今日も自己満足文章いくですよ。

VS袁紹戦を控えて戦略を練っていた前回でした。
どの都市で戦端を開くかというのは、この三国志11において非常に重要なのです。

守りやすさ、連携、生産性などが都市毎に大きく違っているうえに、敵対勢力の動きもあるので、変な所で戦端を開くと防衛が泥沼化したり、他勢力の横槍が入って負けてしまったりします。


そんでこういうことに。



Before


孫堅1



After


孫堅2



うむ、、、曹操強し。魏延はせっかく手に入れたシドウを追われ、陸遜は滅亡してしまった。

劉備は相変らず、我が軍の金銭支援を得たトウタク相手に戦ってます。かなり優勢のようなんだけど、あと一歩届かない感じ。そうこうしてるうちに、曹操と江陵付近で戦い始めてる。


そんで、あれこれ悩んだ挙句、VS袁紹は許昌で始めることにしました。
同盟軍の孫権領を挟んだ飛び地になってしまうのだけど、総合的に考えてここがベターだったので。

準備としてカヒとロコウに軍団を分け、ロコウの方には特に念入りに物資を集積。なにせ遠征になるので物資の切れ目が命の切れ目。攻略作戦に必要な分だけでなく、奪い取った後に安定軌道に乗るまでの物資も必要なのね。


まずはカヒ軍団の動きから。

孫堅と孔明(神算→深謀に変更されたが)を中心としたカヒ軍団は、何故か生き残ってる北海の張昭を倒して、そのまま臨済港まで一気に進軍。臨済港はボクヨウから陸路で攻められても隘路で迎撃可能なので、陸戦能力に大きく劣る孫堅軍でも十分防衛可能なのです。黄河で水上戦を挑んできたら鎧袖一触なのは言うまでもなし。

カヒがショウハイから攻撃される可能性はありますが、ここも渡で食い止めることが出来るので、適当に戟適正の高い部隊を置いておけば相当粘れます。なにしろカヒは本拠の江東から水路での補給が可能な上に生産性も非常に高い都市なので、まず落ちることはないはず。守将にキョウイを残してるし。


こうして北海→臨済港まで進軍することで、カヒと北海の2都市を安全に支配できるので、戦力が集中しやすくなる上に、地の利を得ることができる。Oh、素晴らしい。屯田持ちが欲しくなるけどナ・・・



そんでロコウ軍団。

こちらは程普、韓当、徐庶、張翼らが中心の構成。ロコウの守備には賀斉と孫ヨク夫婦を残していく。この三男坊は統率を育成してあるので、水上なら意外と頼れる男に成長している。


何故、許昌を狙うのか。


答えはたくさんある。まず、防衛しやすい。許昌を占領したら袁紹の猛反撃が来ると予想されるけど、やつらは難所行軍を持ってないので、攻め口は北だけになる。ここは施設や火計で相当粘れるので、数に劣る孫堅軍でもなんとかなる、はず。上手くすれば宛にいる劉エン軍と潰しあうかもしれないし。



次に、許昌を抑えることで、孫権陣営の矛先を西に向けることができる。これは大きい。孫権には宛以西は呉れてやるつもりなのだが、許昌はコチラで抑えておかないと、同盟破棄した時にマジでやってらんないことになる。

孫権に宛を取らせておけば、曹操とそのうち潰しあってくれるので、そのスキにコチラは中原と河北を制圧してしまうつもり。


さらに許昌の生産性の高さも理由のひとつ。飛び地領になってしまうので、1都市ですべてを賄えるポテンシャルを持つ許昌はとても魅力的だ。


加えて言えば、この段階でショウハイに手を出すのは地獄への片道切符というのも理由だ。あんな広い平野で袁紹軍の武闘派連中(顔文の双璧&関羽の息子達、そして張遼(!)、馬超(!)、馬タイ他)と戦ったら酷いことになってしまう。




で、最初の勢力図に至る。



しかし、袁紹の力を甘く見ていたらしい。


許昌の攻略には成功したものの、やつの反撃は凄まじかった。洛陽と陳留から陸続と迫る大軍。
優にコチラの3倍はあるだろうか。普通に10万以上の大軍が攻めてくるから面白い。

数だけなら予測済みだったので問題は無い。編成が問題だった。



投石車がいっぱい。


当初の防衛計画は、敵の弩攻撃やセイラン、騎兵戦法は森で無力化しつつ、施設のZOCと火計で時間を稼いで兵糧切れが狙うものだったのだけど・・・

投石相手だと森とかカンケーねぇ・・・
しかも施設は速効で破壊されるから、ZOCもクソもねぇ・・・
張遼の投石とか威力も半端ねぇし、威風効果で気力がガンガン減っていく・・・


何台も並ぶ投石車にバタバタと薙ぎ倒される孫堅軍。
防衛ラインを突破されて城に投石される事態にまで追い詰められた。


総力を挙げて一時的に戦線を押し戻して、戟兵でZOCを維持(&火計)する作戦に変更。
これでなんとか撃退に成功しました。


勝因は戟兵の技巧研究「大盾」。
張翼(統率81)に戟兵を率いさせて森に陣取らせていたんだけど、敵騎兵の通常攻撃を何度も何度も無効化し、反撃で削っていくという素晴らしい活躍。


ひたすら耐えてZOCを維持することだけを目的にした部隊だったので、張遼のせいで気力が0になっても居座ってた(何度か補給部隊を送った)。施設は役に立たなかったので、火計を使えないエリアは張翼が頼りだったのだ。


流石に蜀末期の重鎮だけのことはあるなぁ。




というわけで、中原に橋頭堡を築くことに成功。