だらだらとまとまりの無い文章を書くことにした。
つまんねーと思うから、あまりオススメはしない。
また選挙やるっすね。
どうしよっかなーと考えてみたけど、めぼしい野党が出てこなかったら(きっと出てこないが)白票を入れに行こうと思うです。
前にも書いた気がするんだけど、現状の選挙制度って人質事件の交渉と似てるんだよね。
安全保障政策を進めるためには、増税やら失敗だらけの経済政策(どー考えても庶民の暮らしは厳しくなった。つまりは二極化が進んでる以上、庶民たる我々からは失敗と言うほか無い。マクロ視点でどーなのかは知らん)を飲まなきゃいけないというのが、人質をなんとか無事に助け出そうと交渉役の人がアレコレやるのに似ている。
人質返して欲しかったら金よこせ
安全保障進めたかったらこの政策飲み込め
ほんと、おかしい。
既に政党政治は限界だと思う。元々、志を同じくする者がその意を通す為に団結したのが政党のはじまりだったと思うんだけど、今やただのパワーゲームの入れ物でしかないし。
客観的に見て、自民党だけが政権担当能力を持っているのね。政治がストップしてしまうことだけは無いわけですよ。でも、ストップしない代わりにロクでもないアレコレをするわけですよ。大きい話だと増税しても税収増えてないじゃんとか、小さいことだとカネの問題や議員定数削減ガン無視(結構取り沙汰されてるけど、税収のそれとじゃ金額の桁が違いすぎる)とか。
そういう納得イカナイ部分があるけど、それでも政治が止まってしまうよりかはナンボかマシなんじゃなかろーかという人が自民党に入れてるんだと思う。ただ、個人的には止まっていた方がまだマシだったという未来が見えないこともない。
一党独裁体制に限りなく近い現状を打破するには、どうしたって対抗できる野党が必要なんだけど、どぶの底の方を総ざらいにしたって、もう何にも出てこない。
どうすれば良いのか?考えてみた結果、
絶対にあり得ないけど、小泉進次郎さんに自民党を割ってもらうしか無い気がしている。
今の政治家の中で、その実力はともかくとして、空気を持っているし、国民の支持を個の力で取れるのがこの人くらいだから。でも、そんなことをしても時流に乗って一時の対抗勢力になれるだけで、政治生命はたぶん終わる。終わらずとも雌伏の時を迫られる。
ワタシは前回の衆院選の後に「2年くらいしたら自民党の分裂が始まる」と予想していたのだけど、今のところそんな気配は無い(笑
つらつらと日本の歴史を考えてみるに、ここまで対抗勢力が存在しない(に等しい)状態って果たしてあったのかしら?
なんて考えてみたけど、そもそも民主党が政権取る前は、ほとんど自民党体制だったのでこんなんもんかーと思ったり。それでも社会党みたいな潜在的与党はあったようだから、やっぱり今よりはマシなのか。今の野党は潜在的を通り越して沈没してるからな。
確実に日本の庶民の暮らしは厳しくなってるけど、それでもまだ明日飢える、明後日飢えるという状態には遠い。
それはそれでハッピーなことだけど、同時に僕らの中に可燃性の何かが蓄えられない原因になっている。これが日本人は大人しい、という評の本質なんだと思ってる。
可燃性の何かが溜まって、それが爆発すると暴動、ひいては革命を引き起こしてきたのが人の歴史だけど、それを溜めるには「生きるか死ぬか」という線が薄っすら見えてこないとダメらしい。
革命といえば、西洋の市民革命も先輩であるけど、中国の易姓革命は大先輩である。
昔の中国において、政府は人民から搾取するだけの機能しか持ってなかったらしい。中には善政を敷いた人もいるようだけど、総体として搾取機能だった。
だから、昔の中国の庶民は、できるだけ自分達に及ぼす害が小さい政府を求めていた。良い政府・悪い政府の評価は概ねそれで為されていたとか。
だけど、不幸にして巨大な害を振り撒く政府があったなら、人々はそれを打倒する。打倒しない限り自分達が生きていくことができないから。
もちろん、時の政権への反逆罪にあたるけど、「この政府には徳が無い、或いは失われた」という風な大義名分があるので、権力の正当性は問題にならないらしい。
だからこそ、平民出身の皇帝が生まれたりもした。前漢の高祖・劉邦なんかがその代表例だ。
西洋の市民革命が、自由・平等といったある種のロマンチシズムで「食べていかなきゃ生きられない」ってのをコーティングしているのに似ていると思う。
市民革命における「自由・平等」、易姓革命における「徳」、これって凄く可燃性の高い言葉だと思う。
今の日本はそういう可燃性の言葉が切実に必要な状況にはなっていない。
つまんねーと思うから、あまりオススメはしない。
また選挙やるっすね。
どうしよっかなーと考えてみたけど、めぼしい野党が出てこなかったら(きっと出てこないが)白票を入れに行こうと思うです。
前にも書いた気がするんだけど、現状の選挙制度って人質事件の交渉と似てるんだよね。
安全保障政策を進めるためには、増税やら失敗だらけの経済政策(どー考えても庶民の暮らしは厳しくなった。つまりは二極化が進んでる以上、庶民たる我々からは失敗と言うほか無い。マクロ視点でどーなのかは知らん)を飲まなきゃいけないというのが、人質をなんとか無事に助け出そうと交渉役の人がアレコレやるのに似ている。
人質返して欲しかったら金よこせ
安全保障進めたかったらこの政策飲み込め
ほんと、おかしい。
既に政党政治は限界だと思う。元々、志を同じくする者がその意を通す為に団結したのが政党のはじまりだったと思うんだけど、今やただのパワーゲームの入れ物でしかないし。
客観的に見て、自民党だけが政権担当能力を持っているのね。政治がストップしてしまうことだけは無いわけですよ。でも、ストップしない代わりにロクでもないアレコレをするわけですよ。大きい話だと増税しても税収増えてないじゃんとか、小さいことだとカネの問題や議員定数削減ガン無視(結構取り沙汰されてるけど、税収のそれとじゃ金額の桁が違いすぎる)とか。
そういう納得イカナイ部分があるけど、それでも政治が止まってしまうよりかはナンボかマシなんじゃなかろーかという人が自民党に入れてるんだと思う。ただ、個人的には止まっていた方がまだマシだったという未来が見えないこともない。
一党独裁体制に限りなく近い現状を打破するには、どうしたって対抗できる野党が必要なんだけど、どぶの底の方を総ざらいにしたって、もう何にも出てこない。
どうすれば良いのか?考えてみた結果、
絶対にあり得ないけど、小泉進次郎さんに自民党を割ってもらうしか無い気がしている。
今の政治家の中で、その実力はともかくとして、空気を持っているし、国民の支持を個の力で取れるのがこの人くらいだから。でも、そんなことをしても時流に乗って一時の対抗勢力になれるだけで、政治生命はたぶん終わる。終わらずとも雌伏の時を迫られる。
ワタシは前回の衆院選の後に「2年くらいしたら自民党の分裂が始まる」と予想していたのだけど、今のところそんな気配は無い(笑
つらつらと日本の歴史を考えてみるに、ここまで対抗勢力が存在しない(に等しい)状態って果たしてあったのかしら?
なんて考えてみたけど、そもそも民主党が政権取る前は、ほとんど自民党体制だったのでこんなんもんかーと思ったり。それでも社会党みたいな潜在的与党はあったようだから、やっぱり今よりはマシなのか。今の野党は潜在的を通り越して沈没してるからな。
確実に日本の庶民の暮らしは厳しくなってるけど、それでもまだ明日飢える、明後日飢えるという状態には遠い。
それはそれでハッピーなことだけど、同時に僕らの中に可燃性の何かが蓄えられない原因になっている。これが日本人は大人しい、という評の本質なんだと思ってる。
可燃性の何かが溜まって、それが爆発すると暴動、ひいては革命を引き起こしてきたのが人の歴史だけど、それを溜めるには「生きるか死ぬか」という線が薄っすら見えてこないとダメらしい。
革命といえば、西洋の市民革命も先輩であるけど、中国の易姓革命は大先輩である。
昔の中国において、政府は人民から搾取するだけの機能しか持ってなかったらしい。中には善政を敷いた人もいるようだけど、総体として搾取機能だった。
だから、昔の中国の庶民は、できるだけ自分達に及ぼす害が小さい政府を求めていた。良い政府・悪い政府の評価は概ねそれで為されていたとか。
だけど、不幸にして巨大な害を振り撒く政府があったなら、人々はそれを打倒する。打倒しない限り自分達が生きていくことができないから。
もちろん、時の政権への反逆罪にあたるけど、「この政府には徳が無い、或いは失われた」という風な大義名分があるので、権力の正当性は問題にならないらしい。
だからこそ、平民出身の皇帝が生まれたりもした。前漢の高祖・劉邦なんかがその代表例だ。
西洋の市民革命が、自由・平等といったある種のロマンチシズムで「食べていかなきゃ生きられない」ってのをコーティングしているのに似ていると思う。
市民革命における「自由・平等」、易姓革命における「徳」、これって凄く可燃性の高い言葉だと思う。
今の日本はそういう可燃性の言葉が切実に必要な状況にはなっていない。