P3をプレイ中に疑問がいっぱい出てきたのだけど、クリアしたことだし真面目に考えてみることにした。
■ユニバースの力、大いなる封印、ニュクス、エレボス、時を操る神器
プレイ中にね、嫌な予感はしたんですよ。
大いなる封印の消費HPがMAXじゃないですか。これ、全部のHPを使い果たして行う封印ってことだから、やっぱ主人公は死んでしまうのかなと思いました。
イゴールさんによれば、ユニバースとは「何事も奇跡でなくす力」。不可能な事が無くなるってこと。
それでもってニュクス自体を滅ぼすという選択肢もあったかと思うのですが、ニュクスは実体のあるナニカというよりは、「死という概念そのもの」だ。死があるから生があるので、裏を返せばニュクスは命が存在するために不可欠なモノと言える。
つまり、ニュクスを滅ぼすというのは生の否定でもあるから、如何に奇跡の力でもひっくり返せなかったのかと思った。
で、我らが主人公はプレイヤーに断りもなく、ニュクスを封印する方法を選んだわけです。
他に方法は無かったのかと、激しく後悔したわけですが。
もし、他に方法があるのなら、後日談で過去に戻る選択肢もアリだよなーとか。
後日談で封印の理由が"エレボスがニュクスに触れるのを防ぐ"と判明したわけですが、ここいらが少々難解でワタシも理解できていない。
○大前提
・ニュクスは遥かな太古、生命が生まれた頃から"あった"はずで、それは人類が生まれるよりも遥かな大昔。
・エレボスは人の悪意や死を希う心の総和で(タカヤはそれを"総意"と勘違いしていたが)、人類が生まれた頃から存在した。
・風花はエレボスをシャドウとは違うモノと言っているけど、ニュクスを求めている点ではエレボスとシャドウは同じもの。
大昔からニュクスもエレボスもあったけど、滅び=全生命体のシャドウ化は起きていない。いや、もしかすると既に起きていて、再生後の世界が今の世界なのかも知れないけど。
ここいらって、幾月が取り付かれた終末思想も関わってくると思うんだけど、終末思想には大きく2つあって、これから終末を迎えて救世主が現れて云々~というのと、実は既に終末は大昔に起きていたのですっていう考え方があるのね。
後者はなんじゃそりゃ?って言いたくなるかもだけど、考えてみりゃノアの箱舟伝説とかはコレに該当するわけだし、キリスト教でもイエスを救世主と崇めるってのはそういうことでしょう。
審判メサイアのデザインも意味深だしね。
つまりは、そんな大昔から存在してた"滅び"を一体どうやってこれまで防いでいたのか?
幾月の残した資料が存在するということは、過去に"滅び"が起きていた証なのかな。
宣告者デスがニュクスを"呼ぶ"というのは、過去に他のナニカによって為された大いなる封印を解く事なのかもしれない。(他のナニカが人間じゃない事は作中で明らかになってる)
或いは、幾月の資料は贋物で、実はニュクスが降臨するのは初めてだったのかもしれない。
なにしろ仏教の終末論を採用するなら、終末は永遠と言っていいほどの未来(56億7千万年先)の事なのだし。ああ、でもそれだと2010年1月31日に滅びが来る事を説明できねぇな・・・う~~ん。
つづく
■ユニバースの力、大いなる封印、ニュクス、エレボス、時を操る神器
プレイ中にね、嫌な予感はしたんですよ。
大いなる封印の消費HPがMAXじゃないですか。これ、全部のHPを使い果たして行う封印ってことだから、やっぱ主人公は死んでしまうのかなと思いました。
イゴールさんによれば、ユニバースとは「何事も奇跡でなくす力」。不可能な事が無くなるってこと。
それでもってニュクス自体を滅ぼすという選択肢もあったかと思うのですが、ニュクスは実体のあるナニカというよりは、「死という概念そのもの」だ。死があるから生があるので、裏を返せばニュクスは命が存在するために不可欠なモノと言える。
つまり、ニュクスを滅ぼすというのは生の否定でもあるから、如何に奇跡の力でもひっくり返せなかったのかと思った。
で、我らが主人公はプレイヤーに断りもなく、ニュクスを封印する方法を選んだわけです。
他に方法は無かったのかと、激しく後悔したわけですが。
もし、他に方法があるのなら、後日談で過去に戻る選択肢もアリだよなーとか。
後日談で封印の理由が"エレボスがニュクスに触れるのを防ぐ"と判明したわけですが、ここいらが少々難解でワタシも理解できていない。
○大前提
・ニュクスは遥かな太古、生命が生まれた頃から"あった"はずで、それは人類が生まれるよりも遥かな大昔。
・エレボスは人の悪意や死を希う心の総和で(タカヤはそれを"総意"と勘違いしていたが)、人類が生まれた頃から存在した。
・風花はエレボスをシャドウとは違うモノと言っているけど、ニュクスを求めている点ではエレボスとシャドウは同じもの。
大昔からニュクスもエレボスもあったけど、滅び=全生命体のシャドウ化は起きていない。いや、もしかすると既に起きていて、再生後の世界が今の世界なのかも知れないけど。
ここいらって、幾月が取り付かれた終末思想も関わってくると思うんだけど、終末思想には大きく2つあって、これから終末を迎えて救世主が現れて云々~というのと、実は既に終末は大昔に起きていたのですっていう考え方があるのね。
後者はなんじゃそりゃ?って言いたくなるかもだけど、考えてみりゃノアの箱舟伝説とかはコレに該当するわけだし、キリスト教でもイエスを救世主と崇めるってのはそういうことでしょう。
審判メサイアのデザインも意味深だしね。
つまりは、そんな大昔から存在してた"滅び"を一体どうやってこれまで防いでいたのか?
幾月の残した資料が存在するということは、過去に"滅び"が起きていた証なのかな。
宣告者デスがニュクスを"呼ぶ"というのは、過去に他のナニカによって為された大いなる封印を解く事なのかもしれない。(他のナニカが人間じゃない事は作中で明らかになってる)
或いは、幾月の資料は贋物で、実はニュクスが降臨するのは初めてだったのかもしれない。
なにしろ仏教の終末論を採用するなら、終末は永遠と言っていいほどの未来(56億7千万年先)の事なのだし。ああ、でもそれだと2010年1月31日に滅びが来る事を説明できねぇな・・・う~~ん。
つづく