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 映画『カリーナの林檎 チェルノブイリの森』は、
現代人が関わるさまざまな罪について問い掛けてくる。
"絶対"ということなどありえないのに、政府と電力会社の「絶対に安全です」という甘言を受け入れて原発建設を認めてしまったこと。1986年に起きたチェルブイリ原発事故の教訓を生かせずに、福島第一原発事故を防げなかったこと。そして、起きてしまった進行形の惨事に対して自分には何ができるのかということ。さらに、別の問題がもうひとつある。03年に撮影されたこの映画は、04年に不祥事を起こして映画界から去った今関あきよし監督の作品だということ。過去に過ちを犯した映画監督の作品に対し、「作品は別もの」「すでに罪は償っている」と考えるのか、それとも「過ちを犯すのが人間だ」と考えるのか。7年ごしで日の目を見ることになった『カリーナの林檎』は、実に多くのことを観る側に投げ掛けてくる。

 今関監督は富田靖子主演作『アイコ16歳』(83)で商業デビューを飾り、持田真樹や浜崎あゆみが出演した『すももももも』(95)、モーニング娘。の主演作『モーニング刑事。抱いてHOLD ON ME!』(98)などの劇場作品を手掛け、新人アイドルの瑞々しい表情を捉えることで定評があった。チェルノブイリ原発事故禍を題材にした劇映画『カリーナの林檎』は、03年に撮影された自主制作作品だ。今関監督ら日本人スタッフはチェルノブイリ原発に隣接するベラルーシ共和国で取材を重ねた上で、現地キャストを使って春、夏、冬と複数回にわたって現地でロケ撮影を行い、04年に一度完成させている。モー娘などのアイドル映画で得た印税を使って、原発問題に向き合った自主映画を完成させたことが美談として当時は語られていた。日本に先駆けてベラルーシやリトアニアでの上映が決まり、会場やパンフレットなどの準備が整い、後は今関監督みずからフィルムを持って現地入りするのを待つという段階で、監督個人が起こした不祥事が発覚した。監督自身の判断で、公開は中止となる。


撮影時8歳だったカリーナ役のナスチャ・
セリョギナちゃん。撮影現場には台本を
持ち込まないという大物女優ぶりを見せた。
 実刑判決を下された今関監督は、函館少年刑務所に1年7カ月服役。出所後はいくつかの職場を転々とし、現在は映画・映像とはまったく関係のない仕事に就いているそうだ。だが、法的なみそぎは終えたものの、重い十字架は背負ったままだった。今関監督の熱意に賛同し、体を張ってチェルノブイリ原発跡までの取材・撮影に帯同してくれたスタッフ、実際にベラルーシで暮らしていたキャスト、ヒロインである少女カリーナを演じるためにロシアからやって来た撮影時8歳だったナスチャ・セリョギナちゃん。そしてベラルーシ国立小児血液学センターの病棟で取材に協力してくれたものの、映画完成の知らせを聞くことなく血液ガンで亡くなった少女......。今関監督が償わなくてはならない罪は、裁判所が与えた刑罰よりもずっと重く、長いものだった。

 チェルノブイリ原発事故が招いた悲劇を描いた『カリーナの林檎』を観て驚くのは、現在の"フクシマ"で同じことが起きていることだ。ベラルーシ共和国に住む少女カリーナは、夏休みを豊かな自然に囲まれた農村にある実家で過ごしていた。カリーナの家族は、実家の近くにある隣国の原発事故の影響でバラバラになってしまった。お母さんは原因不明の病気で入院し、お父さんは入院費を稼ぐために遠いモスクワまで出稼ぎに行った。実家は優しいおばあちゃんがひとりで守っているが、この農村のすぐ近くまで居住禁止地域に指定されており、村に残っている人はもう少ない。夏休みが終わり、カリーナは都会で生活する叔母さん夫婦に再び引き取られる。おばあちゃんが地元で獲れた新鮮なリンゴをお土産に持たせてくれたが、叔母さんはリンゴに触れることなく棄ててしまう。


大好きなお母さんが入院してしまったのは
原発事故の影響らしい。カリーナは
自分にできることは何かを懸命に考える。
 田舎の生活が気に入っているカリーナは、都会での生活に馴染めない。入院中のお母さんのお見舞いに行くと「泣いちゃダメ。泣くのはうれしいときだけよ」と逆に励まされる。お母さんはこんな物語も教えてくれた。「チェルノブイリのお城には悪い魔法使いがいて、毒を撒き散らかしているのよ」と。やがてお母さんの病状が悪化し、出稼ぎ先から慌てて帰ってきたお父さんの表情も晴れない。実家に残っていたおばあちゃんも体を壊してしまう。カリーナは神さまに懸命に祈るが、なかなか祈りが通じない。そこでカリーナは決意する。神さまには祈りが届かないみたいだから、私がチェルノブイリまで行こう。魔法使いに直接、毒をもう出さないように頼んでみよう。カリーナはお小遣いと体力のすべてを使って、チェルノブイリにある悪い魔法使いのいるお城へと向かう。

 「放射能の危険を省みず、チェルノブイリまで撮影に同行してくれたスタッフやキャストの期待を裏切ってしまったことの後悔の念、映画はもう公開できないかもしれないという不安を服役中はずっと感じていた」と今関監督は話す。服役中は京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏の書籍を取り寄せて放射能について学び、またロシア語の通信教育を受けていたそうだ。ベラルーシで劇映画を1本撮っただけで終わりにしたくなかったし、出所したら迷惑を掛けてしまったベラルーシやロシアの人たちに自分の言葉で謝りたかった。また、自分に何か課さなくては、刑務所の中でいたたまれなかったという。ベラルーシまで足を運ぶなど関係者への謝罪をひと通り済ませてから、映画とは無関係の仕事を求人誌で見つけて地道に働き始めた。その一方、映画をお蔵入りさせてしまったことへの罪悪感はずっと感じ続けていた。2011年がチェルノブイリ事故から25年目になることから、蓄えを切り崩してチェルノブイリでの再撮影を行い、チラシやポスターを手配するなど、劇場公開の準備を2010年から進める。そんなとき、3.11による福島第一原発事故が発生。再び公開中止になることも考えたそうだ。


大人たちは教会で神さまに祈りを捧げるが、
それ以上は行動しようとしない。カリーナは
不思議に思う。
 今関監督は、『カリーナの林檎』が公開されること=自身の監督復帰、とは考えておらず、また映画が公開されることで監督個人がバッシングを浴びることも覚悟しているという。

 「自分が犯した過ちは変えられませんし、映画が公開されることで自分に跳ね返ってくるものがあるのは当たり前だと思います。でも、それも覚悟の上で上映するつもりです。今年がチェルノブイリ事故から25年。この機会を逃すと公開するのが難しくなることから決意しました。ボク個人の問題で映画の公開を堰き止めてしまった。ボク自身がその堰を開けなくちゃいけない。これ以上、スタッフやキャストに迷惑を掛け続けられない。ボク個人への中傷があっても、それはスタッフやキャストには関係のないことですから。今は別の仕事に就き、映画の公開のため3カ月間休職させてもらっている形です。日本での公開がひと段落したらベラルーシでの上映もできればと考えていますが、新作を今後撮るかどうかについては全くの白紙状態なんです」と今関監督は語る。

 犯してしまった過ちは、どうすれば償うことができるのだろうか。『カリーナの林檎』は、ただ神さまに祈りを捧げるだけでは現実の問題は解決には向かわない、という至極もっともな正論を投げ掛けてくる。少女カリーナが運んできた赤いリンゴは、果たしてどんな味がするのだろうか。観る人によって、自然の恵みにも禁断の果実にも感じられるはずだ。