昨日ブログで紹介した「聲の形」ですが、なにやらネット上で凄い反響なんだそうで。
さっき検索して驚いたのと同時に、それも当然かなーという気もしまして。
別冊少年マガジンの編集部の人が、「立ち読みでもいいから全ての人に読んで欲しい」とツイートしたらしいのですが、それも分かるなぁと。
自分が同じ立場だったとしても、やはり同じように利益度外視で知ってもらいたいと、きっとそう思うだろう。
この"別冊~"の人たちが週マガに掲載するために色々と頑張ったらしいのですが、その点は素直に称賛したいです。おかげで読むことができましたし、マガジン12号は永久保存としてワタシの楽譜棚に置かれることになりました。
ただ、やはり気になるのは、どうしてコレの掲載が「でも載せていいのか!?」と議論になったのかです。
これを載せるべきではない、と考える要素がワタシには皆目分かりませんでした。後述するキャラクター造形のようにリアリティー100%というわけではありませんが、それでも一面の真実を容赦なく書き表した意欲作だと思うのです。
逆に問いたい。
これを掲載することで起こる不都合とは何なのか?
別冊マガジンも週マガも編集の人も、いい仕事したと思いますよ。
一部では、"ヒロインのキャラクターがあまりにも心がキレイすぎて不自然"などと批判されていますが、この作品が素晴らしいのは、イジメや障がい者といった事柄に纏わる諸々を直球で投げつけたことにあると思っています。それも少年誌に。
漫画作品である以上、また少年誌である以上は、共感や感動といったモノは切り離せないと思います。
そこで、キャラクターにリアリティを追及して排他的な描写に走るなどしますと、多くの人には「問題提起してるのは分かるけど、ちょっと後味が悪すぎて…」と一歩引いてしまいます。
考えてもらいたい、というのが編集部(おそらく作者自身も)の意思だと思うので、多くの人に興味を持ってもらうには、その面でのリアリティを追及するのは逆効果ですから、「心がキレイすぎて不自然」でも良いと思います。
小学生の時は全く意味の通じなかった"5年越しの手話"
「理由ひとつめ、不気味でたまらなかった」と最後のコマの対比
などなど、漫画としての技巧もとても上手いと思いました。
さっき検索して驚いたのと同時に、それも当然かなーという気もしまして。
別冊少年マガジンの編集部の人が、「立ち読みでもいいから全ての人に読んで欲しい」とツイートしたらしいのですが、それも分かるなぁと。
自分が同じ立場だったとしても、やはり同じように利益度外視で知ってもらいたいと、きっとそう思うだろう。
この"別冊~"の人たちが週マガに掲載するために色々と頑張ったらしいのですが、その点は素直に称賛したいです。おかげで読むことができましたし、マガジン12号は永久保存としてワタシの楽譜棚に置かれることになりました。
ただ、やはり気になるのは、どうしてコレの掲載が「でも載せていいのか!?」と議論になったのかです。
これを載せるべきではない、と考える要素がワタシには皆目分かりませんでした。後述するキャラクター造形のようにリアリティー100%というわけではありませんが、それでも一面の真実を容赦なく書き表した意欲作だと思うのです。
逆に問いたい。
これを掲載することで起こる不都合とは何なのか?
別冊マガジンも週マガも編集の人も、いい仕事したと思いますよ。
一部では、"ヒロインのキャラクターがあまりにも心がキレイすぎて不自然"などと批判されていますが、この作品が素晴らしいのは、イジメや障がい者といった事柄に纏わる諸々を直球で投げつけたことにあると思っています。それも少年誌に。
漫画作品である以上、また少年誌である以上は、共感や感動といったモノは切り離せないと思います。
そこで、キャラクターにリアリティを追及して排他的な描写に走るなどしますと、多くの人には「問題提起してるのは分かるけど、ちょっと後味が悪すぎて…」と一歩引いてしまいます。
考えてもらいたい、というのが編集部(おそらく作者自身も)の意思だと思うので、多くの人に興味を持ってもらうには、その面でのリアリティを追及するのは逆効果ですから、「心がキレイすぎて不自然」でも良いと思います。
小学生の時は全く意味の通じなかった"5年越しの手話"
「理由ひとつめ、不気味でたまらなかった」と最後のコマの対比
などなど、漫画としての技巧もとても上手いと思いました。