津若松市の出身です。
白虎隊で有名(だと思う)なところです
会津に住んでると、「ならぬものはならぬもの」です。という教育がどこにでもあふれています(笑)
まあ什の教えというのですが、学校内はともかく駅前にも、商店街にもほんとにどこにでも!!
知らぬ間に刷り込まれていますね(笑)。
また会津藩には「日新館」という教育機関があり、当時はかなり高い水準の教育が施されていたそうです。その日新館があったから会津は繁栄していたと言われていますし、戊辰戦争後、東大(帝国大学)総長も輩出しています。
会津では初代総長排出と言われていましたが違ってましたねw
選挙による選出での初代というところでしょうか?
なにかたくさんある全米No1の映画のようで少し笑ってしまいましたが・・・偉大な方です。
日新館しかり、薩摩藩の松下村塾しかり、教育に力が入っているところでは、人間的に偉大な方も多数輩出してますね。
日新館は藩士などの身分のある方しか入れませんでしたが、松下村塾は身分の隔てなく受け入れたところがすごいですね。
※僕自身は農民の末裔?なので日新館にはたぶん関係していないと思います(笑)
会津の人間が長州を讃えていいのかと古い方には叱られるかもしれませんが、すごい物はすごいと思いますし、すごい人はすごいと思える人間になりたいです(笑)
まあ前置きが長くなりましたが、教育って勉強だけではない気がします。
「人としてどうあるべきか」が大切ではないでしょうか
その中に学問があるわけで、まあ勉強も大事かなと・・・
人間力も向上出来て学力も向上する、門戸の広い塾をつくれないかなという想いから、いろいろ考えました。いっぱいいっぱいになりながら・・・
続きます。
前回は具体的なことを全くかけない(書かない)まま、稚拙な文章で想いを書きかましたが、アイデアに続く前に少し脱線
私事ですが、僕は福島県の会津若松市の出身です。
白虎隊で有名(だと思う)なところです
会津に住んでると、「ならぬものはならぬもの」です。という教育がどこにでもあふれています(笑)
まあ什の教えというのですが、学校内はともかく駅前にも、商店街にもほんとにどこにでも!!
知らぬ間に刷り込まれていますね(笑)。
また会津藩には「日新館」という教育機関があり、当時はかなり高い水準の教育が施されていたそうです。その日新館があったから会津は繁栄していたと言われていますし、戊辰戦争後、東大(帝国大学)総長も輩出しています。
会津では初代総長排出と言われていましたが違ってましたねw
選挙による選出での初代というところでしょうか?
なにかたくさんある全米No1の映画のようで少し笑ってしまいましたが・・・偉大な方です。
日新館しかり、薩摩藩の松下村塾しかり、教育に力が入っているところでは、人間的に偉大な方も多数輩出してますね。
日新館は藩士などの身分のある方しか入れませんでしたが、松下村塾は身分の隔てなく受け入れたところがすごいですね。
※僕自身は農民の末裔?なので日新館にはたぶん関係していないと思います(笑)
会津の人間が長州を讃えていいのかと古い方には叱られるかもしれませんが、すごい物はすごいと思いますし、すごい人はすごいと思える人間になりたいです(笑)
まあ前置きが長くなりましたが、教育って勉強だけではない気がします。
「人としてどうあるべきか」が大切ではないでしょうか
その中に学問があるわけで、まあ勉強も大事かなと・・・
人間力も向上出来て学力も向上する、門戸の広い塾をつくれないかなという想いから、いろいろ考えました。いっぱいいっぱいになりながら・・・
続きます。
備忘録
激安(もしくは無料)で塾が運営できないかなと本気で考えております。
実際そういう活動をされている方がいらっしゃいますから頭の下がる思いです。
もちろん非営利です。市民団体としての活動か、法人化(NPO)しての活動がいいかはわかりませんが、想いがあるから活動をおこそうと思います。
既存の塾は営利で営業しています。
役務の提供で報酬を得ていますから、成績を上げる=結果を出すという事のが仕事です。
場所と人を確保し、運営していますからそれなりの運営費(授業料)は必要ですし・・・
塾同士でも競争がありますから楽に儲かるわけでもないでしょう。
(個人的ですが結果が出せる塾や講師はそれなりの報酬は必要と考えます。)
でも・・・
塾の価値は値段で決まるのか? ← 疑問はココから
そして
塾の価値は結果で決まるのか?
これは本当に個人の主観です。
受験はテクニック(技術)も必要、こういう部分に関しては営利の塾はたけていると思います。
子供にとって最初の関門?セレクション(選抜)は
小学校受験→私立
中学受験→私立
高校受験→私立、公立
というところでしょうか?
小学校、中学校、高校で私立に行くためにはそれなりのお金がかかります。
ですから、そこに目標がある方はそれなりの所得があり、学力向上の為の教育費(塾代)もそれなりに使えると思いますのでその辺は問題ないでしょう。
では、私立に行くほど経済的余裕のない「一般家庭」では
公立小学校→公立中学校→公立高校になると思います。
公立小学校では学力査定は無いですし、公立中学では学力査定はあっても本当の意味での競争は無いと思います。(英検などの資格取得は少し事情が違います)
大半の子供たちは、高校受験が最初の選抜機会になる事が多いと思います。
学歴という言葉は個人的には嫌いですが、夢や目的を持ち向上する気持ちがあって、専門分野を学びたいとなれば、それなりの大学や教育機関に行くことになるでしょう。
その時にはやはり学力が必要になりますからね。
例を挙げれば、弁護士になりたいと思う子供がいたとして、司法試験の合格率の高い東大に行きたいと言い出したとしましょう(今は法科大学院の制度ですから少し違いますが・・・^^;)
教育にお金が使えれば、「東大の合格率の高い高校の付属中学」に行くために、その付属中学の合格率が高い塾に行かせることができます。(結果はどうなるかわかりませんが)
教育にお金が使えないなら、東大の合格率の高い公立高校に行くことになるでしょうから、その高校に行くために塾に行くようになると思う。
目標が一緒でもルートも、お金のかかり方もだいぶ違います。
なかには、高校受験のための塾代も出すことが厳しい人もいるでしょう。
またそういう目標が持てるという事は、小学校、中学校でそれなりに勉強して、考えられる子供達です。
要は子供の頃の教育が大切じゃないかという事と、上を目指す教育を受けるためにはお金がかかるという事かな?
ならお金という名の制限をはずせれば、もっと子供たちがのびのび夢を追えるようになるのではないかという期待です。
長くなりますので続きます。→
激安(もしくは無料)で塾が運営できないかなと本気で考えております。
実際そういう活動をされている方がいらっしゃいますから頭の下がる思いです。
もちろん非営利です。市民団体としての活動か、法人化(NPO)しての活動がいいかはわかりませんが、想いがあるから活動をおこそうと思います。
既存の塾は営利で営業しています。
役務の提供で報酬を得ていますから、成績を上げる=結果を出すという事のが仕事です。
場所と人を確保し、運営していますからそれなりの運営費(授業料)は必要ですし・・・
塾同士でも競争がありますから楽に儲かるわけでもないでしょう。
(個人的ですが結果が出せる塾や講師はそれなりの報酬は必要と考えます。)
でも・・・
塾の価値は値段で決まるのか? ← 疑問はココから
そして
塾の価値は結果で決まるのか?
これは本当に個人の主観です。
受験はテクニック(技術)も必要、こういう部分に関しては営利の塾はたけていると思います。
子供にとって最初の関門?セレクション(選抜)は
小学校受験→私立
中学受験→私立
高校受験→私立、公立
というところでしょうか?
小学校、中学校、高校で私立に行くためにはそれなりのお金がかかります。
ですから、そこに目標がある方はそれなりの所得があり、学力向上の為の教育費(塾代)もそれなりに使えると思いますのでその辺は問題ないでしょう。
では、私立に行くほど経済的余裕のない「一般家庭」では
公立小学校→公立中学校→公立高校になると思います。
公立小学校では学力査定は無いですし、公立中学では学力査定はあっても本当の意味での競争は無いと思います。(英検などの資格取得は少し事情が違います)
大半の子供たちは、高校受験が最初の選抜機会になる事が多いと思います。
学歴という言葉は個人的には嫌いですが、夢や目的を持ち向上する気持ちがあって、専門分野を学びたいとなれば、それなりの大学や教育機関に行くことになるでしょう。
その時にはやはり学力が必要になりますからね。
例を挙げれば、弁護士になりたいと思う子供がいたとして、司法試験の合格率の高い東大に行きたいと言い出したとしましょう(今は法科大学院の制度ですから少し違いますが・・・^^;)
教育にお金が使えれば、「東大の合格率の高い高校の付属中学」に行くために、その付属中学の合格率が高い塾に行かせることができます。(結果はどうなるかわかりませんが)
教育にお金が使えないなら、東大の合格率の高い公立高校に行くことになるでしょうから、その高校に行くために塾に行くようになると思う。
目標が一緒でもルートも、お金のかかり方もだいぶ違います。
なかには、高校受験のための塾代も出すことが厳しい人もいるでしょう。
またそういう目標が持てるという事は、小学校、中学校でそれなりに勉強して、考えられる子供達です。
要は子供の頃の教育が大切じゃないかという事と、上を目指す教育を受けるためにはお金がかかるという事かな?
ならお金という名の制限をはずせれば、もっと子供たちがのびのび夢を追えるようになるのではないかという期待です。
長くなりますので続きます。→
前置きで
僕自身が考える教育格差は勉強だけではないという事(勉強部分も含みます)
ある意味「機会格差」かなということです。
子供の可能性を見つけるためには、子供にいろいろな機会を与えてあげる事が大切だと思います。
子供はすべて天才です。いろいろな可能性を秘めています。しかしそれが親のエゴや、収入で開花できる可能性の発見すらできない事もあるでしょう。
勉強でもそうです、日本の教育は横並び主義(総平均主義)ですから、すごくできても頭を押さえられ、すごくできなかったら切り離されてしまします。
向き不向き、得意不得意は各個人でありますから、決まった学習時間内でならそういったことも発生するでしょう。
すみません、表現がよくなかったですね、「できる子はその分野において理解が早い」「できない子はその分野において理解が遅い」というだけです。はい
できる子はもっと伸ばしてあげたいし、できない子には理解できるまで教えてあげたいですよね。親ならそういう想いはどんな形でもあると思いますがどうでしょう?
問題は、(勉強でたとえていますが全般です)その気持ちを教育費に回せるかどうかだと思います。
まあ生活全般で考えると、子供が野球やりたいと言っても親の考えで「やらなくていい」、もしくは「経済的にやらせてあげられない」状況が生まれているという事
親の考えでという部分では各家庭での教育方針があるので致し方ない部分ではありますが、やりたいのにできない、やる気があるのにできない環境は個人的ですが「すごい嫌」
それが所得が低いという子供自身に非がない要因ならなおさらですよ
所得が高ければ問題ないのでしょうが、僕自身、低所得層に分類されるからそう思うのかもしれないですし、うちの教育方針では自分より子供の可能性なので、(子供にやる気があるなら)我慢してでも教育費に回しますが、それでも限界があります。
「お金のあるなし」関係なしに、すべての小さい天才たちの可能性を広げる意味で、習い事でも、勉強でもすごい安価で(質は落とさずに)提供できる環境を創りたい。
今は夢物語でビッグマウスですがいつか実現させてやる(本気)
※申し訳ないです。この件に関して仲間募集中です。
18歳以上で上限はございません。性別も不問です。
何か得意分野が一つあればOKです。
僕自身至らないところだらけですので、いろいろなことをご教授頂けれがうれしいです。
よろしくお願いします。
僕自身が考える教育格差は勉強だけではないという事(勉強部分も含みます)
ある意味「機会格差」かなということです。
子供の可能性を見つけるためには、子供にいろいろな機会を与えてあげる事が大切だと思います。
子供はすべて天才です。いろいろな可能性を秘めています。しかしそれが親のエゴや、収入で開花できる可能性の発見すらできない事もあるでしょう。
勉強でもそうです、日本の教育は横並び主義(総平均主義)ですから、すごくできても頭を押さえられ、すごくできなかったら切り離されてしまします。
向き不向き、得意不得意は各個人でありますから、決まった学習時間内でならそういったことも発生するでしょう。
すみません、表現がよくなかったですね、「できる子はその分野において理解が早い」「できない子はその分野において理解が遅い」というだけです。はい
できる子はもっと伸ばしてあげたいし、できない子には理解できるまで教えてあげたいですよね。親ならそういう想いはどんな形でもあると思いますがどうでしょう?
問題は、(勉強でたとえていますが全般です)その気持ちを教育費に回せるかどうかだと思います。
まあ生活全般で考えると、子供が野球やりたいと言っても親の考えで「やらなくていい」、もしくは「経済的にやらせてあげられない」状況が生まれているという事
親の考えでという部分では各家庭での教育方針があるので致し方ない部分ではありますが、やりたいのにできない、やる気があるのにできない環境は個人的ですが「すごい嫌」
それが所得が低いという子供自身に非がない要因ならなおさらですよ
所得が高ければ問題ないのでしょうが、僕自身、低所得層に分類されるからそう思うのかもしれないですし、うちの教育方針では自分より子供の可能性なので、(子供にやる気があるなら)我慢してでも教育費に回しますが、それでも限界があります。
「お金のあるなし」関係なしに、すべての小さい天才たちの可能性を広げる意味で、習い事でも、勉強でもすごい安価で(質は落とさずに)提供できる環境を創りたい。
今は夢物語でビッグマウスですがいつか実現させてやる(本気)
※申し訳ないです。この件に関して仲間募集中です。
18歳以上で上限はございません。性別も不問です。
何か得意分野が一つあればOKです。
僕自身至らないところだらけですので、いろいろなことをご教授頂けれがうれしいです。
よろしくお願いします。