皆さんは「想いが弾ける」という経験をしたことはありますか?
私、今朝それを体感しました。うん、多分きっとあれがそうだったと思う。
ここ最近、閉塞感でどうにかなりそうでした。
もやもやドロドロしたものだけが体の中を満たしている感覚。血も、リンパも、筋肉も脂肪も内臓も何もかもがそんな状態で悪臭すら発していそうなそんな感覚に包まれていたのです。
それが今朝、ふとした瞬間にシュンと浄化されました。一瞬真っ白な世界になって刹那、光の粒子がキラキラと見え始めたのです。
何があったのかというと。冒頭の「想いが弾けた」なのですよ。
私、ある呪いの言葉に苦しみ続けていました。
「あの人は丁寧に生きているから丁寧な創作ができているんです」です。
大好きな人に言われてしまいました。私がとっても苦手としているかたのことなんです「あの人」って。
それを知っているのに敢えて「あの人」を引き合いに出し、私と比べた。
丁寧に生きる。
簡単に言わないで! できないんだもん、しょうがないじゃないか。やらないんじゃない、できないんだ!
そうやって暴れて暴れて呆れられて見捨てられて……。見捨てられてからもずっとその呪いの言葉が私を苦しめ続けていました。
だけどね。
「丁寧に生きるができているあの人」と私は何が、どこが、どう違ってこんなに差がついてしまっているのだろう?
そう向き合う気持ちにふとなったのですよね。これは何があったというわけではなく、ほんとにふと向き合いたくなった。
そこでこれまでの妬みや嫉妬とは違う尊敬に似た思いが生まれました。
「あの人」も私と同じようにもがき苦しんでいる。でも私よりもはるかに努力して丁寧に到達しているだけ。
すんなりきれいにスッと丁寧に生きているのではないのかも? と。
はい、ここ! ここなのです、想いが弾けたのは。
こういう思いが生まれた瞬間、胸の中の一ナノメートルの光の粒子がブワッと急速に弾け広がった……のような感覚になったのです。
このとき、涙が零れてとまらなくなって。
想いが弾けると涙がポロリと零れるもの……ですよね?
この感覚、いっときのものとしたくない。
大切に経験と捉え、経験化にまで持っていきたい。
ちなみに、体験、経験、経験化の違いを私はこう理解しています。
体験……自分がやってみたという感覚。
経験……体験したことを言葉で他人に表現できるほどに自分の中に残っている感覚。
経験化……経験を積み重ね確実に自分の核の一部となっている感覚。
これ、もし勘違い甚だしい理解だとしたら訂正をお願いしたい……なんて思っておる今日この頃です(苦笑)
ああああああ、頑張れーーー、私ーーーヾ(≧▽≦)ノ