重松清著『赤ヘル1975』という小説をご存知ですか?
「お前じゃ勝てない! 二軍で精進してから出直してこい!」
こう言われても仕方のないようなひどい試合を見せてもなお、カープのエース、外木場義郎投手はファンにも首脳陣にも「明日こそ!」と期待されながら使い続けてもらえた選手だそうです。
だらこそ。
彼は記録にも記憶にも残る結果を残した。
「結果の出ない選手に期待をして使い続ける意味と意義」があるのは確かなのです。
(本書は随分前に読了しました。記憶の上書きがあったら申し訳ありません)
本作を読んで思いました。
――「ブレーキになるから二軍で力をつけてきて!」と一軍から追い出すのは早計。
本人が「明日こそやっちゃるわい!」と自信を持って挑もうとしているのならば、そこに期待をして送り出すべき。
ただ、思うのです。
「そこに本気の真剣な想いがあるのならば」の枕詞が必須であろうと。
昨日の森敬斗くんのプレーに、それを感じた人が果たして一人でもいるでしょうか?
私は感じませんでした。
高校野球の延長で野球をやっているような生ぬるさだけを感じる。
「勝たなければ家族に飯を食わせてやることが出来ない」的な職業野球の必死さを感じることが出来ない。
宮崎選手がデッドボールを受けた場面があったでしょう?
彼、怒っていました。それを隠さなかった。
あんな宮崎選手の表情は初めて見ました。
きっと、宮崎選手の中にあったのではないでしょうか。
――絶対負けたくない、この試合。
だからこそ、「ラッキー7のこの回が勝負。自分の打席を突破口に逆転するんだ」と挑んでいたあそこでのデッドボールにいら立ちを覚えた。
違うかな……。私はそうだとしか思えません。
森くんにはそれを感じないのです。それが悔しい。
エラーをしたことが悔しんじゃない。
振り抜くことなく当てただけのバッティングでゴロ連発が悔しんじゃない。
「負けたくない」の必死さを感じることが出来ないことが悔しい。
――彼に一軍でのプレーは無理。
そう思う私がいるんです。
でも。
――期待をして送り出すことで成長していくものだ。
こう思う私もいます。
まさにジレンマ、パラドックス、鶏が先か卵が先か。
……一つ、確かにはっきりとした思いがあります。
森敬斗、腐るな! 頑張れ!!
ベイスターズファンとして、彼に呆れても諦めてもいない。心から応援したいという思い。これだけは確かにここにあります。
ああ、勝ちたいですね。
勝って兜の緒を締めるのブログ記事を書きたい。
たい、たいでは前に進みませんよね。
勝つぞ! 書くぞ!
まずは心を上に向けて。
今日こそ!
絶対勝つぞ! ベイスターズ☆彡☆彡☆彡
