最近気になること3つ。
冷めたタマネギを噛むとくすぐったい。
歯からタマネギを噛んだ衝撃が歯茎に伝わるのだけど、そこでくすぐったい。
思わず、うふひw と笑ってしまう。
これは非常にアブナイ。いろんな意味で。
みじん切りだと小さすぎるからか、くすぐったくないので注意されたし。
「刑事の子」という宮部みゆきさんの小説を読んだ。と思ったら、「東京下町殺人暮色」を改題しただけの本だった。
最初の数ページを読んで、「あれ?どっかで読んだ気がするぞ」と思い、「はてな?」と思いつつ部屋の本棚を眺めてみると「東京下町~」と全く同じ中身と分かった。
「刑事の子」の裏にちっさくその旨が書いてあった。
しかし途中で読むのを止めるのもナンダと思い、最後まで読んだ。相変らず面白かった。
面白いのは良いのだけど、改題して売り出すという商法には疑問を持っている。
ちなみに今回は家族が買ってきた。当人は「東京下町~」も読了しているので怒っていた。
ワタシだったら店頭で気づいていたのに。(必ず数ページ目を通すので)
装丁の変更ならいざ知らず、改題なら改題であると一目で分かるようにして欲しい。誤解して買っていく人もいるだろうから(現に大勢いるらしいが)。こういう姑息なやり方ははっきり嫌いだ。
フィリピンの台風について。私もささやかながら募金をさせて頂いたのだけど、先日「6歳の少年が貯金していた5,000円を寄付」というニュースを見てしまった。
そう、見て「しまった」のだ。
ワタシは掛け値無しに貧乏であると思っているが(或いは掛け値が1未満であろう)、それでも経済力はこの少年よりはある。ということは、その経済力の差の分だけ寄付を上積みせねば!と思ってしまった。
何度か書いたことはあるけど、ワタシはどう考えても清い人間ではない。もちろん寄付は普通にするけど、それとて「現地では困ってるだろうな」という程度の浅い共感でしかない。というか、これだけ住み良い恵まれた国に居ながら何もしない、という選択肢は最初から無いと思っている。
ボランティアという言葉の語源には諸説あるのだけど、ワタシが採用したいのは「ボルケーノ」から転じてボランティアという言葉になったというもの。
つまり、火山のように"どうしようもなく沸き起こってくる衝動・思い"だ。こういう心の根っこから沸き起こる衝動がボランティアの語源なのだ、という説。しかし、これは通説ではなく、かなり少数派の模様。
少数派ながらも、ボランティアの深奥を突いた説だと思っている。
そこんとこいくと、ワタシなんぞは形骸である。敢えて言おう、カスであると。
ぎれん閣下・・・
ただ、ひとりの人間として、ワタシはこの少年の心意気に負けたくない、恥じたくないと思うのだ。そこにはボランティア精神など無い。あるのは実にくだらないプライドだけである。
そう思い、6,000円(微妙な額だ)をさらに追加で寄付してきた。
少し後悔してる辺り、実に小者で汚らしい人間だと思う。
冷めたタマネギを噛むとくすぐったい。
歯からタマネギを噛んだ衝撃が歯茎に伝わるのだけど、そこでくすぐったい。
思わず、うふひw と笑ってしまう。
これは非常にアブナイ。いろんな意味で。
みじん切りだと小さすぎるからか、くすぐったくないので注意されたし。
「刑事の子」という宮部みゆきさんの小説を読んだ。と思ったら、「東京下町殺人暮色」を改題しただけの本だった。
最初の数ページを読んで、「あれ?どっかで読んだ気がするぞ」と思い、「はてな?」と思いつつ部屋の本棚を眺めてみると「東京下町~」と全く同じ中身と分かった。
「刑事の子」の裏にちっさくその旨が書いてあった。
しかし途中で読むのを止めるのもナンダと思い、最後まで読んだ。相変らず面白かった。
面白いのは良いのだけど、改題して売り出すという商法には疑問を持っている。
ちなみに今回は家族が買ってきた。当人は「東京下町~」も読了しているので怒っていた。
ワタシだったら店頭で気づいていたのに。(必ず数ページ目を通すので)
装丁の変更ならいざ知らず、改題なら改題であると一目で分かるようにして欲しい。誤解して買っていく人もいるだろうから(現に大勢いるらしいが)。こういう姑息なやり方ははっきり嫌いだ。
フィリピンの台風について。私もささやかながら募金をさせて頂いたのだけど、先日「6歳の少年が貯金していた5,000円を寄付」というニュースを見てしまった。
そう、見て「しまった」のだ。
ワタシは掛け値無しに貧乏であると思っているが(或いは掛け値が1未満であろう)、それでも経済力はこの少年よりはある。ということは、その経済力の差の分だけ寄付を上積みせねば!と思ってしまった。
何度か書いたことはあるけど、ワタシはどう考えても清い人間ではない。もちろん寄付は普通にするけど、それとて「現地では困ってるだろうな」という程度の浅い共感でしかない。というか、これだけ住み良い恵まれた国に居ながら何もしない、という選択肢は最初から無いと思っている。
ボランティアという言葉の語源には諸説あるのだけど、ワタシが採用したいのは「ボルケーノ」から転じてボランティアという言葉になったというもの。
つまり、火山のように"どうしようもなく沸き起こってくる衝動・思い"だ。こういう心の根っこから沸き起こる衝動がボランティアの語源なのだ、という説。しかし、これは通説ではなく、かなり少数派の模様。
少数派ながらも、ボランティアの深奥を突いた説だと思っている。
そこんとこいくと、ワタシなんぞは形骸である。敢えて言おう、カスであると。
ぎれん閣下・・・
ただ、ひとりの人間として、ワタシはこの少年の心意気に負けたくない、恥じたくないと思うのだ。そこにはボランティア精神など無い。あるのは実にくだらないプライドだけである。
そう思い、6,000円(微妙な額だ)をさらに追加で寄付してきた。
少し後悔してる辺り、実に小者で汚らしい人間だと思う。