久々ねー。

まんだらけ で色々盛り上がってますね。
ワタシ、万引き犯(と目される)の写真を公開しないのは正しい選択だったと思っています。


だってさ、「本当に犯人なのか分からない」し、その人物が犯人と目されてるのは、まんだらけ側の独自調査で「おそらくコイツだろう」と思われただけでしょう。

警察権を持たない一企業が独自調査でもって写真公開に踏み切ったとしたら、それは国家の捜査権・警察権の否定になってしまう。私刑の横行になってしまう。



なにより、真犯人が別にいたとしたら(内部犯の可能性だってあるわけで)、公開してしまったら大変な事になるし。



もし、仮に件の人物が本当に犯人だったとしても、一企業による私的制裁が認められてしまったら、以後、私怨その他による私刑が罷り通ってしまう=公に認められてしまうわけで。そんなデンジャラスな世界には住みたくないよ。


本当は被害が出ていなくても被害が生じたフリをして(というか内部で結託して)、写真公開して社会的に抹殺することだってできる。あまりにもデンジャラス過ぎる。警察のストップはその危険を摘むために必要だったと思う。


今、「公開してしまえ!」と叫んでいる人たちは、それによって、将来どれほどの害が及ぶかを想像していないんじゃなかろーか。可燃性の思考はちょっと怖い。過剰な正義の先にあるのは狂気だけというのが人間の歴史なんだがなぁ。



加害者の人権を守るのか!という批判も多いのだけど、別に加害者の権利なんて特段保護してない。犯人が罰を受けるのは、あくまで刑法で定められた窃盗の量刑の分だけでいい。それ以上の罰をどこかの誰かが科すことはできないし、する必要もない。

(もし量刑に不満あるのなら、それは国会議員に法改正を注文するべき。まんだらけも警察もどうしようもないし、どうにかしてもいけない。)



ところが、写真公開されたら、受けなくてもいい罰まで背負ってしまう。従来の社会的な制裁とは比較にならない威力で。なにしろネットのパワーは凄まじい。ネット普及以前とは全然違うんだ。


そんな状態は法治国家としてはやはりオカシイ。窃盗罪の量刑が"実質的"にグレードアップして、強盗や殺人のような、より悪質な犯罪と同程度になってしまう。

公開しないという選択は、この「著しく量刑を上回る罰」が公権力以外によって与えられないようにするだけのことで、窃盗についての罰は容赦なく与えられるのだ。だから、加害者の犯人の権利を特に保護しているわけじゃない。そこんとこを勘違いしないで欲しい。


つまり、今回のコレは加害者(と目される)人物に味方してるわけじゃないし、被害者に味方しているわけでもない。写真公開という手法に付きまとう将来的な危険性をどうこうしているだけ。

もし、今回公開していたら、この一件に限っては溜飲は下がるけど、必ずそれを後悔するときが来る。私刑の禁止という大原則を破ることの弊害はそれくらい大きい(前述のデンジャラス世界)。





とりあえずだね、万引きという言葉を止めて窃盗って言おう。暴走族って言葉も止めて珍走団って言おう。ついでにキラキラネームも止めてDQNネームで。

そんで、初犯だからって軽々に見逃したりせず、2回目以降ともなれば容赦なく警察に突き出すようにした方が良い。

結局、窃盗を防ごうと思ったら、「割りに合わない」と思わせなければダメだと思う。それを公権力或いは実際に摘発した店側がしっかりやるべき。

つまり厳罰化・・・というか、キチンと窃盗犯として取り扱うことから始めないと。
甘い処分をした店のせいで、他の店にも被害が及ぶ事を想像すれば、無用の温情はかけない方が良いと思う。