いよいよ真田丸も最終章の大坂の陣に突入。

 

そんで、今さらなんだけど、真田丸のあれこれをネットで見てたら

「なんで兄貴が源三郎(信幸・信之)で、弟が源次郎(信繁)なんだ?」ってのがよく見当たったので考えてみた。

 

 

考えてみたってより、ずーーーーっと前から、それこそ真田丸が始まるよりずっと前から昌幸が山県昌景にあやかって付けたんだと思ってた。

 

今でもそう思ってるんだけど、どっこにもそんな説は無いので多分間違ってるんだろう。

 

 

昌幸は少年時代から信玄の傍近くで仕えてたので、武田四名臣の馬場・山県・内藤・高坂辺りに畏怖と尊敬の気持ちを持ってたと思うんですよね。

 

で、その中でも赤備えを任された山県に肖ったってのは自然かなぁと。なにしろ、赤備えという言葉を後世にまで残したのは、この人が強かったからですし。井伊の赤備えも真田の赤備えもこの人の影響。

 

ちなみに、北条氏には五色備えってあったんだ。無名だけど。そん中には赤もあったんだよ。でもな、山県が戦国時代では抜きん出て強かったってことらしいんだわ。

他は黒・青・黄・白ですね。黄色はそこそこ有名かも、地黄八幡って知ってる人いると嬉しい。

 

 

ともかく、強くて強くて、徳川家康もビビりまくってたのが山県源四郎(昌景)なわけです。

 

 

で、昌幸ってのはとことん食えない性格の人間だと思ったのは、

 

昌幸の通り名は「源五郎」

山県が「源四郎」

信之兄ちゃんが「源三郎」

信繁が「源次郎」

 

 

これね。山県にあやかって三とか二を使ってるけど、昌幸自身を含めて見てみると、息子に三とか二をやることによって、昌幸自身は山県より上だぜって仄めかしてるんですよ。

 

っていうのが、ワタシのトンデモ説です。でも、昌幸らしいふてぶてしさがあって、真偽はともかく気に入ってる。

 

 

昌幸の兄貴の通り名は源太郎や徳次郎であり、そもそも真田家が通り名に関してはテキトーな家だったとも言える。昌幸の父ちゃんは源太左衛門、その弟である矢沢頼綱は源之助だし。

 

「源」の字さえ入ってりゃいいんじゃね?という感覚はキライじゃない。むしろ好きだ。

(頼綱は矢沢家に入ったのでセーフ)