三国志11でも諸葛孔明は強いなーと思って。


そんであれやこれやと孔明について考えてた。

孔明は軍司令官としては呉の周瑜に劣る、という趣旨の事を以前書いた記憶があるんだけど、アレって本当かな?ということを主に考えていた。


ワタシは周瑜と孔明の立場の違いを考慮していなかった気がしたのだ。



んー、、、赤壁の戦いでは確かに孔明は何もしていない。勝ったのは周瑜の指揮(とか曹軍を襲った風土病の影響とか、不慣れな水上戦だったとか)のおかげ。

でも、この戦いの時にはそもそも孔明は戦力と言える程のものを保持していなかったわけで。
新野から敗走に敗走を重ねてきた劉備軍なので当然だけど。

ここで言えるのは、周瑜は凄かった!という事だけで、孔明の評にはあまり影響無い気がしてきた。



周瑜との比較の前に、魏延との確執を考えてみる。



孔明の軍指令の力量が疑問視される一番の理由は、北伐で安全策を重視した結果、何も得ることが出来なかったというものだ。


確かに孔明率いる蜀軍はさしたる成果を上げることは出来ず、魏延などは不満を持ち、子牛谷を通って長安を突く急襲ルートを何度も提案した。魏延と孔明の反目を表す有名なエピソードだ。


でも、魏延と孔明では立場が違いすぎる。
孔明は内政・外交・軍事に至る全てに携わる大黒柱だ。文字通り、蜀を背負っている。


魏延は高級軍事官僚で、軍事を見ていればいい立場だった。
だから長安急襲ルートという、多少博打性のある戦略を立案できる。仮に敗北したとしても、彼自身が責任を取ればそれで済んでしまう。蜀は再起不能になるだろうが、魏延自身に限っては済んでしまう。


孔明はそうはいかない。


単なる軍事官僚なら作戦を立案して敗北したのなら、処罰されるなり「勝敗は兵家の常」とか言って不問になったりで済む。

けど、孔明の場合は、その敗北によって起こる影響の全てに対して立ち向かわなければならない。

急襲ルートは大敗の可能性もある。仮に大敗したら軍を再建するのにどれ程の時が必要か?それらに取り組むのは魏延ではなく孔明なのだ。再起不能の打撃を受ける可能性もある。蜀のすべてを支えていた孔明には、その辺りの事が誰よりも見えていたのだろう。


こう書くと、魏延は無責任で孔明は責任があったと思えるかもだけど、言いたいのはそんな瑣末なことじゃない。


孔明は天才的な軍司令官の役割を演ずるには、あまりにも制約が多すぎたのだ。


蜀の大黒柱・宰相である以上、物事のすべて、戦争のすべてをその立場から考えざるを得ない。すると、どうしたって冒険的な作戦は実施できなくなってしまう。なにしろ、蜀は弱国で負けたら後は無いのだ。


孔明がそういった制約を受けずに、ただの軍司令官としているのであれば、或いは長安急襲作戦は実行されたかもしれない。そして、見事な成功を収めてその後の歴史は変わったかもしれないし、大敗して、蜀は史実より早く滅亡していたかもしれない。


結局、孔明の軍司令官としての才能を測る機会は、歴史上無かったんだろうなと思う。
だから、周瑜と比べてどうのこうのってのは、そもそも設問からして無意味だったのねと、自己反省してるところだ。



周瑜は孔明とは違う。彼の立場は提督であり軍司令官なのだ。その点で孔明よりも遥かに制約が少なかったというのはあるはず。そして、そのことが彼の才能とマッチしていたのは、彼にとってとても幸せだったと思う。




前漢でいえば、蕭何と韓信の役割を同時にやらねばならなかったのが孔明で、韓信を演じれば済むのが周瑜だった。当たらずとも遠からず、と思う。



そういえば、軍事学の基礎で作戦目的は複雑すぎてはいけない。というのがあった気がするんだけど、孔明のケースを考えると、あらゆる要素盛りだくさんという感じで複雑過ぎるよなーと思った。勝てなかったのは必然かもしれない。(魏との戦力差を考えれば、負けなかっただけでも途轍もない偉業だけど!)