お次は、渡辺嘉美さんの登場でした。
選挙には金がかかる
8億円・・・!!!
吉野家で牛丼が266万6666回食える(改定後価格、並盛)。
ラーメン花月で「大江戸味噌」が110万食以上食える(ちなみに、期間限定だったのでもう終了している。大葉が良い感じのアクセントになっていた。絶品。)
牛丼並盛266万食は、東京ドーム半個分以上なのである(ホントか?)
ワタシの貧弱な妄想力ではこの辺りが限界か。
つまりは、途方も無い額ということが伝われば良い。
この8億円事件を巡って今後繰り広げられるであろう泥仕合には興味がない。
またも国民の士気を減じてしまう政治屋(や)の人々にあきれ返ることもない。既に呆れてひっくり返りすぎて、これ以上は無理なので。
俄然、興味があるのは「政治には金がかかる」という面なのだ。
おそらく、選挙に金がかかる事の弊害が、今後クローズアップされる。その中で定数削減や議員年金のうんたらかんたらが取り沙汰されるだろう。っつか、既に取り沙汰されてるかも。ワタシが気にしているのはそっち。
私見で恐縮なのだけど、実体験と合わせて考えるに、国会議員は現状の半分でも十分足りる。
永田町をうろちょろしていた頃に見てきたのだけど、大半の国会議員は「地元の口利き屋」でしかない。いやもう、実に酷い事(人)もあった。
いっちょ派手に定数削減しても特に問題は無いと思う。もちろん、定数が多い=勢力が細分化しやすい=民意を忠実に反映しやすいメリットはあるのだけど、どっちみち大同団結だとかテキトーな単語をぶち上げて離合集散を繰り返すだけなので、そのメリットも実はあまり無いと思ってる。
ただ、議員歳費の削減だけは止めた方がいい。これはマジで。
本来の国会議員とは、国の舵取り、すなわち国家と国民に対して責任を負うという恐ろしく重要な役割を持っている。
その重要性たるや、どこぞの大手企業の会長やら幹部やらよりも遥かに大きい。
それらの人々と比べて著しく報酬が少ないというのは、これはおかしい。
大体、責任の重さに対して報酬が正しく比例していない場合、歪みが起こる。
歪みが起こると、それが不正や収賄などに繋がる。働き・責任の割りに給料が少ないと、多かれ少なかれ不満を持つのは人のサガだ。
そして何より、報酬が少ないと「なり手」がいなくなってしまう。これは困る。
どこかに埋もれている一級の人材を国政に与らせるためなら、多少の不出来な議員に高額の歳費を払うくらいのことは仕方がないと思う。
非常に悔しいことではあるけど、清濁併せ呑むというのに近いか。違うか。違うな・・・
世の中、腹の底から清廉な人物なんてそんなに多くない。だから、せめて能力のある人を報酬で釣って働いてもらうより仕方がないじゃないかとも思うのだ。
なので、定数は今の半分以下にする代わりに、報酬を上げてやれと思うのです。
但し、選挙の立候補受付の際に「テスト」をして欲しい。
これはもう切実な願いだ。
昔に、そんな議論があったような気もしたけど、その時は「勉強のできないヤツは立候補さえできないのか!」とかいう論調が強かったように思う。
違う、、、そうじゃないのだ。
勉強が出来る、出来ないの問題じゃなくて、国会議員とは立法府に勤める特別公務員なわけですよ。
立法府に勤めるのに、法律のイロハ、国会のイロハが分からないっておかしいじゃないですか。
なにも全ての分野に精通しろとは言わないのです。
必須科目に国会のイロハ、立法のイロハ。あとは選択科目で経済・外交・教育・福利厚生などなどを扱って、論文形式で書かせりゃ良いと思うんです。そんで合格者=立候補者の論文は公開する。(今流行りの論文改ざんにも、どうにかして対処してくれ)
でね、今、最高裁の裁判官を国民が審査する「国民審査」ってのを衆院選の時にやってるでしょう。ほとんど注目されていなくて形骸化してるアレ。
その国民審査で、立候補時審査の審査官というか合否判定を下す人を審査すりゃいいんじゃないかなと。この審査官は「○○議員の立候補を認めました」とでも情報を付随してやれば、「この審査官があのアホ議員を・・・コイツは罷免だ」とかできるし。
今の無意味な国民審査よりはナンボか意味があるんじゃないかなーと。まー、審査官の身分保障をどうするかとか、審査官との癒着はどーすんのとか細かい問題は色々アルケドナー。
まー、つまりは、「議員になるのなら、議会の何たるかくらいは知ってからにして!」と言いたい。そこが達成されるなら、方法はなんでもいいんだ。ってことを、ワタシなんぞより賢い人に考えて欲しいと思うんだ。
あれだよ、大久保利通先生が草葉の陰で泣いてるよ。
選挙には金がかかる
8億円・・・!!!
吉野家で牛丼が266万6666回食える(改定後価格、並盛)。
ラーメン花月で「大江戸味噌」が110万食以上食える(ちなみに、期間限定だったのでもう終了している。大葉が良い感じのアクセントになっていた。絶品。)
牛丼並盛266万食は、東京ドーム半個分以上なのである(ホントか?)
ワタシの貧弱な妄想力ではこの辺りが限界か。
つまりは、途方も無い額ということが伝われば良い。
この8億円事件を巡って今後繰り広げられるであろう泥仕合には興味がない。
またも国民の士気を減じてしまう政治屋(や)の人々にあきれ返ることもない。既に呆れてひっくり返りすぎて、これ以上は無理なので。
俄然、興味があるのは「政治には金がかかる」という面なのだ。
おそらく、選挙に金がかかる事の弊害が、今後クローズアップされる。その中で定数削減や議員年金のうんたらかんたらが取り沙汰されるだろう。っつか、既に取り沙汰されてるかも。ワタシが気にしているのはそっち。
私見で恐縮なのだけど、実体験と合わせて考えるに、国会議員は現状の半分でも十分足りる。
永田町をうろちょろしていた頃に見てきたのだけど、大半の国会議員は「地元の口利き屋」でしかない。いやもう、実に酷い事(人)もあった。
いっちょ派手に定数削減しても特に問題は無いと思う。もちろん、定数が多い=勢力が細分化しやすい=民意を忠実に反映しやすいメリットはあるのだけど、どっちみち大同団結だとかテキトーな単語をぶち上げて離合集散を繰り返すだけなので、そのメリットも実はあまり無いと思ってる。
ただ、議員歳費の削減だけは止めた方がいい。これはマジで。
本来の国会議員とは、国の舵取り、すなわち国家と国民に対して責任を負うという恐ろしく重要な役割を持っている。
その重要性たるや、どこぞの大手企業の会長やら幹部やらよりも遥かに大きい。
それらの人々と比べて著しく報酬が少ないというのは、これはおかしい。
大体、責任の重さに対して報酬が正しく比例していない場合、歪みが起こる。
歪みが起こると、それが不正や収賄などに繋がる。働き・責任の割りに給料が少ないと、多かれ少なかれ不満を持つのは人のサガだ。
そして何より、報酬が少ないと「なり手」がいなくなってしまう。これは困る。
どこかに埋もれている一級の人材を国政に与らせるためなら、多少の不出来な議員に高額の歳費を払うくらいのことは仕方がないと思う。
非常に悔しいことではあるけど、清濁併せ呑むというのに近いか。違うか。違うな・・・
世の中、腹の底から清廉な人物なんてそんなに多くない。だから、せめて能力のある人を報酬で釣って働いてもらうより仕方がないじゃないかとも思うのだ。
なので、定数は今の半分以下にする代わりに、報酬を上げてやれと思うのです。
但し、選挙の立候補受付の際に「テスト」をして欲しい。
これはもう切実な願いだ。
昔に、そんな議論があったような気もしたけど、その時は「勉強のできないヤツは立候補さえできないのか!」とかいう論調が強かったように思う。
違う、、、そうじゃないのだ。
勉強が出来る、出来ないの問題じゃなくて、国会議員とは立法府に勤める特別公務員なわけですよ。
立法府に勤めるのに、法律のイロハ、国会のイロハが分からないっておかしいじゃないですか。
なにも全ての分野に精通しろとは言わないのです。
必須科目に国会のイロハ、立法のイロハ。あとは選択科目で経済・外交・教育・福利厚生などなどを扱って、論文形式で書かせりゃ良いと思うんです。そんで合格者=立候補者の論文は公開する。(今流行りの論文改ざんにも、どうにかして対処してくれ)
でね、今、最高裁の裁判官を国民が審査する「国民審査」ってのを衆院選の時にやってるでしょう。ほとんど注目されていなくて形骸化してるアレ。
その国民審査で、立候補時審査の審査官というか合否判定を下す人を審査すりゃいいんじゃないかなと。この審査官は「○○議員の立候補を認めました」とでも情報を付随してやれば、「この審査官があのアホ議員を・・・コイツは罷免だ」とかできるし。
今の無意味な国民審査よりはナンボか意味があるんじゃないかなーと。まー、審査官の身分保障をどうするかとか、審査官との癒着はどーすんのとか細かい問題は色々アルケドナー。
まー、つまりは、「議員になるのなら、議会の何たるかくらいは知ってからにして!」と言いたい。そこが達成されるなら、方法はなんでもいいんだ。ってことを、ワタシなんぞより賢い人に考えて欲しいと思うんだ。
あれだよ、大久保利通先生が草葉の陰で泣いてるよ。