ここに通って、もう何年が経つか。
三軒茶屋にある美容院。
社会人2年目のときに、当時付き合っていた
彼女が三軒茶屋に住んでいたことから、
通い始めた美容院。
ゼミの後輩だった彼女とは、
2年ほどで別れたが、
8年経った今も、僕はまだ、
変わらず、この街で髪を切っている。
彼女と別れて、3度目のジングルベルが街を彩る頃、
彼女がニューヨークに転勤になったことを
友人より、たまたま聞くことがあった。
「あいつ英語得意だったしな。」
トレンチコートの襟を整えながら、
僕の口からでたのは、そんな陳腐なセリフだけだった。
僕には新しい彼女がいて、この東京での生活があり、
彼女も新しい人生を歩んでいた。
別れた時から、二人の人生の道は分岐して
二人は違う方向に歩き始めた。
3年たって、二人の立っている距離は
3年分遠くなっていた。
ただ、それだけだった。
それから、また数年がたち、
昨年末のゼミのOB会で、彼女に会うことが
あった。
離れたラウンドテーブルに座っていた彼女は
29歳になっていて、
ライトアップされた水槽を、
片肘ついて、ぼんやりと見つめるだけの僕は、
もう30歳になっていた。
仲の良い友人達の輪から離れ、
意を決して、彼女に話しかけてみた。
「元気か?」
それから5分ほど、言葉をかわした。
前の会社から転職したこと。
まだ結婚はしていないこと。
それくらいの情報を得て、
僕はテーブルを離れた。
「じゃあな。」
彼女から、
僕への質問はなかった。
話しかけたことを後悔した。
恋愛感情が残っているわけではない。
時間に薄められて、完全に希薄化した
二人の関係を嘆くわけでもない。
ただ、、 空しい感情だけが僕を満たした。
無性に、冷えた空気を体にとりこみたくて、
ハリスツイードのチェスターフィールドコートを
羽織り、店から出た。
12月の麻布十番の空気は冷たく重く、
僕の白い息は、陽炎のように頼りなかった。
髪を切ってもらっている間、
少し眠ってしまったようだ。
そういえば、今朝もソファで目覚めた。
最近、少し疲れているのかもしれない。
鏡に映っている美容師さん。
もう8年のつきあいになる。
年齢は僕より上。
美容師なのに、髪型は全く変わらない。
僕には8年分の時間が流れているのに、
彼は時間が止まったように昔から変わらない。
髪の切り始めに、だいたい5分ほど
いつも世間話をする。
猛暑の話と
彼が、どこかの湖に釣りをしにいった話を聞いた。
B型だから?
それが関係しているかはわからないが、
昔から興味のないことには、全く興味をもてない。
ただ、釣りには興味はないが、
釣りを好きだという人間がいることに
僕は興味を覚えて、彼の話に耳を傾ける。
すこしの間、話をすると、
その先にほとんど会話はない。
彼は、僕がそれを望んでいることを
知っているし、
彼の本職は髪を切ることで、話をすることではない。
だから、それでいい。
混沌としたものが、
あるべき自然な状態に落ち着き、
僕はとてもリラックスする。
雑誌を読んで、少しウトウトする。
髪を切り終えると、アシスタントの男性が
たっぷりマッサージをしてくれる。
長いときは30分以上も。
僕のシャンプーもマッサージも
男性のアシスタントが担当してくれる。
20代前半まで、僕は「群発頭痛」という
ひどい頭痛を患っていた。
そして、その関係でひどい肩こりだった。
そんな話を、彼にしたことがあって、
それ以来、僕のシャンプー、マッサージには
力の強い男性アシスタントをつけてくれるようになった。
他の男性客をみていると、シャンプーは
だいたい女性が担当している。
僕もたまには、女性にもシャンプーをしてもらいたい。
そう思うことも、たまにはあったが
いろいろ考えて、結局、口にしたことはなかった。
この美容室は心地よい。
リラックスできる空間。
僕の趣味にあう雑誌。
ちょうどよい、人との距離感と
押し付けがましくない人の温かみ。
時間が流れて、壊れてしまう関係もあれば
ずっと変わらない関係もある。
戻れない場所もあれば、
変わらずそこにある場所もある。
自分にとって、その瞬間に
大切なものが、ひとつでもあれば
ヒトは生きていける。
それは、ヒトかもしれないし、モノかもしれないし
バショかもしれない。
それは、気づいていないだけで、
自分の傍にあるのかもしれないし、
大切だと思っているものが
実はそうでもないものかもしれない。
大切なものが変わってしまったのではなく、
自分が変わってしまっただけなのかもしれない。
だから、人生に悲観する必要なんて
本当は何もないんだ。
大切なものは、年齢、環境、気持ちによって
玉虫色のように色を変え、
時には忽然と目の前から姿を消して、
あるとき、
また、ひょいと現れる。
美容室をでると、外はすっかり暗くなっていた。
8年前の三軒茶屋とは違う空、違う空気。
僕は変わらず、
この街で髪を切っている。
三軒茶屋にある美容院。
社会人2年目のときに、当時付き合っていた
彼女が三軒茶屋に住んでいたことから、
通い始めた美容院。
ゼミの後輩だった彼女とは、
2年ほどで別れたが、
8年経った今も、僕はまだ、
変わらず、この街で髪を切っている。
彼女と別れて、3度目のジングルベルが街を彩る頃、
彼女がニューヨークに転勤になったことを
友人より、たまたま聞くことがあった。
「あいつ英語得意だったしな。」
トレンチコートの襟を整えながら、
僕の口からでたのは、そんな陳腐なセリフだけだった。
僕には新しい彼女がいて、この東京での生活があり、
彼女も新しい人生を歩んでいた。
別れた時から、二人の人生の道は分岐して
二人は違う方向に歩き始めた。
3年たって、二人の立っている距離は
3年分遠くなっていた。
ただ、それだけだった。
それから、また数年がたち、
昨年末のゼミのOB会で、彼女に会うことが
あった。
離れたラウンドテーブルに座っていた彼女は
29歳になっていて、
ライトアップされた水槽を、
片肘ついて、ぼんやりと見つめるだけの僕は、
もう30歳になっていた。
仲の良い友人達の輪から離れ、
意を決して、彼女に話しかけてみた。
「元気か?」
それから5分ほど、言葉をかわした。
前の会社から転職したこと。
まだ結婚はしていないこと。
それくらいの情報を得て、
僕はテーブルを離れた。
「じゃあな。」
彼女から、
僕への質問はなかった。
話しかけたことを後悔した。
恋愛感情が残っているわけではない。
時間に薄められて、完全に希薄化した
二人の関係を嘆くわけでもない。
ただ、、 空しい感情だけが僕を満たした。
無性に、冷えた空気を体にとりこみたくて、
ハリスツイードのチェスターフィールドコートを
羽織り、店から出た。
12月の麻布十番の空気は冷たく重く、
僕の白い息は、陽炎のように頼りなかった。
髪を切ってもらっている間、
少し眠ってしまったようだ。
そういえば、今朝もソファで目覚めた。
最近、少し疲れているのかもしれない。
鏡に映っている美容師さん。
もう8年のつきあいになる。
年齢は僕より上。
美容師なのに、髪型は全く変わらない。
僕には8年分の時間が流れているのに、
彼は時間が止まったように昔から変わらない。
髪の切り始めに、だいたい5分ほど
いつも世間話をする。
猛暑の話と
彼が、どこかの湖に釣りをしにいった話を聞いた。
B型だから?
それが関係しているかはわからないが、
昔から興味のないことには、全く興味をもてない。
ただ、釣りには興味はないが、
釣りを好きだという人間がいることに
僕は興味を覚えて、彼の話に耳を傾ける。
すこしの間、話をすると、
その先にほとんど会話はない。
彼は、僕がそれを望んでいることを
知っているし、
彼の本職は髪を切ることで、話をすることではない。
だから、それでいい。
混沌としたものが、
あるべき自然な状態に落ち着き、
僕はとてもリラックスする。
雑誌を読んで、少しウトウトする。
髪を切り終えると、アシスタントの男性が
たっぷりマッサージをしてくれる。
長いときは30分以上も。
僕のシャンプーもマッサージも
男性のアシスタントが担当してくれる。
20代前半まで、僕は「群発頭痛」という
ひどい頭痛を患っていた。
そして、その関係でひどい肩こりだった。
そんな話を、彼にしたことがあって、
それ以来、僕のシャンプー、マッサージには
力の強い男性アシスタントをつけてくれるようになった。
他の男性客をみていると、シャンプーは
だいたい女性が担当している。
僕もたまには、女性にもシャンプーをしてもらいたい。
そう思うことも、たまにはあったが
いろいろ考えて、結局、口にしたことはなかった。
この美容室は心地よい。
リラックスできる空間。
僕の趣味にあう雑誌。
ちょうどよい、人との距離感と
押し付けがましくない人の温かみ。
時間が流れて、壊れてしまう関係もあれば
ずっと変わらない関係もある。
戻れない場所もあれば、
変わらずそこにある場所もある。
自分にとって、その瞬間に
大切なものが、ひとつでもあれば
ヒトは生きていける。
それは、ヒトかもしれないし、モノかもしれないし
バショかもしれない。
それは、気づいていないだけで、
自分の傍にあるのかもしれないし、
大切だと思っているものが
実はそうでもないものかもしれない。
大切なものが変わってしまったのではなく、
自分が変わってしまっただけなのかもしれない。
だから、人生に悲観する必要なんて
本当は何もないんだ。
大切なものは、年齢、環境、気持ちによって
玉虫色のように色を変え、
時には忽然と目の前から姿を消して、
あるとき、
また、ひょいと現れる。
美容室をでると、外はすっかり暗くなっていた。
8年前の三軒茶屋とは違う空、違う空気。
僕は変わらず、
この街で髪を切っている。