近頃、なんとなく思い出すこと。
小学3~6年の頃、一緒に登校する友達が6人ほどいた。
中間合流地点としてW君の家があった。そこで別方向に住んでる連中も4人ほど集まってから学校に行く。
Wくんのウチでは週刊少年ジャンプを買っていたので、Wくんが支度を終えて出てくるまで、それを読ませてもらっていた。ありがたいことだ。
W君の家は共働きだったが、お祖母ちゃんが子供達の面倒をみていた。普段は学校が終わると閉門時間まで校庭で遊んだり、公園で遊んだりしていたので、さほどの迷惑はかけなかったはずだが、夏休みなどは日中の暑い時間はW家で遊んでいたので結構な負担だったのではないかと思っている。
ぼくらの面倒までみてくれたW家の人々には感謝してもしきれない。
登校の話に戻る。
W家で合流した面々が次に目指すのはH家だった。
H君はとても無口な子で、自分からはあまり話をしない子だった。まかり間違えばイジメられる側になっていても不思議は無いほど内気な子だった。
話がまた飛ぶが、ワタシもいじめられそうになった経験くらいはある。そのときはT君という子が助けてくれた。まさに太陽のような存在だった。
彼はクラス内で不穏な動きがあると、バランスを取るべく動いていたような気がする。ともかく彼のおかげで、バランスは常に保たれていたと思っている。ワタシ以外にも助けてもらった人間いるし。
もっとも、コレは小学1~2年くらいまでの話で、学年が上がるとイジメは無くなっていた。上の学年・下の学年がどうだったかは知らないし、女子の間でどうだったかも知らんが、ともかく同学年の男子の中では無かった。
いじめという方にエネルギーを発散させるのが惜しいほどにクラス間抗争があったためとも思える。抗争と言っても、血で血を洗うようなソレではない。サッカー対決だったり陣取りゲーム対決だったりだ。
「今日は3組とサッカー勝負だぜ!」ともなるとクラス中の男子が気炎を上げるような感じだった。主力と言える上手い子が委員会や何かの係で参加できないとなるのは大問題だったし、そんな子が遅れて参戦すると一挙に盛り上がったものだ。
ついでに言うと、このサッカー対決に人数制限は無い。より多くの人間が参加した側が有利になるという、冷静に考えると噴飯物の勝負だ。
もちろん良いところもある。なんといってもレギュラー・控えの別なくみんな平等に参加できる。これが11人限定だったりすると、上手い子だけが参加して、あとは見てるだけーとなってしまう。誰が参加してくれても「おしゃ、戦力増えた!」と大歓迎される恐るべきシステムである。
サッカーは国家間の代理戦争という言葉もあるが、あながち間違ってはいないと思う。
そんな感じだったし、ぼくらはH君と仲良しグループだったので(彼は内気だったが優しい子だった)当然にH君がいじめられるような事態は起こらなかった。
時は流れる。
中学時代。かつての仲良しグループもバラバラになっていた。親の仕事の都合で転校したヤツもいたし、ワタシのように部活に打ち込んでるやつもいた、H君は私立にいった。
中二の頃だったか、久方ぶりにH君の家の前を通ったらH君の母親と会った。普通に挨拶を交わし、近況などを喋っていると、彼女は涙声になって「あの頃は・・・」だか「・・・ありがとうね」だか、それっぽい事を言った。正直、よく聴き取れなかったので、コレがせいいっぱいだった。ひどく悲しげな印象だけが伝わってきた。
なんとなくH君になにか良くない事が起きているのかな?と思った。ただ、他の連中に聞いても特にそんな情報は無いし(違う学校だったのも大きいのかも)、結局母親ともそれっきりだったので実際どうなのかは分からないままで、今に至る。
あのとき、母親にもっと話を聞いてみれば良かったなと思う。
小学3~6年の頃、一緒に登校する友達が6人ほどいた。
中間合流地点としてW君の家があった。そこで別方向に住んでる連中も4人ほど集まってから学校に行く。
Wくんのウチでは週刊少年ジャンプを買っていたので、Wくんが支度を終えて出てくるまで、それを読ませてもらっていた。ありがたいことだ。
W君の家は共働きだったが、お祖母ちゃんが子供達の面倒をみていた。普段は学校が終わると閉門時間まで校庭で遊んだり、公園で遊んだりしていたので、さほどの迷惑はかけなかったはずだが、夏休みなどは日中の暑い時間はW家で遊んでいたので結構な負担だったのではないかと思っている。
ぼくらの面倒までみてくれたW家の人々には感謝してもしきれない。
登校の話に戻る。
W家で合流した面々が次に目指すのはH家だった。
H君はとても無口な子で、自分からはあまり話をしない子だった。まかり間違えばイジメられる側になっていても不思議は無いほど内気な子だった。
話がまた飛ぶが、ワタシもいじめられそうになった経験くらいはある。そのときはT君という子が助けてくれた。まさに太陽のような存在だった。
彼はクラス内で不穏な動きがあると、バランスを取るべく動いていたような気がする。ともかく彼のおかげで、バランスは常に保たれていたと思っている。ワタシ以外にも助けてもらった人間いるし。
もっとも、コレは小学1~2年くらいまでの話で、学年が上がるとイジメは無くなっていた。上の学年・下の学年がどうだったかは知らないし、女子の間でどうだったかも知らんが、ともかく同学年の男子の中では無かった。
いじめという方にエネルギーを発散させるのが惜しいほどにクラス間抗争があったためとも思える。抗争と言っても、血で血を洗うようなソレではない。サッカー対決だったり陣取りゲーム対決だったりだ。
「今日は3組とサッカー勝負だぜ!」ともなるとクラス中の男子が気炎を上げるような感じだった。主力と言える上手い子が委員会や何かの係で参加できないとなるのは大問題だったし、そんな子が遅れて参戦すると一挙に盛り上がったものだ。
ついでに言うと、このサッカー対決に人数制限は無い。より多くの人間が参加した側が有利になるという、冷静に考えると噴飯物の勝負だ。
もちろん良いところもある。なんといってもレギュラー・控えの別なくみんな平等に参加できる。これが11人限定だったりすると、上手い子だけが参加して、あとは見てるだけーとなってしまう。誰が参加してくれても「おしゃ、戦力増えた!」と大歓迎される恐るべきシステムである。
サッカーは国家間の代理戦争という言葉もあるが、あながち間違ってはいないと思う。
そんな感じだったし、ぼくらはH君と仲良しグループだったので(彼は内気だったが優しい子だった)当然にH君がいじめられるような事態は起こらなかった。
時は流れる。
中学時代。かつての仲良しグループもバラバラになっていた。親の仕事の都合で転校したヤツもいたし、ワタシのように部活に打ち込んでるやつもいた、H君は私立にいった。
中二の頃だったか、久方ぶりにH君の家の前を通ったらH君の母親と会った。普通に挨拶を交わし、近況などを喋っていると、彼女は涙声になって「あの頃は・・・」だか「・・・ありがとうね」だか、それっぽい事を言った。正直、よく聴き取れなかったので、コレがせいいっぱいだった。ひどく悲しげな印象だけが伝わってきた。
なんとなくH君になにか良くない事が起きているのかな?と思った。ただ、他の連中に聞いても特にそんな情報は無いし(違う学校だったのも大きいのかも)、結局母親ともそれっきりだったので実際どうなのかは分からないままで、今に至る。
あのとき、母親にもっと話を聞いてみれば良かったなと思う。