伝説のロックシンガー、尾崎豊さん(享年26)
が残した2通の「遺書」が
10日発売の月刊文芸春秋に
全文掲載されることが9日分かった。
文藝春秋 2011年 12月号 [雑誌]/著者不明

¥800
Amazon.co.jp
1992年に民家の軒先で全裸で死亡。
その後、他殺、事故死、自殺と諸説流れ、
法廷で争われるなど社会問題にも発展した。
ジャーナリストの加賀孝英氏が執筆した
「尾崎豊の『遺言』」では、謎に満ちた行動と死の直前の心境に迫っている。
92年4月25日、未明の東京・足立区。
泥酔した尾崎さんは、面識のない民家の軒先で服を脱ぎ捨て、
のたうち回り、傷だらけになって息絶えた。
後で致死量の2・64倍もの覚醒剤を摂取していたことが警察の調べで判明する。
人気絶頂のロックシンガーの突然の死に衝撃を受けたマスコミなどは
尾崎さんを悼む一方で他殺、自殺で真っ二つになった。
だが、同誌では〈尾崎が死の間際まで肌身離さず持ち歩いていたセカンドバック。
この中に、小さく折り畳んだ白い封筒が入っていた。
(中略)尾崎が書き遺していた「遺書」だった〉とし、
当初から遺書があったことを明かしている。
1つ目の「遺書」はB5サイズのルーズリーフに記され、
縦書きの全17行。
〈先立つ不幸(ママ)をお許しください〉で始まり、
〈先日からずっと死にたいと思っていました。
死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、
(中略)そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません〉。
最後は〈さようなら 私は夢見ます〉で結ばれている。
2通目の遺書は、
尾崎さんの自宅に飾られていた実母の写真の脇から見つかり、
小さく折りたたんだ便箋に繁美夫人宛なのか、
〈尾崎繁美となりたもうた女神よ〉と自身の鮮血で書いてあったという。
〈繁美、あなたは本当に女神なのですよ〉
〈××、君は間違いなく天使なのですよ〉
(××は息子の実名)とあり、
〈私はただあなたを愛する名の神でありつづける〉と、
2人への愛をしたためていた。
が残した2通の「遺書」が
10日発売の月刊文芸春秋に
全文掲載されることが9日分かった。
文藝春秋 2011年 12月号 [雑誌]/著者不明

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1992年に民家の軒先で全裸で死亡。
その後、他殺、事故死、自殺と諸説流れ、
法廷で争われるなど社会問題にも発展した。
ジャーナリストの加賀孝英氏が執筆した
「尾崎豊の『遺言』」では、謎に満ちた行動と死の直前の心境に迫っている。
92年4月25日、未明の東京・足立区。
泥酔した尾崎さんは、面識のない民家の軒先で服を脱ぎ捨て、
のたうち回り、傷だらけになって息絶えた。
後で致死量の2・64倍もの覚醒剤を摂取していたことが警察の調べで判明する。
人気絶頂のロックシンガーの突然の死に衝撃を受けたマスコミなどは
尾崎さんを悼む一方で他殺、自殺で真っ二つになった。
だが、同誌では〈尾崎が死の間際まで肌身離さず持ち歩いていたセカンドバック。
この中に、小さく折り畳んだ白い封筒が入っていた。
(中略)尾崎が書き遺していた「遺書」だった〉とし、
当初から遺書があったことを明かしている。
1つ目の「遺書」はB5サイズのルーズリーフに記され、
縦書きの全17行。
〈先立つ不幸(ママ)をお許しください〉で始まり、
〈先日からずっと死にたいと思っていました。
死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、
(中略)そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません〉。
最後は〈さようなら 私は夢見ます〉で結ばれている。
2通目の遺書は、
尾崎さんの自宅に飾られていた実母の写真の脇から見つかり、
小さく折りたたんだ便箋に繁美夫人宛なのか、
〈尾崎繁美となりたもうた女神よ〉と自身の鮮血で書いてあったという。
〈繁美、あなたは本当に女神なのですよ〉
〈××、君は間違いなく天使なのですよ〉
(××は息子の実名)とあり、
〈私はただあなたを愛する名の神でありつづける〉と、
2人への愛をしたためていた。