頼って甘える
いろいろ思い出して。とてもブルーな僕。お葬式のことを、ふと考えました。もちろん僕のです。今、僕が逝ったら。誰が気付いてくれるだろうか。そして…。お葬式はどうなるんだろう。いや、別に式とかはなくても構わない。出来ればもう、役所で火葬とか死亡の届け出とか、事務的な手続きのみを粛々とやってくれる人が居ればそれでいいと思っています。(それでと言ってもやらされる人にとっては大変なことですが。)お墓も要らないし、骨だって何処かに散骨ってのも、法的に大丈夫ならばそれがいい。僕は潰瘍性大腸炎の術後患者。今、現在も治療中です。ペンタサを16錠。後は諸々。大建中湯は緩くなるのでちょっと止めてもらっています。とまれ。大腸全摘手術を受けてから何年経ったのだろうか?もう少しで5年だっけ?もう、昔のこと過ぎて何も思い出せないのです。大腸全摘前はペンタサ注腸をやっていました。他にもイムランやヒュミラ、通院でレミケードなんかもやったのですが。そしてペンタサは錠剤でも服用していました。この頃既に、僕の大腸はボロボロになっていたのです。さて、そのペンタサ注腸。かなりめんどうなので、ひと頃はサボったりもしていましたが、先生にバレてキツく叱られたものです。それからは、渋々ながらも極力注入するようになりました。風呂上りに全裸で横になり、左側を下にしてお尻に注腸液を差し込みます。差し込みがちょっと痛いので、キシロカインというゲル状の麻酔を黄門ちゃまに塗布します。僕は本当は一人でも出来たのに…。娘のぷりんを呼びつけて手伝わせたのです。何をって?注腸液を注入したら即座にうつ伏せになります。そして15秒毎に左向き、仰向け、右向きとグルグルと布団の上で回転するのです。注腸作業や注入。そのタイムキーパーとか、何かと偉そうに、しかもキツく当たりました。本当に酷いことをしたものです。一人でやるのが寂しかった。だからぷりんに甘えていたのです。本当のことを言うと、そばに居て見守って欲しかった。ただ、それだけのために…。ぷりんはさぞかし嫌だったに違いありません。全摘手術後、人工肛門を造設した僕。ぷりんも看護学生としてストーマ交換を体験してみては?そんなことを言ったりもしていたのですが、とうとう閉鎖術を受けるまで一度も帰ってくることはありませんでした。僕はずっとぷりんに甘えてばかり。まるで子供のように頼っていたのです。本当に困ったちゃんだったのです。嫌だったろうな。今思えば酷い毒親だったと思います。もう一度やり直したいとは思いません。本当に子育てには大きなエネルギーが必要ですから。それに…。時間を巻き戻せるとしても、また同じことの繰り返し。そんなものでしょう。「子供なんて放っておいたら勝手に大きくなるよ!」最後のボスが機内で言ってたけど。それは後からしみじみ思うもの。青春時代と同じなのですよ。しかし。お腹の具合がよくならぬ。なぜじゃ。どうしてじゃ。