報文紹介「クワガタムシの表現型の可塑性と幼若ホルモンの役割」

 今回紹介する報文は、繁殖サイクルが早く、また大あご伸長に特徴的なメタリフェルホソアカクワガタを題材に、表現型の可塑性(phenotypic plasticity)についてと、幼若ホルモン(JH, Juvenile Hormone)の役割について、研究したものである。
 
 そこで、幼虫の栄養状態とその後の成虫の各器官のプロポーションとの関係性や、幼若ホルモン活性物質(類似物質)であるフェノキシカルブを幼虫や前蛹に塗布し、同様に各器官のプロポーションとの関係性について調べている。
 
 この報文が発表されたことについては、いち早くブログでお知らせしたものの、その内容紹介はやや遅れてしまった。
 
 私は、ムシの専門家ではないし、学術界に籍を置いている訳でもないド素人であるので、フレッシュな情報をタイムリーにお届けできないことはご容赦頂きたい。
 
 さて、今回説明する報文は、下記のものであり、そのリンクから、オリジナルはフリーで入手できるため、図表や写真は、ここではできるだけ省略させて頂く。
 
  Title : Juvenile Hormone Regulates Extreme Mandible Growth in Male Stag Beetles
  Author : Gotoh H., Cornette R., Koshikawa S., Okada Y., Lavine LC, Emlen DJ., and Miura T.
  Journal :PLoS ONE, Vol.6, Issue 6, e21139
  Year : 2011
(フリーアクセス)
 
 なお、英語が嫌ならば、下記のものを読めば、一部を除いて基本的には内容は同じである。
http://bulgytadpoles.web.officelive.com/Documents/研究会のプログラム.pdf)[15頁]
 
 さて、私の報文紹介は、興味を惹いたところを抜書きしているようなものであるため、正確に内容を理解されたい場合には、オリジナルを読むことをお勧めする。
 
 
 では、まず学術用語について。
 
 「表現型(の)可塑性」という用語がある。この意味をこの文字から推測するのは難しい。
 
 英語のphenotypic plasticityを辞書で調べた方が、その意味のイメージし易いのではないか。
 
 phenotypicは、「表現(型)<遺伝と環境とによって生物の外見に現れた諸性質>の」で、plasticityは、「可塑性、柔軟性」である。
 
 要するに、クワガタで言えば、成虫のサイズやプロポーションは、遺伝と環境とによって、柔軟に変化すると言った特徴のことを指すのであろう。
 
 この表現型可塑性に関する実験については、高栄養と低栄養条件下での幼虫飼育による羽化した成虫のサイズを比較している。
 
 栄養の違いは、飼育するためのマットの量であり、少ない方が低栄養、多い方が高栄養としている。
 
 その飼育結果、栄養が高い方(マットが多い方)が、幼虫の期間が長く、蛹の体重が重く、大あごが長い結果が得られた。
 
(私感)
 
 体重や大あごについては、想定できる結果ではあるが、幼虫の存在期間にも影響を与えるとは、意外であった。
 
 一説では、羽化までの期間は積算温度に関係しているとの話があるが、この結果では、この積算温度の理屈とは別の機能も働いているように思われる。
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 次に、幼虫や蛹に幼若ホルモン活性物質(類似物質)を塗布するとどうなるであろうか?
 
 これについては、カイコでいろいろ実験がなされ、農薬であるフェノキシカルブが古典的にも利用されおり、この実験でもこの物質が使用されている。
 
 実験方法としては、幼虫あるいは前蛹の背面胸部に、フェノキシカルブのアセトン溶液を塗布している。
 
 まずは幼虫の場合。
 
 脱皮して3令間もない幼虫にフェノキシカルブを塗布すると、幼虫での存在期間が延び(蛹化時期が遅れる)、それに伴い、幼虫の体重が増加した。
 
 その場合に羽化した成虫は、体重と大あごの長さの関係は、普通に飼育(高栄養、低栄養下)したものと同様であった。
 
 すなわち、普通のマット飼育で羽化した個体の体重と大あごの相関直線上に、フェノキシカルブ塗布個体の体重と大あごのプロットが乗っかっている。
 
 したがい、脱皮直後の3令幼虫にフェノキシカルブを投与した場合には、普通の飼育時と同じように各器官が均等に成長したと言える。
 
 
 一方、前蛹の場合(雄の場合)。
 
 前蛹になれば、体のサイズは変化しようがないため、このような状況下では、成虫がどうなるかがポイントとなる。
 
 そして、前蛹の前期での塗布の場合には、大あごが特異的に伸長することが認められ、前蛹の後期の塗布での場合には、変化が見られなかった。
 
 前蛹前期(修正)3令初期にフェノキシカルブの投与量を増やすと、さらに大あごが長くなり、大あご伸長とフェノキシカルブ投与量には関係性が認められた。
(修正:フェノキシカルブの投与時期に誤り。前蛹前期ではなく、3令幼虫初期でした。)
 
 なお、前蛹の前期の定義は、蛹の形の形成が始まり、幼虫の腸の器官の排出までの期間である。
 
 この前蛹のフェノキシカルブ塗布の結果は、日本語版の報文にも報告はあるが、前期、後期の区別したデータは示されていない。
 
 
(私感)
 
 以前、変態(http://blogs.yahoo.co.jp/kotaro168/2374961.html)について紹介したように、幼若ホルモンの機能には、現状維持機能(Status quo )がある。
 
 その報文には、幼虫から蛹へのステージを妨げる効果の他にも、変態の一過程においても、次の過程へ進行するのを妨げる効果について書かれていた。
 
 したがい、幼若ホルモンでは、幼虫と前蛹では働きが少し異なっているものと思われる。
 
 幼虫の場合には、単純に蛹化する時期を遅らせる効果を発揮し、前蛹前期では大あごの伸長に関わる過程を長引かせる効果があったものと思っている。
 
 前蛹の場合に関連する既往研究としては、以前にショウジョウバエの付属肢(前脚)の発生について紹介(http://blogs.yahoo.co.jp/kotaro168/4615222.html)したとおり、複雑な制御の結果、付属肢が形成されていく。
 
 大あごの伸長についても、同様に複雑な制御が体内に仕組まれており、大あご原基を発達させるステージが、前蛹の前期にあるのであろうと推測される。
 
 では、大あごの原基の発達はどのようになっているのであろうか?
 
 その結果は、オリジナル報文の図2の電子顕微鏡の結果で示されており、大あご原基に皺皺のものが数多く折り畳まれているほど、大あごが大きくなる。
 
 これは、大あごを形成する細胞が発達すると、皺皺が増すものと考えられている。
 
 この現象については、以前、カブトムシの角の報文でも、同様のことが報告されている(http://blogs.yahoo.co.jp/kotaro168/1651108.html)。
 
 話は少し逸れるが、頭幅と大あご原基の関係について、ハルさんが面白い推測をされているので、興味があれば、ご覧になればと思う。 
 
 私もその推測には、大賛成の立場である(僭越ながら)。
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 次の実験結果は、前蛹期の体内の幼若ホルモン(JH)濃度についてである。
 
 前蛹前期の蛹のリンパ液から、幼若ホルモン(JH)を定量したところ、高栄養で飼育したものほど、幼若ホルモン(JH)のリンパ中のJH濃度が高かった。
 
 なお、幼若ホルモンは、いろんなタイプがあるが、LC/MSで定性分析を行ったところ、クワガタムシでは、JH IIIのタイプであった。
 
 これは、上記のフェノキシカルブの塗布の結果と同様に、JHが濃いほど大あごが大きくなることが確認された。
 
 このように、前蛹前期では、幼若ホルモンの濃度は、大あご伸長に重要な要因を担っている可能性が示唆された。
 
 
(私感)
 
 大きな幼虫なほど、大きな前蛹ができるため、大きい幼虫に成長させるのが、大あご伸長に重要な要因となる。
 
 そうだとすると、脱皮直後の3令幼虫ではなく、3令中期(以降)の幼虫に幼若ホルモン活性物質を塗布するとどうなるのだろう?と素朴に思ってしまう。
 
 きっと、ホルモンの制御は複雑なので、この時期に塗布すると、羽化不全や羽化失敗の個体が多数出てくるのかも知れないが、そのようなデータがあるのか、もしくは大型幼虫から大型成虫になるのか興味が湧いてくる。
 
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 さて、今回の報文の内容は、一昨年の学会発表に基づいたものであり、昨年のものは含まれていないと思われる。
 
 したがい、昨年発表されたツールキットの話がどんなものなのか、思いはそちらにもう向かっている。
 
 
 この報文に関して、重箱の隅をつつくと、分析に関する記載は、まだまだと感じた。
 
 JH IIIのLC/MS分析における付加イオンの推定の間違いや、HPLCのODSカラムの名前の間違いは軽微であるものの、JH IIIの定量には気になる点がある。
 
 内部標準品として、フェノキシカルブを用いてJH IIIを定量しているが、内部標準品の選定には本来、JH IIIと構造が類似したものを使うべきだと思う。
 
 そうしないと、日々コンディションが変動するLC/MS分析機では、両物質の相対的なイオン化効率の変化により、定量値の正確性が低下してしまうものと思われる。
 
 JH IIIを半定量的な評価に用いるのであれば、これでも十分であると思えるが、定量値と別のパラメータとの相関関係を回帰などの解析に利用するには、データの質に(わずかかも知れないが)問題があると思われる。
 
 
 最後におまけとして、幼若ホルモンや幼若ホルモン活性物質の構造式を参考までに掲載する。
 
 まずは、幼若ホルモンでクワガタに関係しているJH IIIの構造式
 
イメージ 1
 
 次に、幼若ホルモン活性物質の3種(フェノキシカルブ、ピリプロキシフェン、メソプレン)の構造式
 
イメージ 2
 
 このように構造式を並べてみると、JH IIIとフェノキシカルブの構造は類似性が低いようにも見える。メソプレンの方が構造は類似している。
 
 また、フェノキシカルブとピリプロキシフェンを眺めてみると、左側の官能基(ジフェニルエーテル)が共通しており、幼若ホルモン活性を担っているのであろうか?
 
 私の推測だと、ピリプロキシフェンの方が化学的安定性は高く、また、疎水性も高いので、こちらをメタリフェルの実験に用いた方が面白そうな結果がでるのではないかと思う。
 
 逆に、その安定性・疎水性により、JHエステラーゼの影響を受け難く、長く体内に留まってしまうことにより、スムーズな変態過程が進行せず、羽化不全になってしまう可能性も懸念されるかも知れない。
 
 以上が本題である。
 
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本日のマンホールは、兵庫県西宮市。
 これは、hamashinさんから、ご提供頂いた。
 画像のご提供は非常にありがたいことである。
 
 マンホールはこれ。
 
イメージ 3
      甲子園球場、酒蔵、サクラ(市の花)がデザインされている。
 
 このマンホールも、マンホールギャラリーのブログ(下記リンク)に追加させて頂きます。
 
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