ワタシは怒っている。


というのは、目の前で食べ物を粗末に扱われたからなのである。


どう粗末に扱ったかというと、自分が苦手な食材を除けていた。
これだけなら別に構わないと思う。苦手なモノくらい誰にでもあるだろうし。
問題だったのは、そうやって除けたモノをスグに生ゴミとして捨ててしまったところだ。

そしてなお都合の悪い事に、その料理を注文したのは他ならぬ当人(家族である)だった。
当然、苦手な食材が入っていることを知った上での注文である。


生ゴミとして捨ててしまうくらいなら、誰かにあげてしまうとか、とりあえず冷蔵庫行きにするとか。いくらでもやりようはあるだろうに。



どうして、ワタシはこの事に怒っているのだろうと考えていた。
もっと安直に怒ればいいのにと思わないでもないが、どうも性分らしい。


冷静に考えると、そんなに怒らなくても良い気はする。世の中で日々無駄になっていく食材の量に比べたら問題にならないくらい微量と思うし。

っつか、こんな事で怒るのもエネルギーの浪費なわけで、ワタシの本来気質である「メンドクサイことはキライ」に大きく反しているのだ。

それにも関わらず、怒るのには何か核心的な、それこそ逆鱗のような何かがあるのではないかと自分に疑問を持った。自分が怒る理由を掘り下げたいと思う辺り、そういう自分が一番メンドクサイんじゃないかとも思う。




少し考えて思ったのは、これが人間のエゴ丸出しの行為だったからという理由だ。


ヒトは食物連鎖の最上位にいる。食物を確保するために他の動物の生殺与奪をも握っている。
生きるためには殺さなければならない。これは仕方がない。そこを否定するつもりは欠片もない。


であるなら、殺さなければいけない数は必要最小限に限るべきと思うのだ。
が、厳密に数を調整するのは不可能と思うので、せめて無駄にしないようにと感謝をしながら食べるべきと思うのだ。

前にちょこっと書いた気もするけど、これはワタシが大食いなんちゃらを激しく嫌う理由でもある。殺さずとも済む分まで貪るのは大罪と思うからだ。ワタシはキリスト教徒ではないけど。


たぶん、右から左へポイッと捨ててしまった事に、ヒトのエゴを感じてしまったのだと。
どうやら、これはワタシの逆鱗らしい。




で、

メンドクサイのは、その当人は風邪で寝込んでいるのだ。断っておくが食欲はある。


ワタシはそやつに対して怒っている。が、怒ってはいても看病というか世話というかはせねばならない。


そやつのために食事を用意したり、買い物をしたり、云々かんぬん。
仕方ないので、そやつに注文を聞いたりもする。

が、忘れてはいけないのは、ワタシが怒っているという事実だ。


だから、ワタシは言う。

「オレ、あんたに怒ってるから。そこんとこ忘れないように。」



だが、ワタシがどれだけ怒っていようとも、そやつが風邪を引いたことは罪ではないので、やっぱり面倒はみなければならないと思うのだ。



そういう次第で、お粥を作ったりしてるのだが、

「怒ってるは怒ってるけど、あんたが風邪引いてるからしょうがなく作ってるんだからねっ!」

という状況に、オマエはどこのツンデレ娘だと、少し情けない思いでいる。