何ヶ月か前に、ガンダムSEEDを見始めたーと書いて、色々不評っぽいけど面白くね?ってなことを書いたワタシ。


SEED(無印)を見終わった時点で、「これがなんで批判が多いのかワカランチン」とか、「いや、、、やっぱ渋いおっさんキャラが活躍しないってのはガンダムとしてはイマイチかもなぁ」とか、「やっぱイケメンキャラだけじゃリアリティーが無いのかもなぁー」とか、色々思ったのですが、

少々の事には余裕で目をつぶるワタシの結論としては


ガンダムSEED面白いじゃん!!


でした。


いや、、、まぁ、、、アズラエルとかのキチッぷりには閉口したし(なんでアソコまでメーター振り切れるのか背景を描いてないから尚更。ブルー・コスモスがそこまで先鋭的になる背景を描いて欲しかった。その点クルーゼの方はまだ説得力があったと思う)、結局SEEDってなんだったのさ、とか疑問もあったけど。



で、知人によれば「SEEDは三部作なんだぜ」ということなので、続編たるデスティニーも見てみたんだ。ちなみに三部作の3つ目がなんなのかは未だ不明。今度聞いておこう。


で、デスティニーだ。


Oh・・・


これか、、、これがマズカッタためにSEED批判が強いのかーと思わせられる出来でした・・・

凹〇 アウチ



序盤は面白かった。割とアスランが気に入ってたんだけど、彼がいいように振り回されて、デュランダル議長に利用されてる姿が良かった。なんか彼には優柔不断とか迷いみたいなのが似合う気がする。大局に振り回される姿というか。

ザフトの軍籍に戻ったら、おめぇ嫌でも命令に従わなきゃいけない事態になるぞ フェイスの肩書きもらったって、議会の決定には逆らえないんだぞ・・・と思いつつ見てたんだけど、そうゆうのが面白い。



過去のガンダムの丸々パクリオマージュっぽいのは無印で止めておけば良かったなーと思った。とりあえず新型ガンダム開発は絶対に情報が漏れてて、奪われたり破壊されそうになったりするのは基本。1st、Mk-Ⅱ、ストライクらXタイプ然り。

無印の時は1stやZの頃からだいぶ経ってるし、新規ファンも居ると思うからオマージュ使ったのは良かったんだけどね。続編で同じことやるのはネタ切れにしか見えないから止めた方がよかった。

ザクウォーリアはカッコイイし、グフも良かったけど、ドムがジェットストリームアタックって言い出した時は、もうどうしていいかワカラナカッタ。


もういっそアッガイ出そうよと思った。


肝心のストーリーは最初の方は凄い良かった。ステラとシンの関わりはカミーユ&フォウと被ってるけど、それでも良かったし。

名作になりうる素材だと思ったんだけど、どうして途中からああなったんだろ?


ロード・ジブリールとかリアリティの欠片も無いキチガイでしかないし、議長の計画もよく分からないイミフ状態だし、ルナマリアとシンは何がどーしてそーなったんだとか。


っていうか、根幹テーマだった「ナチュラルとコーディネイターの対立」はどこいったんだ?

このナチュラルとコーディの対立って、テーマとしてはかなり奥深くて、この解決不能の問題に一体どんな解を出すのだろうとワクワクしてたのに・・・


まさか全部ぶん投げて明後日の方向へ進むとは予測してなかた。。。
批判はあまり好きじゃないんだけど、これは流石にガンダムファンの思いを根こそぎに粉砕しただろうなーと思うと、ファンの一人としてはちょっとばかし怒ったりもするので。


なんでしょーね、総集編がラスト間近でも頻繁に挟まってたのは、制作が大幅に遅れてたからなのかね。ストーリーを見て思うに、たぶん脚本が詰まってたんじゃないかなぁと。ワタシが総監督だったら、プロット提出された時点で書き直しさせるレベルだもの・・・

それが罷り通ってしまったというのは、脚本の進行が、コロニー地球落下の阻止限界点を越えたってことなんだと思う。



で、何故にワタシの中のデスティニーがダメ出しされてるのかを考えていたら、ふと思ったのが「敵役(悪役ではない)に思想的背景が無い」のが最大の問題なんだと思った。


敵役(ジブリールとかセイラン家とか)にほとんど背景が無いので、ただのキチガイ集団にしか見えず、ガンダムシリーズの売りだったはずの"勧善懲悪ではないリアリティ"が放棄されてしまったのだと。。。



いや、、キラやラクスが結局何をどうしたいのか、まったくもって曖昧のまま終始したことも、シン・アスカは結局なんだったの?とかも、、問題なんだけどさ・・・


というわけで、敵役について考えてみたい。


つづく