1958年 4月14日
アメリカ東海岸からカリブ海にかけて
一筋の流れ星が観測された。
それは ある伝説(たび)の終わりを示すものだった。
初めて見る宇宙
初めての感じた宇宙
世界で初めて、宇宙を知った犬。
それは
彼にとって ・・・最後の思い出だった。
冷戦時代
アメリカ合衆国と旧ソビエト連邦(ロシア)は、熾烈な宇宙開発競争を行っていました。
世界初の人工衛星に成功した旧ソ連の宇宙開発は、勢いに乗ります。
1957年11月3日。
その日、中央アジア・バイコヌール宇宙基地からR-7ロケットが打ち上げられました。
ロケットの中には衛星「スプートニク2号」が搭載されており、
そして、一匹の犬も搭乗していたのでした。
彼女の名前は「クドリャフカ」ロシア語で「巻き毛」を意味する
わずか5kgのライカ犬(メス)
実際のとこは、名前も歳も明らかではない。
広く知られている名前で「ライカ」とも呼ばれているし、他の名前で呼ばれていることもある。
旧ソ連が、次に打ち出した計画は有人宇宙飛行↓
ロケットに生き物を乗せて、宇宙に連れて行く。
という計画だったのです。
それに選ばれた一匹、それが、クドリャフカだったのです。
旧ソ連の研究所で飼われていた数多くの犬の中の一匹でした。
人類の進歩のために 国の名誉のために・・・
当然、彼女にとってそれが
どれだけ人にとって重要なことか、危険なことか、恐ろしいことかは知るすべもなく
ただ、これから行われたのは
彼女が望むことすらなかったであろう、世界初の異業だったのです。
何度も特殊な訓練を繰り返したクドリャフカ
生命装置が搭載された
アルミ合金でできた小さな気密室に入る日がきました。
1957年 11月3日
ロケットは人工衛星と共に宇宙へ飛び立ったのでした。
クドリャフカを乗せて。

彼女が入った生命維持装置の中には
暖房器具に生命監視装置、
8日間生きられる栄養の食事、水が用意され
酸素供給も二酸化炭素と酸素が常に入れ替わり循環するシステムとなっていました。
それでも、死ぬとわかっていて見送るエンジニアや飼育員の胸中はどんなものだったか。
秒速6キロ・・・人類にも経験したことのない速度の衝撃とGが彼女を襲いました。
通常の3倍近い脈拍
強いストレスに押しつぶされそうになる中、彼女は宇宙軌道に投入されたのでした。
そして彼女は生きていたのです。
その一報は、旧ソ連の国家委員会に伝えられました。
クドリャフカが
「世界で初めて宇宙空間で生きた生物」となった瞬間でした。
このニュースは世界中に配信され、
当時、冷戦の敵対国であった米国のみならず、世界中の国が驚愕したのでした。
地球を一周した後も、送られてくるデータは、クドリャフカの生存を示すものでした。
この瞬間、長時間の無重力空間でも生物は生存できるという結果を得たのです。
しかし、
地球を周回して3周目、トラブルが起こります。
断熱材が一部破損し、機密性の高い船内の温度は15度から一気に41度に上昇。
送られて来るデータには
クドリャフカが船内で激しく動いていることを示すものでした。
船内で彼女がパニックを起こしていたのではないかと考えられています。
しかし、地上の人間にはどうすることもできませんでした。
1地時間半後
彼女の生命を示すデータは二度と送られてくることはありませんでした。
地球を出発して5~6時間後のことでした。
「生きた生物が宇宙へ飛ぶ」
それは、人類宇宙史上における新たな第一歩です。
しかし、世間では
新たな宇宙の可能性に喜ぶ者とライカ犬の安否について心配する者の声で
真っ二つに割れたのでした。
しかも、まだクドリャフカが死んだことは公表されていなかったのです。
世界中のメディアが憶測を呼び
犬は元気だ
無事に地球に帰還する
パラシュートで回収された
という報道までされたのでした。
実際は死んでいたのですが・・・根拠となる死因は今現在でもわかっていないのが現状。
苦しまないように毒殺された
ロケットの打ち上げの際に死んでいた
もともと安楽死用の毒は用意しておらずそのまま酸欠で死んだ・・・
反響は強く、
英国の動物愛護団体がソ連の大使館に猛抗議、1分間の祈りを捧げると
米国では国連本部前で大規模な抗議デモが行われました。
1958年 4月14日
今まで「犬は生きている」「宇宙史での快挙だ」と
主張してきた旧ソ連本部は「人工衛星スプートニク2号の消滅」声明を発表するに至ったのでした。
それは彼女の死を、確実に表す声明でした。
「ライカ犬の死」は世界中に、更なる衝撃と悲しみをもたらしました。
皮肉にも、世界初の宇宙飛行士は宇宙での最初の犠牲者となったのでした。
~その3年後。
1961年 4月12日
ユーリ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行を成し遂げます。
「地球は青かった」は、あまりにも有名な言葉。
その後、宇宙開発は加速し
有人飛行船の開発、人類は月に着陸することになるです。
←モスクワ 軍医学研究所に建てられているライカ像
私達の生活は
宇宙開発なしでは成り立たないほど、現代も多くの衛星や宇宙機器を使っています。
私達の生活でさえ、宇宙開発の技術が使われていることを思うと
当時の冷戦、宇宙開発競争により
人間のかわりに犠牲になった生き物達、
クドリャフカも含め、
その犠牲は皮肉なことに 避けては通れなかったことだったかもしれません。
戦争があろうが、なかろうが
人間の為に代わりとなって実験、犠牲になる動物達は
今でもたくさんいます。
だからと言って、このようなことが平然とまかり通っても困ります。
私達の生活は
このような犠牲の上にたっているのだと痛感します。
だからこそ、知らないといけないのだと・・・理解しないといけないと、思います。
星になった犬 クドリャフカ
空を見上げた時に
彼女のこと、少しでもいいので思い出してみましょう。
彼女の名前はクドリャフカ
世界で初めて 宇宙に旅立ったライカ犬
研究所で飼われていた たくさんの犬の中の一匹。
今回は本当にシビアな内容でした(´・ω・`)
実は「ライカ犬」についての情報は混線していて
どれが真実か未だに謎とされています。
犬好きの私にとって、この「宇宙犬(スペース・ドッグ)」について調べれば調べるほどつらかったです。
でも、未来の私達が過去の彼女らを助けることはできません。
せめて、彼女らのことを「知る」ということ。
それが大切なのではないかと思います。
詳しい「ライカ犬」の話↓
http://spacesite.biz/ussrspace.dog_raika.htm